第12話

 「涼し~」


 麦茶事件から更に歩くこと数分。わたしたちは、仙台駅近くのショッピングセンターで涼んでいた。全身を冷気が通り抜けて、あっという間に汗が引く。しばらくして余裕が出来たわたしは、あたりを見渡した。


 「ねえ麗華、今日の仙台駅、何だかいつもよりも人多くない?」


 そんなわたしの問いかけに、麗華もキョロキョロと周囲を観察する。


 「えっと……実は私、あんまり仙台駅に来たことないから分からない……。でも、浴衣を着ている人が何人かいるね。何かお祭りでもあるのかな?」


 う~ん、八月の上旬に何かお祭りってあったっけ? 夏休み最後の花火大会なら何回か行ったことあるから分かるけど、それにしては早すぎる。


 「あっ……」


 思い出した。


 「そっか、今日は七夕まつりの日だ!」


 「七夕……? 七夕って七月じゃないの?」


 「普通は七月なんだけど、仙台の七夕は八月なの。どうしてなのかは……よく分からないけど」


 「そうだったんだ……。わたし、まだ全然仙台のこと知らないみたい。大分慣れてきたと思ってたんだけど、まだまだだね……」


 「いや、わたしだってついさっきまで忘れてたくらいだから、麗華がそんなに気にする必要ないって。そんなことより、せっかくここまで来たんだし、もう少し足を伸ばしてアーケードの方に行ってみない? 色々な七夕飾りが見られるよ! わざわざこれを見に新幹線で仙台に来る人もいるんだって」


 「そうなんだ。私も見てみたい!」


 「じゃあ行こっ!」


 エアコンの効いた快適な場所にずっといたいという気持ちよりも、麗華と一緒に綺麗な七夕飾りを見たいという気持ちが上回ったので、わたしたちは多くの七夕飾りが展示されているアーケードに向かって移動を始めた。


