第14話
お泊り会の当日はすぐにやってきた。
「はじめまして、麗華の姉の澪と申します。今日は妹の麗華をどうぞよろしくお願い致します」
「おねがいします」
見送りで、わたしの家の玄関まで来た澪さんと麗華が、揃って頭を下げる。
「いえいえ、私の方こそ麗華ちゃんには会ってみたかったの。香織から毎日のように話は聞いてるわ。こちらこそよろしくね?」
お母さんは上機嫌そうな様子だ。これまで、わたしが家に友達を招待したことはあったけれど、お泊り会はやったことがなかったから、初めての体験にワクワクしているのかもしれない。
「じゃあ麗華、大丈夫だとは思うけど、皆に迷惑をかけるようなことはするんじゃないよ?」
「分かってる。お姉ちゃんじゃないんだから心配しないで」
「まあ、その様子なら大丈夫かな……。それでは、私はここで失礼します」
澪さんはわたしのお母さんに向かってペコリと頭を下げると、そのまま自分の家へと帰っていった。
忙しくて挨拶に来れない麗華のお母さんの代わりに、今日は澪さんが来たらしいのだけど、今日の澪さんはいつになくしっかりしていてわたしは驚いた。とても普段、麗華をからかったり抱きついたりしている人と同一人物だとは思えない。人には色々な面があるんだなぁ……と思わず感心してしまったほどだ。
「お邪魔します」
麗華は玄関で靴を履き替えて、リビングに入る時にもう一度「お邪魔します」の挨拶をした。普段はわたしが麗華の家にお邪魔する立場だから、何だか麗華の「お邪魔します」を聞くのは新鮮な気分だ。
「ここが、わたしの家のリビングだよ。麗華の家に比べたらインパクトも何もない、普通の部屋だけど……」
最近はもう慣れたけれど、初めて麗華の家に行った時は、ビッシリと少女漫画に埋め尽くされた本棚に驚いたものだ。それに比べて、わたしの家のリビングは何の特徴もなく至って平凡。部屋の手前に台所と食事用のテーブルがあって、奥にはテレビとクッションがいくつか置いてあるけれど、麗華の家にあったような立派なソファはどこにもない。そんな普通のリビングにも関わらず、麗華はキラキラと瞳を輝かせながら辺りを見渡していた。
「わぁ……お庭だ」
しばらくして麗華の視線は、リビングの奥の窓に続く庭に吸い寄せられる。麗華の家にはなんでもあると勝手にわたしは思っていたけれど、そう言えば庭は無かったことを思い出す。
「庭って言っても、大したものがあるわけじゃないけどね……。せいぜいこのプランターでチューリップを育てているくらい。あとは、あそこに生えている木は桜だから、春になると綺麗だよ」
わたしは右奥に生えている桜の木を指差した。今は夏だから当然、花は咲いていない。緑色の葉っぱが生い茂っているだけだ。
「凄い! 桜が生えてるお庭なんて初めてみたよ! 春になったら、見に来たいなぁ~!」
「もちろん大歓迎だよ。ねっ、お母さん?」
「ええ、いつでも見に来て頂戴」
「ありがとうございます! 必ず見に来ます!」
麗華はわたしとお母さんの顔を交互に見つめながら、はっきりとそう答えた。わたしは何だか少しだけ誇らしい気持ちになる。
「じゃあ次は、わたしの部屋に案内するね」
リビングから出ると、わたしたちは階段を登って二階のわたしの部屋へ向かった。
「香織の部屋は二階にあるんだね。家に階段があるって、何だか不思議」
「それを言ったら麗華の家なんてエレベーターがあるんだから、もっと不思議だよ。二階と三十二階じゃ比べ物にならないって」
「そんなことないよ。エレベーターはマンションにあるってだけで、家の中にあるわけじゃないもん」
そんなことを言い合っていると、あっという間にわたしの部屋の前につく。
