第11話

 「お邪魔しま~す」


 わたしは麗華の家の玄関で挨拶する。夏休みになってから、わたしが麗華と一緒に遊ぶ時間はますます増えた。基本的には麗華の家で少女漫画を読んでいるだけで、やっていること自体は夏休みに入る前とあまり変わらないけれど、麗華とずっと一緒にいられるだけでわたしは楽しかった。


 「香織ちゃん、いらっしゃ~い」


 今日は久しぶりに、麗華のお姉さんである澪さんがお出迎えしてくれた。麗華のお父さんお母さんは仕事で忙しいし、澪さんは部活で出かけていることが多いから、ここ最近はわたしと麗華の二人きりだけのことが多かったのだ。


 「あれっ……澪さん、何だか今日はいつもと雰囲気違いますね?」


 わたしの知っている澪さんは、制服かラフなTシャツを着ていることが多い。でも今日の澪さんは、ノースリーブにショートパンツの組み合わせで、何だかいつもよりも華やかだった。よく見ると、両手の爪にも可愛らしいネイルが塗られている。


 「ふっふっふっ……よく気がついたね香織ちゃん。実は私、今日は彼氏とお家デートするんだ」


 澪さんは胸を張りながら高らかに宣言する。


 「……えっ、澪さん、彼氏いたんですか!」


 「何その意外そうな顔! いるよ! 私にだって彼氏くらい!」


 まさか、こんな身近に彼氏持ちの人がいるなんて!


 彼氏持ちの澪さんならきっと、「恋愛」についても熟知していると思って、わたしは興奮気味に質問した。


 「み、澪さん! 『恋愛』ってどんな感じなんですか? 誰かを好きになるってどういうことなんですか? キスしたりするのが『恋愛』じゃないんですか? わたしに教えて下さい!」


 わたしの矢継ぎ早な質問に、澪さんは若干たじろぐ。


 「か、香織ちゃん? 随分と積極的だねぇ……。でも『恋愛』がどんな感じかなんて、わたしも良く分からないよ……。私も今の彼と付き合うようになったのは向こうから告白されて、なんとなくって感じだし……」


 「なんとなく? つまり『恋愛』っていうのは、なんとなくするものなんですか?」


 わたしは澪さんの話を一言一句聞き漏らすまいと、メモ帳と鉛筆を取り出した。


 「えっ、いや……なんとなくするものでも無いと思うけれど、私の場合はそうだったというか……」


 澪さんはゆっくりと後ずさる。わたしはその動きに合わせて少しずつ前進する。麗華は、わたしたち二人を面白そうな様子で眺めている。


 その時、部屋のインターホンが突然鳴った。澪さんは慌てて受話器を取りに行く。


 「あっ、雄一 ゆういち? じゃあ今ロック解除するからエントランスで待ってて? 私が迎えに行くから。えっ? ううん気にしないで大丈夫」


 通話を終えた澪さんは、小走りで玄関に戻ると、急いでお洒落なサンダルを履いて外に出る。


 「じゃあ私は一階に彼氏を迎えに行ってくるから、じゃあね!」


 そのままパタパタと音を鳴らしながら部屋を後にしてしまった。


 「もっと『恋愛』について聞きたかったのになぁ……」


 わたしが未練がましく玄関のドアを見つめていると、横からクスクスという控えめな麗華の笑い声が聞こえてきた。


 「どうしたの、麗華?」


 「お姉ちゃんがあんなに慌てているところを見るの久しぶりだったから、何だかおかしくって。いつもはわたしが振り回されてばかりだから」


 「あ~確かに、そんなイメージあるかも……」


 初めて澪さんにあった時も、麗華は良いようにからかわれていた気がする。


 「雄一さんを連れてきた時のお姉ちゃんなんて特に面倒くさくて、私はしょっちゅう図書館に避難する羽目になるの。目の前で、これみよがしにイチャイチャして……」


 それからしばらくの間、麗華は澪さんについての文句を滔々と語っていた。麗華が一人で何かについてこんなに長々と必死に語っているのを見るのは、これが初めてだ。きっと麗華と澪さんは、すごく仲がいいんだろうな……とわたしは思う。わたしには兄妹がいないから、そういうのはすごく羨ましい。