 移動がてら、わたしは先程少し気になったことを麗華に質問する。


 「ねえ麗華。麗華って、仙台に来る前はどこの学校通ってたんだっけ?」


 転校してきたばかりの自己紹介の時に言っていたかもしれないけれど、あの時は麗華とこんなに仲良くなると思ってなかったから、もう覚えていなかった。


 「仙台の前は名古屋にいたよ」


 「へ~名古屋かぁ……。行ったこと無いなぁ。確か味噌カツが有名なんだよね?」


 社会の授業でそんなことを習った気がする。


 「うん、そうだよ。給食でも味噌カツが出てくるの」


 「えっ、良いな~。仙台は牛タンが有名なのに、給食で牛タンが出てきたことなんて一度もない!」


 「でもずんだ餅は出てきたことあったよね?」


 「あ~、そう言えばそうだけど……。わたし的にはずんだ餅よりも牛タンの方が良いな」


 「そうかな? わたしは、ずんだ餅も美味しいと思ったけれど……」


 「まあ、わたしも嫌いではないけどね……」


 でも、同じ給食のデザート枠なら、ずんだ餅よりもわたしは雪見だいふくの方が好きだ。


 「ねえ麗華。さっき仙台にも少し慣れてきたって言ってたけど、名古屋と仙台で違う所ってどんな所なの?」


 「う~んと……例えば、授業が始まる時の挨拶なんだけど、うちの学校は『起立 注目 礼』だよね?」


 「うん。うちの学校だけじゃなくて、どこもそうだと思うけど……」


 「でも名古屋では『起立 礼』だけだったの。だから仙台に転校してきたばかりの頃は、礼のタイミングが合わなくって大変だった……」


 「へ~、そうなんだ! 知らなかった。名古屋って挨拶違うんだね!」


 わたしはこれまで、生まれてからずっと「起立 注目 礼」の挨拶しかしたことがない。


 「あとは……変な形の信号機も仙台に来て初めて見たかな……」


 「変な形の信号機?」


 「うん。なんか四角い輪っかみたいな信号機で、外側に車の信号がついてて、内側に歩行者用の信号が付いてるやつ」


 「あ~っ、UFO信号機のこと?」


 正しい名前は分からないけれど、クラスの人たちは皆UFO信号機と呼んでいる。その名の通り、見た目はUFOっぽい。


 「多分、それだと思う。あれも最初、見方が分からなくて困っちゃった……」


 「それはすっごく分かる! わたしも初めて見た時は戸惑ったよ。あの信号機、仙台にだってそんなにたくさんあるわけではないし……」


 わたし自身、これまであのタイプの信号機は二台くらいしか見たことが無い。


 「何であんな変わった形の信号機があるんだろうね?」


 麗華は不思議そうな様子だ。確かにわたしも、あんな変な形の信号機がある理由はよく分からない。


 「もしかしたら、信号機を作った人がUFO好きだったのかも? 実は、どこかにエンジンとかついてて、夜になったら空を飛んでたりして……」


 「だとしたら、私も見てみたいな。でも信号機が飛んでいっちゃったら、その時車を運転してる人は困っちゃうんじゃない?」


 「きっとその時だけ、地面から普通の信号機が生えてくるんだよ!」


 「なら、最初から普通の信号機だけで良いのに」


 「それじゃあ、面白くないでしょ」


 「確かにそうかも」


 もちろん、本当に信号機が空を飛ぶわけがない。クラスのバカな男子じゃないんだから、それくらいのことはわたしも麗華も分かっている。けれど冗談と分かった上で、こういう下らない話を麗華とするのも楽しかった。

 麗華と話していると、時間はあっという間に過ぎる。気づけばわたしたちはアーケードに足を踏み入れていた。


 「すご~い!」


 若干、興奮気味の麗華が、その琥珀色の瞳をキラキラと輝かせながら、アーケードを埋め尽くす七夕飾りの数々を見つめている。


 七夕飾りは、大きなくす玉の下に長い吹き流しがくっついたような構造になっていて、ちょっとてるてる坊主っぽいとわたしは思う。でも、その大きさは普通のてるてる坊主とは大違いで、十メートル以上の高さがある天井から吊るされているのに、吹き流しが地上を歩くわたしたちの顔に当たるほどだ。どれもすごくカラフルで、見ているだけなのにすごく面白い。


 「ねえねえ香織、これを見て! この七夕飾り、吹き流しの部分が全部折り鶴で出来てる! 多分これ、千羽鶴どころの話じゃないよ! 全部で何羽あるんだろう……。あっ、こっちの吹き流しには、折り紙で作ったモヤッとボールみたいなのが付いてる……。こういう立体的な図形って、どうやって折ってるんだろう? 凄いなぁ……」


 麗華は一瞬たりともじっとしていられないという様子で、次々と七夕飾りを鑑賞していた。その姿は大人っぽいというよりは、わたしと同じ小学六年生といった感じだ。以前は麗華のことを大人びた人だと思っていたけれど、最近になって、実は大人びた一面と同じくらい、年相応な一面もあることにわたしは気がついた。わたしは、どちらの麗華も大好きだ。

 それに、そう言うわたし自身も興奮している。


 「全部でいくつの七夕飾りがあるんだろう……」


 思わずそんな呟きが漏れてしまうくらい、わたしの視界は一面七夕飾りで覆い尽くされていた。しかも、その一つ一つが物凄く丁寧に作られている。今、わたしが見ているこの光景は、多くの人が多くの時間をかけて作った努力の結晶なのだ。