「ここがわたしの部屋だよ」
麗華の部屋のようなネームプレートも何もかかっていないドアを、わたしはゆっくり押し開ける。
「わぁ……香織の部屋だ」
頑張って掃除したかいもあって、わたしの部屋はいつもよりも大分小綺麗になっていた。床に散らかっていたクッションは隅っこの方に積み重ねられて、ベッドのシーツも綺麗に整えられている。
「何もない殺風景な部屋でごめんね?」
麗華の部屋にあるような大きな本棚は、この部屋にはない。
「そんなことないよ。あっ……このぬいぐるみ可愛いね?」
麗華はベッドの上に横たわっていたペンちゃんを指差した。
「それはわたしのお気に入りのぬいぐるみなんだ。ペンちゃんって言うの。三歳の誕生日の時に買ってもらったんだけど、六年生にもなってぬいぐるみなんて、ちょっと子供っぽいかな……?」
以前、ちゃんゆいやみっちゃんがわたしの部屋に来たときは、ペンちゃんをクローゼットの奥に隠した。小学六年生にもなって、ぬいぐるみと一緒に寝ていることが何だか恥ずかしかったからだ。だから今回も、部屋の掃除の時に隠すかどうか迷ったけれど、結局わたしはそのままにすることにした。いつもペンちゃんには麗華の話をしているから、ペンちゃんにも麗華の姿を見て欲しかったのだ。
「そんなことないよ。私、この子、すっごく可愛いと思う。三歳の頃から、ずっと大切にして貰ってるなんて、きっとペンちゃんも嬉しいと思うよ? 実は、わたしにも昔からずっと大切にしているものがあるんだ……」
麗華は持ってきた鞄を肩からそっと下ろすと、中から筆箱を取り出した。
「この筆箱、実は五歳の頃からずっと同じの使ってるの……」
その筆箱はピンク色でポーチのような形をしていて、わたしが使っている筆箱よりも一回り大きかった。よく見るとあちこちに細かい傷が入っていて年季が入っている。
「実は私、昔から絵を描くのが大好きで、自由帳と沢山の種類の色鉛筆をどこ行くときも持ち歩いていたの。でも欲張りすぎちゃって……ある日、お母さんと散歩に行った時、何十本も鉛筆を入れていたら、筆箱がはち切れて壊れちゃってね……。大切な鉛筆が地面に全部散らばって、私は大泣きしちゃったの。そんな私を見かねたお母さんが、鉛筆を全部拾ってから私を文房具屋に連れて行ってくれて、それで、そこにあった可愛くて一番大きな筆箱を買ってくれたの。『この筆箱なら、麗華の大切な色鉛筆も全部入るでしょ? だから泣かないで』って言ってくれて……。それから、この筆箱は私のお気に入り。だから今も大切に使ってるの」
麗華にも大泣きする時代があったんだ……。
今の麗華からは大泣きする姿なんて全く想像できないから、何だか不思議だ。
「そうだったんだ……。じゃあその筆箱は、麗華にとって宝物なんだね」
「うん。香織にとってのペンちゃんと同じくらい、大切なの」
麗華は自分の筆箱を胸に抱きしめる。わたしも麗華と同じ様にペンちゃんを抱きしめた。
元々は真っ白だったけれど、今は少し薄汚れた広いお腹。色々な所を突っつきすぎて、少し糸がもつれてしまっているくちばし。その全てが、わたしとペンちゃんが一緒に暮らした証のように感じられて、わたしはますますペンちゃんを大切にしたいと思った。
相変わらず麗華は、わたしに色々なことを気づかせてくれる。そんな麗華がわたしは好きだ。麗華がわたしのことをどう思ってくれているかは分からないけれど、わたしは既に麗華のことをただの友達だとは思っていない。麗華は、わたしに初めて出来た親友なのだ。もしも麗華もわたしに対して同じことを思ってくれているのなら、それ以上に嬉しいことはない。
麗華はわたしのこと、親友って思ってくれているのかな……?
じっと麗華の顔を見つめてみるけれど、わたしは超能力者でも何でもないから、麗華がどう思っているかなんて分からない。
「二人とも、晩ごはんよ~!」
一階から、お母さんの呼ぶ声が聞こえてくる。
「「は~い!」」
とりあえず今は、麗華が楽しそうだからそれでいっか……
そんなことを考えながら、わたしは麗華と一緒に階段を駆け下りた。
「わぁ……オムライスだ!」
今日のお母さんは、料理にも気合が入っていた。献立は、わたしの大好物のオムライスだ。
「麗華ちゃん、アレルギーとかは大丈夫よね? 一応、澪さんに確認はしたけれど……」
「ええ、特にありません。私、オムライス大好きです!」
「良かった。じゃあ、ここにケチャップ置いておくから、好きに使ってね」
食卓の上にケチャップをドンと置くと、お母さんは鼻歌を歌いながら台所へと戻っていった。
「麗華は何描くの?」
「う~ん、何が良いと思う?」
わたしはいつも自分の名前を書いているのだけれど、せっかく絵の上手な麗華がいるのだから、何かイラストを描いてもらいたかった。
「じゃあさ、ここにペンちゃん描いてみてよ」
わたしは自分のオムライスを麗華の方に差し出す。
「えっ、でも自分で描かなくていいの?」
「いいの、いいの。たくさん麗華の絵を見てみたい」
「そういうことなら……」
麗華は両手でケチャップのボトルを掴むと、慎重な手付きで動かし始めた。あっという間にイラストは完成する。
「ちょっと失敗しちゃった……」
「そんなことないよ!」
麗華は可愛い二頭身のペンギンのイラストを描いてくれた。確かにペンちゃんとは少し見た目が違うけれど、それは仕方がない。さっき、一瞬しかペンちゃんを見せていないのだから。わたしのお題が悪かった。
「でもさっき見せてもらった、ペンちゃんとは全然違うし……」
麗華は悔しそうに軽く唇を噛んでいた。絵のことに関しては、麗華は意外に負けず嫌いなのだ。
「そっか……。なら、今度は麗華が描きやすい絵を描いてみて?」
わたしは麗華のオムライスを差し出した。
「わたしが描きやすい絵……」
しばらく虚空を見つめながら考えている様子の麗華だったけれど、突然、わたしの方に視線を向ける。パッチリと開かれた瞳が、わたしを頭から首筋まで何往復も貫いた。突然のことに緊張したわたしは、何も言えずに黙っていた。
「よしっ……」
小さな声で麗華は呟くと、先程よりも更に慎重に、より時間をかけてケチャップを垂らしていく。
「出来た……!」
麗華が描いたのは、わたしだった。黄色いオムライスの上で、ケチャップのわたしは笑顔を浮かべていた。
「あら、麗華ちゃん凄い! これ、香織よね?」
いつの間にか台所から出てきたお母さんは、麗華の背後からオムライスを覗いていた。
「この香織、すっごく幸せそうな顔してるじゃない。麗華ちゃんの前ではいつもこんな感じなの?」
興味津々な様子で、お母さんは麗華に質問した。
「はい。香織の笑顔は、いつも素敵です。私も元気になってしまうくらいに」
「そう言う今の麗華ちゃんの笑顔も素敵よ? ここに描かれた香織と同じくらい」
確かに今の麗華は、凄く幸せそうな笑顔を浮かべていた。自分の描いたイラストを、お母さんに褒めてもらえたからかもしれない。
「ありがとう麗華。凄く上手。鏡で見るわたし自身よりも、もっとずっと可愛く描けてるよ」
しばらくの間、麗華のイラストに見惚れて何も言えずにいたわたしは、ようやく落ち着きを取り戻して、口を開いた。
「そんなことないよ。本当の香織は、私が描いた絵なんかよりも、ずっと魅力的で可愛いもの。それは、いつも香織を見ている私だから、この絵を描いた私だからこそよく分かる」
「麗華……」
嬉しかった。麗華がわたしのことを、いつも見ていると言ってくれたことが。わたしのことを魅力的で可愛いと言ってくれたことが。例えそれがお世辞だったとしても、口に出してそういうことを言ってもらえるのは、凄くいい気分だ。