 しばらくの間、光景に圧倒されながら七夕飾りを鑑賞していたわたしたちだったけれど、不意に麗華が声を上げる。


 「ねえ香織! あそこで短冊にお願い事が書けるみたい。わたしたちも書いていこうよ」


 麗華の指差す方を向くと、確かにそこには「あなたも短冊にお願い事を書いてみませんか?」と書かれた看板がある。


 「良いね!」


 わたしは麗華と一緒に、そのブースへと足を運ぶ。そこには、様々な色の短冊が用意されていた。麗華はピンク、わたしは水色の短冊を選ぶ。


 お願い事かぁ……何にしよう


 こうしていざ短冊を目の前にすると、何をお願いすればいいのか迷ってしまう。そんなわたしの横で、麗華はスラスラと願い事を書いていた。


 「出来た」


 「麗華、速いね。何書いたの?」


 麗華は短冊の表面を、わたしに向ける。そこには教科書の字みたいに上手な文字で、願い事が書かれていた。


 ・みんなが元気でいられますように。


 大きく書かれたその願い事の脇に、小さな文字でもう一つ願い事が書かれていた。


 ・将来、漫画家になれますように。


 そして左下に「椎名麗華」と名前が書かれている。


 「麗華ったら、お願い事を二つも書いて欲張りなんだから……」


 短冊って普通は一つのお願い事を書くものだから、わたしは麗華をそんな風にからかった。当然、麗華からも軽口が返ってくると思っていたのだけれど、麗華の返答は予想していたものとは大分違った。


 「やっぱり、そうなのかな……。わたし、欲張りすぎなのかな……」


 そう言う麗華の声は重々しくて、表情も何だか曇っている。


 「れ、麗華?」


 戸惑うわたしの掛け声で、麗華は我に返る。


 「ごめん香織、変なこと言っちゃって……。でもそっか……やっぱ二つは書きすぎだよね」


 麗華はそう言うと、二つ目のお願いにペンで線を引いて消そうとする。


 「ストップ!」


 そんな麗華の右手を、慌ててわたしは掴んで止めた。


 「二つお願いを書くのは確かに欲張りだけど……別にいいんじゃない? 欲張りでも」


 せっかく麗華が書いたお願いだ。わざわざ消すなんてもったいない。


 「でも……」


 それでも麗華は納得していないみたいだった。それなら……


 「わたしだって、麗華に負けないくらいお願いするんだから!」


 気づけばわたしは、思いつく限りの願い事を短冊に書いていた。


 ・テストで良い点が取れますように

 ・皆が笑顔でいられますように

 ・晩ごはんにピーマンが出てきませんように

 ・将来の夢が、いつか見つかりますように

 ・麗華とずっと一緒にいれますように


 ついさっきまで何もかけなかったことが嘘のみたいに、スラスラとペン先が走る。短冊には願い事を一つしかかけないという思い込みが、無意識にわたしの考えを狭くしていたのかもしれない。今のわたしは下らないお願い事も、ちゃんとしたお願い事も、とりあえず思いついたら書いている。

 最後にギチギチに文字の詰まった短冊の左下に、小さく「かおり」と書いた。画数の多い漢字の「香織」を書くにはスペースが足りなかったので、仕方なくひらがなで書いたのだ。


 「完成!」


 わたしは自慢げに、自分の短冊を麗華に見せつけた。


 「麗華は二つだけど、わたしは五つも書いちゃった」


 「もう……香織こそ欲張りさんなんだから……」


 フフフと笑いながら、麗華はわたしの短冊を見ている。


 良かった……。


 わたしは心の中でひっそり呟く。大人っぽい麗華も子供っぽい麗華も好きなわたしだけれど、笑顔の麗華と悲しい顔をした麗華なら、断然、笑顔の麗華の方が好きだ。だから麗華には、いつも笑っていてほしい。


 願い事をかき終えたわたしたちは、すぐ近くに設置されていた笹の葉に短冊を結びつける。既に他の人の短冊が大量に結ばれていたから、空いている場所を探すのが大変だったけれど、何とか場所を見つけることが出来た。

 ふと横を見ると、まさに麗華も短冊を結んでいる最中だった。わたしには届かない、上の方の比較的短冊が少ないスペースに一生懸命手を伸ばしている。こういう時、背が高い麗華がちょっぴり羨ましい。