「麗華だって、凄く素敵だし綺麗だよ。それこそわたしなんかよりもずっと。わたしだって、麗華がわたしを見てくれているのと同じくらい、ううん、それ以上に麗華のことを見ているからこそよく分かる」
「そんなこと無いよ。私の方が香織のこと、よく見てるもん」
「ううん、わたしの方が麗華のことよく見てる」
「いや、私が……」
「わたしが……」
視線をバチバチとぶつけながら、わたしたちは言い争う。どちらが、どちらのことをより良く見ているのか。でも断言できる、わたしの方が麗華のことをよく見ているって。だって、ここ最近のわたしは気づけば麗華のことばかり考えているし、一緒にいるときだって、自然に麗華の姿を目で追っているのだから。それなのに、麗華はこの言い争いで一歩も引く様子は無かった。
「あなた達、本当に仲がいいのね……」
結局、横からお母さんの呆れ声が聞こえてくるまで、わたしたちは言い争いを続けていたのだった……。
「何だか、これだけ自分を上手に描かれてしまうと、食べづらいわね……」
お母さんは、ケチャップで描かれた自分の似顔絵を前に、顔をにやけさせていた。この似顔絵は、お母さんの強い懇願によって麗華が描いてくれたものだ。それは二十代かと思ってしまうほどの若々しいイラストで、お母さんは特に気に入っている。本当のお母さんの顔とは大分違うとわたしは思うのだけれど……。でもお母さんが幸せそうなので黙っておく。
「確かに私も、香織が何だか可愛そうで食べられない……」
「そんなの気にしないで食べようよ! 早くしないとオムライス冷めちゃうよ?」
わたしは、既にオムライスを口に運んでいた。ふわふわの卵が口の中で溶ける。ケチャップライスとのコンビネーションがたまらない。
「ほら、二人とも、さっさと食べて!」
自分一人だけ食べているのも寂しいので、わたしはスプーンで二人のオムライスの上に描かれたイラストを塗りつぶした。せっかく麗華が描いてくれたイラストを消すのは少し心が痛むけれど、食べてしまえば同じことなのだ。
「あぁぁ……私が……」
「香織が消えちゃった……」
嘆き悲しむ二人だったけれど、ようやくスプーンをオムライスに伸ばした。
「どう?」
落ち着いた仕草でスプーンを口に運んだ麗華にわたしは尋ねる。しばらくモグモグした後、麗華は目を輝かせた。
「美味しい!」
続けてすぐに二口目を食べる。
「美味しいです! わたしが作るオムライスよりもずっと!」
「良かった。腕によりをかけたかいがあったわね。ところで麗華ちゃん、お料理もするの?」
お母さんの質問に、口の中のオムライスを飲み込んでから麗華は答える。
「ええ。晩ごはんはお姉ちゃんと交互に作っています。お父さんもお母さんも中々家にいないので……。とは言っても、本当に簡単なものしか作れないんですけどね」
「えっ……麗華、晩ごはん自分で作ってたんだ……。凄い!」
「麗華ちゃん偉いわね。香織にも、もっと料理教えるべきかしら……」
二日に一回自分で晩ごはんを作るなんて、わたしにはとても無理だ。時間がある休みに、お母さんと一緒にカレーを作ったりしたことはあるけれど、せいぜいそれくらい。それを、サポート無しで平日もやるなんて、わたしには出来ない。
「そんなこと無いですよ……。必要に迫られて、仕方なく料理しているだけですから。それに私には、こんなに美味しいオムライスは作れません」
麗華は三口目のオムライスを口に運んだ。三口目は、一口目や二口目よりも若干多めにすくって、噛みしめるようにゆっくり味わっていた。その顔は、何だか遠くを見ているようで、昔でも思い出しているみたいだ。
「おかわりもあるから、もしよければ、どんどん食べてね?」
「やった!」
「はい!」
麗華ばっかり見ていて、わたしは自分のオムライスが全然減っていないことに気がついた。慌てて手を動かす。
隣では、同じ様に麗華も四口目を食べていたけれど、そこには先程のように遠くを見つめる様子は無かった。わたしと同じ様に、ただ美味しそうにオムライスを頬張っている。
さっきのは、気のせいだったのかな……?
そう思ったわたしは、オムライスを食べることに専念することにした。ただでさえ美味しいオムライスは、麗華と一緒だと更に美味しくて、わたしも麗華もおかわりしたのだった。
「お腹いっぱ~い」
「私も」
リビングのクッションに腰掛けて、わたしと麗華はお腹を擦っていた。台所では、お母さんが忙しそうに食器を片付けている。最初、麗華は「お手伝いします」と言っていたのだけれど「お客様に、そんなことはさせられないわ」とお母さんに台所から追い返されてしまったので、こうしてわたしと一緒にくつろいでいる。
「ふ~ん、ふ~ん」
台所では、お母さんが上機嫌で鼻歌を歌っていた。CMでよく聞く曲だ。
「オムライス食べてたら、何だか汗かいちゃったみたい」
リビングはエアコンが効いているから涼しいはずなのだけれど、一生懸命オムライスを食べていたら、何だか暑くなってきた。わたしはTシャツの胸元を掴んで、パタパタと風を送り込む。
わたしの向かい側では、麗華も同じ様にパタパタしていた。
その時、リビングに電子音が鳴り響く。
「あら、お風呂が湧いたみたいね? 二人とも汗かいたみたいだし、入ってきたら?」
「そうだね。じゃあ麗華、お風呂入ろっか?」
「えっ? あっ、うん。じゃあ着替え取りに行ってくるね」
わたしは、着替えととっておきの入浴剤を持って、麗華は着替えを持って脱衣所に集まった。
いつもどおりわたしは、Tシャツを脱ぐ。その様子を見て、麗華もワンピースを脱ぎ始める。流石に着替えの最中に、普段みたいに麗華をじっと見たりするようなことはしないけれど、どうしても視界にチラチラと麗華は映った。
あっ……麗華はもうブラつけてるんだ……
ワンピースに続いてキャミソールを脱いだ麗華を見て、わたしはハッと気付かされた。ちなみにわたしは、まだ着けていない。
修学旅行の時は、ブラを着けている子と着けていない子の割合が3:7くらいだったから、あまり意識しなかったけれど、こうして一対一の状況だと、どうしても気になってしまう。よく考えれば麗華は身長も大きめだし、精神的にも肉体的にも成長は速いのかもしれない。
そのことは分かっているのだけれど、わたしは何だか自分がまだお子様であることに気付かされたような気がして突然恥ずかしい気分になる。タオルで前を隠しながら、わたしは浴室へと足を踏み入れた。続いて麗華も入ってくる。
「じ、じゃあまずはわたしが麗華の背中流すから、ここに座って?」
わたしは、バスチェアを指差した。
「本当? ありがとう」
麗華はわたしの指示に従って、素直にバスチェアに腰掛ける。本当は、麗華にわたしの身体を見せるのが急に恥ずかしくなったから、わたしは麗華の背後で背中を流そうと思ったのだ。
タオルに石鹸の泡をなじませて、麗華の全身をこする。出来るだけ優しくこすろうと思ったのだけれど、緊張のあまり少しぎこちない手付きになってしまったかもしれない。麗華の肌は、どこも柔らかくて、それでいて雪のように白かった。石鹸が泡立つ音と、シャワーの音だけが浴室に響く。
続いて麗華の頭を洗う。麗華の髪の毛は近くで見ても真っ黒で、それでいてサラサラだった。指の間を通る髪の毛の感触が、わたしの髪の毛とは少し違って心地良い。
こうして全身を洗っていると、ますます麗華の身体とわたしの身体の違う所に気付かされて、ますます恥ずかしくなってくる。自分から麗華をお風呂に誘ったにも関わらず、わたしは自分の番が回ってくるのを恐れて、ゆっくり、本当にゆっくり麗華の身体を洗った。
それでも十分もすれば、これ以上洗う場所はなくなってしまい、否が応でもわたしの順番が回ってきた。
「香織、ありがとう。いつもよりも身体がピカピカになった気がする。今度はわたしが香織の背中を流すね」