 「結べたね」


 「うん、結べた」


 わたしと麗華は、額の汗を拭いながら満足気に笹の葉を見上げる。そこには、様々な人の色々な願いが吊るされていた。


 ・けん玉が上手になりますように

 ・高校受験に受かりますように

 ・スーパーヒーローになれますように

 ・内緒で食べたお菓子のことがお母さんにバレませんように

 ・医師国家試験に合格しますように


 七夕飾りと同じくらい、短冊に書かれた願いを見ているのも面白かった。お願いを書いた人の顔が見えない分、このお願いをした人は、一体どういう人なんだろう? という想像が膨らむ。きっとこの人は、毎日頑張って勉強しているんだろうな……とか、この子は凄くお母さんのことが大好きなんだろうな……とか、色々なことを考えながら、わたしは一つ一つのお願いをじっくり読んでいた。


 次のお願いは、どんなのかな……?


 わたしはなんとなく目についた緑の短冊に手を伸ばす。それは笹の葉のかなり奥の方に結ばれていて、両手で葉っぱをかき分けないと見つけづらい所に結ばれていた。


 どうしてこんなに結びにくそうなところに短冊を吊るしたんだろう……?


 不思議に思いながらも、わたしは覗き込むようにして、その短冊に書かれた願いを読む。


 ・かおりと仲直りしたい


 そこには不格好な文字で、たった一文、そう書かれていた。


 「えっ?」


 思わずわたしは声を出してしまう。


 「どうかしたの? 香織?」


 「えっと……ううん、何でも無い」


 麗華の方を向いて返事をしてから、わたしは改めて目の前の短冊に目を落とす。


 かおりって……きっと、わたしとは別の「かおりさん」だよね? そんなに珍しい名前でもないし……。


 わたしはそう決めつける。何故なら相手の心当たりが一切ないからだ。仲直りがしたいということは、このお願いを書いた人と「かおりさん」は、喧嘩している状態なんだと思う。けれどわたしには、特に誰かと今喧嘩している心当たりは無かった。


 ところがそんなわたしの考えも、短冊の最後に書かれた名前を見て砕け散る。


 嘘……啓太?


 そこには、間違いなく漢字で「啓太」と書かれていた。「慶太」でも「圭太」でもなく、「啓太」と。そして、わたしの知っている啓太の漢字は「啓太」だったはずだ。自信は無いけれど……。


 言われてみれば、確かにわたしと啓太は喧嘩している真っ最中な気もする。わたしは麗華と仲直り出来たから完全に忘れていたけれど、思い返してみると、まだ啓太にごめんなさいの一言もわたしは言われていなかった。


 悪いと思っているなら、さっさと謝りに来ればいいのに……。


 どうしてあの事件の次の日に、啓太が謝らなかったのかが全然分からない。あの日も啓太はいつも通り、いや、いつも以上にふざけている様子だったから、全く謝る気がないと思っていたのだけれど、どうやらそうでもないらしい。


 もしかして、わたしが一生許さないとか言ったから?


 麗華の自由帳を濡らされた時、わたしは混乱していたから、あの時言ったことは正確には覚えていないけれど、そんなことを言ったような気もする。だとしたら、ほんの少し、本当に少しだけだけど申し訳ない気もしなくもない。でも、もしもあの後、麗華と仲直り出来ていなかったら、やっぱりわたしは啓太のことを一生許していなかったと思うから、仕方がないのだ。わたしは、そう自分に言い聞かせる。


 「香織、私、今度はあっちの方の七夕飾り見てみたい!」


 「あっ、うん、じゃあ行こう!」


 麗華に話しかけられて、わたしは考えを一時中断させる。


 このことは、後で考えればいいや。今は麗華との時間を大切にしよう……。


 その後、麗華と一緒に七夕まつりを楽しんでいたら、啓太のことなんてすっかり忘れてしまって、結局、この短冊のことを思い出すことはしばらく無いのだった。

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