「う、うん……」
断るわけにもいかず、わたしは全身を小さくさせながら、ついさっきまで麗華が腰掛けていたバスチェアに座る。すぐに泡立ったタオルと、ほっそりとした麗華の感触が背中を通して伝わってきた。
「香織、大丈夫? わたし、強くこすりすぎてない?」
「だ、大丈夫。丁度いいよ? 麗華、背中流すの上手だね」
麗華の手付きは、わたしが麗華にやったようなぎこちない手付きとは大違いだった。優しく、それでいて汚れはしっかり落ちるくらいの絶妙な力加減で、わたしの全身をこすってゆく。
「普段からお姉ちゃんと一緒にお風呂に入ることが多いから。お姉ちゃん、こだわりが強くって……。毎日、『もっと強くこすって!』とか『それじゃ弱すぎ! 汚れが落ちないでしょう!』とか言われているうちに、だんだん慣れちゃった。でも、こんな特技があっても役に立つ機会なんて無いんだけれどね」
「そんなこと無いよ。だって今、役に立ってるじゃん」
「そうだね……。初めて今、役に立ったかも。香織の身体を上手に洗えるようになるために、これまでお姉ちゃんで練習してきたと思えば、こんな特技でもあってよかったかな……」
そんな風に話しながらも、麗華は着実にわたしの身体を洗い進めていった。その手付きは本当にテキパキとしていて、五分もせずにわたしの全身はピカピカに磨かれた。
「よし、終わりだよ香織」
麗華の合図を聞いて、わたしはギュッと瞑っていた目を開けた。五分にも満たない時間だったはずだけれど、目を瞑っていた時間は永遠のように長く感じられた。
「じゃあお風呂に浸かろうか」
わたしは、入浴剤を勢いよくお風呂に投入した。普段は、お風呂の残り湯が洗濯に使えなくなるからという理由で、お母さんに入浴剤の使用は禁止されているのだけど、今日は特別な日だから許してもらえたのだ。
みるみるうちに、浴槽は泡に包まれる。わたしたちは、向い合せでお湯に浸かった。
「あわあわだね~。凄い!」
麗華は手に泡を取って、フッと息を吹きかけている。小さいシャボン玉みたいな泡が、ふわりと宙に浮かんで、すぐに弾けて消えた。わたしも麗華のマネをして遊んでみた。
「楽しいね、これ」
やってみると、意外に面白かった。わたしは次第にいつもどおりの調子を取り戻して、麗華と泡の掛け合いを楽しんでいた。浴槽は泡だらけだから、自分の子供っぽい身体を麗華に見られることが無いというのも、落ち着きを取り戻せた原因かもしれない。
「本当に楽しい。香織、今日はありがとうね」
じゃれ合いが一段落した所で、麗華はそんな風にわたしにお礼を言った。
「わたしも凄く楽しいよ。修学旅行では麗華と別々の班だったから、こうやって一緒にお風呂にも入れなかったし」
「そうだね。香織ともっと早く友達になっていたら、修学旅行ももっと楽しかったかも。私、友達あんまり多い方じゃないから、あの時も、修学旅行らしいこととかしないで、すぐ寝ちゃったし……」
「それなら今日、修学旅行らしいこと全部やろうよ。今日のお泊り会の目的は、恋メロの修学旅行のシーンの演技をすることなんだからさ。確か恋メロではお風呂のシーンでは何をやってたかって言うと……」
「恋バナだったよね?」
麗華がわたしよりも早く答えを言う。そうだった。菫と同じ班の女の子たちで、それぞれ誰が好きなのかを発表し合っていた。そこで菫は、雅人が好きだと皆の前で言っていたはずだ。
「じゃあ、久しぶりに恋メロのシーン演技やってみようか? 麗華、あのシーンのセリフは覚えてる?」
「一応覚えてるよ。香織は?」
「う~ん、なんとなく……」
「じゃあ、始めるね」
麗華はコホンと咳払いをする。
「じゃあ次は菫の番だよ? 菫は誰が好きなの?」
「わ、わたし? わたしも言わなきゃダメかな……」
「言わなきゃダメだよ! 私だって言ったんだもん。で、菫は誰が好きなの?」
「……わたしは……が好き」
「えっ? 菫、聞こえないよ?」
「雅人。雅人が好きなの!」
「へ~、そうなんだ。まぁ知ってたけどね」
麗華はニヤリとしながら、そんなことを言う。普段の麗華はしないような表情だけど、凄く自然に見える。やっぱり麗華は演技が上手だ。
演技を終えて、わたしたちは一息ついた。
「どう、麗華? 何かつかめた?」
「う~ん、つかめたようなつかめないような……?」
麗華は満足していない様子だ。
「それなら、もっともっと演技に付き合うよ」
この後、麗華とわたしで交互に菫の役を何度もやってみたけれど、やはり麗華は微妙そうな表情を浮かべていた。
「やっぱり、わたしたちは『恋愛』についてよく分かってないから演技も微妙になっちゃうのかなぁ……?」
「香織の演技は悪くないよ? ただ私のこだわりが強すぎるだけで……」
麗華は慌てて、わたしをフォローする。麗華はこういう気遣いも出来る子だ。
「う~ん、でも、やっぱり麗華を満足させたいし……」
わたしと麗華はウンウン言いながら頭を悩ませる。しばらくして、麗華はわたしに一つの質問をした。
「ねえ、香織って好きな人いるの?」
突然の質問に、わたしの心臓は飛び跳ねる。
「え、えっ? どうしたの? 突然?」
「いや、今までわたしたちは恋についてもっと知るために菫や雅人の演技をしてきたけれど、そもそも恋が分かってなかったら演技も上手には出来ないんじゃないかなって思って……。それならいっそ、菫や雅人のふりをするんじゃなくて、『麗華』と『香織』としてやったほうが上手くいくんじゃないかなって思ったの」
確かに自分で自分の役をするなら、演技する必要はなくなるから負担は少なくなる。わたしは麗華の意見に納得した。
「そういうこと……。でもわたしの好きな人なんて……」
『恋愛』が何か分からないからこそ、これまで恋メロの演技をしてきたのだ。そんなわたしに、好きな人なんているはずが無い。でも強いて好きな人をあげるなら……。わたしの脳裏には、真っ先に麗華の顔が思い浮かんだ。いやいや……。わたしは慌てて首を横に振る。もちろんわたしは麗華のことを好きだけれど、ここで言う「好き」と麗華が質問した「好き」は全く違う意味の「好き」だと思う。多分……。
「やっぱりいないよ。クラスはバカな男子ばっかりだし! そういう麗華こそどうなの?」
麗華は顎に手を当てて考える。しばらくの間、水面に広がった泡に視線を降ろしていたけれど、一瞬チラリとわたしの方に向けた。その後、再び視線を戻す。
「……。私も香織と一緒で、いないかな……」
「だよね……」
わたしたちは、同時にハァとため息をつく。
「人を好きになるって、どんな感じなんだろうね……」
「ね……。私も知りたい。そして凄い少女漫画家になりたいな」
「きっとなれるよ、麗華なら」
わたしは、いつも麗華が一生懸命、イラストを描いているのを知っている。だからこそ確信を持ってこの言葉を贈ることが出来た。
「ありがとう香織」
しばらくして、わたしたちは一緒にお風呂から上がった。
最初のうちは恥ずかしかったけれど、やっぱりこうして麗華と二人だけでお風呂に入るのは最高の経験で、わたしはまたやってみたいと思った。
いつもよりも長風呂をしたからかもしれない。わたしの心臓は、お風呂から上がってからもしばらく、バクバクと脈打っていた。
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