 「とにかく、お姉ちゃんは本当にいつもわたしを振り回してばかりなの!」


 麗華がそう言い切った瞬間、玄関のドアが再び開いて、澪さんと彼氏さんが姿を見せる。


 「麗華ったら私の悪口ばっか言って酷いよ~。ねっ、雄一?」


 「澪は本当に麗華ちゃんと仲が良いんだね」


 「もう雄一ったら」


 澪さんの彼氏である雄一さんは、髪が金色で、背もすごく高くって、クラスの男子とは雰囲気が全然違った。


 これが高校生なんだ……。


 わたしは思わず呆気にとられる。


 「あれっ……君は会うの初めてだよね? 麗華ちゃんのお友達かな? 鈴木 すずき 雄一 ゆういちです。はじめまして」


 「あっ……はじめまして。麗華の友達の朝比奈 香織です。あの……雄一さんは、澪さんの彼氏なんですよね?」


 「うん、そうだよ」


 「『恋愛』って、どんな感じなんですか?」


 わたしの質問に、雄一さんも先程の澪さんの様に驚いた表情を見せる。


 「どんな感じって……ねぇ?」


 雄一さんは、澪さんの方に顔を向けた。澪さんは肩をすくめる。


 「何ていうか……ずっと相手のことを考えているというか……そんな感じかな?」


 腕を組んで、しばらく悩んだ後に、雄一さんはそんな返答をした。


 なるほど……。


 先程の澪さんの「なんとなく」という説明よりは、こっちの方がずっとしっくりきた。


 「じゃあ雄一さんは、ずっと澪さんのことを考えているんですか?」


 その質問を聞くやいなや、雄一さんは顔をわずかに赤くさせる。


 「は、恥ずかしいこと聞くなぁ……。うん……でもそうだね。今日だって、澪がどんな服なんだろうとか色々考えてた。澪、すっごく似合ってるよ」


 雄一さんは、澪さんに視線を向けながらそう言った。


 「ありがとう、雄一」


 そう言って自分の服を見つめ直す澪さんにも同じ質問をする。


 「澪さんも、ずっと雄一さんのこと考えてるんですか?」


 「えっ?」


 そんなわたしの問いかけに、澪さんは固まってしまう。まるで、上手い切り返しが思いつかない時のわたしのように……。もしかしたら聞かれたくないことを聞いてしまったのかもしれない。そう思ったわたしは、やっぱり何でも無いと言うために口を開きかけたけれど、ほんの一瞬だけ雄一さんの方が先に喋った。


 「ま、まあ、そんなことよりもとりあえず、お家にお邪魔してもいいかな? ずっと玄関で立ち話するのも何だし……」


 「そ、そうね。ごめん雄一、ずっと立たせちゃって……。ほら、こっち来て」


 慌てた様子の二人は、さっさとリビングへ移動してしまう。玄関には、わたしと麗華だけが取り残された。


 「結局、今日も『恋愛』が何なのかは分からなかったなぁ……」


 「高校生のお姉ちゃんですら、あんまり分かってない様子だったし、そんなに簡単に分かるものでもないんじゃない?」


 「確かに麗華の言うとおりかも……」


 現在進行系で「恋愛」している人に話を聞けば、何か分かるんじゃないかと思っていただけに、収穫が無かったことにわたしは少しガッカリした。


 「私たち、これからどうしようか? 私はいつも、雄一さんが来たら図書館に避難してるけど……」


 う~ん、わたしは別に麗華の家でも外でも構わないけれど、澪さん的には、部外者がいない方が雄一さんと色々な話が出来て嬉しいかもしれない。


 「じゃあ、とりあえずわたしたちは外に出よっか?」


 わたしの言葉に麗華は頷くと、リビングに向かって「お姉ちゃん! 私たちは出かけてくるね!」と叫んでから玄関を後にした。わたしも麗華に続いて部屋を出る。




 「暑~い」


 とりあえず、その場の勢いで深く考えずに出てきたけれど、外は暑いということをわたしは忘れていた。隣では麗華も、わたしと同じ様にぐったりとしている。


 「麗華~、これからどうする? よく考えたら、図書館って二人であんまりお話とかは出来ないよね」


 図書館には勉強している人や調べ物をしている人が大勢いるのだ。大声でずっと喋っていたら迷惑になってしまう。


 「そうだよね……。私、これまで図書館には大体一人で行ってたから気づかなかった……。どうしよう……」


 きっと中学生とか高校生ならこういう時、お洒落なカフェにでも入ってアイスコーヒーでも飲みながら休憩するのだろうけど、あいにくわたしたちは小学生。わたしの月のお小遣いは六百円だから、一回カフェに入るだけでもかなりの覚悟が必要だ。


 「とりあえず駅の方にでも行ってみる?」


 この場合の駅というのは、最寄り駅ではなく、歩いて十分くらいの所にある仙台駅のことだ。あそこには、そこそこ大きなデパートや施設があるから、そこに入ればエアコンも効いていて快適だ。お金が無くても結構楽しめる。


 「うん、そうする」


 麗華もわたしの意見に賛成のようだったので、わたしたちは仙台駅に向かってゆっくりと移動し始めた。




 「香織、暑いね……」


 「うん、暑い……」


 たかが徒歩十分だと思っていたけれど、最高気温三十度の中、歩き続けるのは思っていたより大変だった。すぐに喉が渇いてしまう。わたしは家から持ってきた水筒の麦茶を勢いよく飲む。その時、小さな呟きが隣から聞こえてきた。


 「あっ、そう言えばわたし、飲み物持ってくるの忘れちゃった……」


 それは、聞き取れなくてもおかしくないほど小さな小さな独り言だった。麗華の澄んだ声だったからこそ、この声量でもわたしはギリギリ聞き取れたのだと思う。


 「よかったら麦茶飲む?」


 わたしは肩からかけていた水筒を取ると、麗華に向かって突き出した。


 「えっ、でもこれは香織の麦茶でしょ? 悪いよ……」


 「大丈夫大丈夫。今日は一リットル入りの大きめの水筒持ってきたから、多分一人じゃ飲みきれないよ。それに、『こまめに水分補給しましょう』って今朝のニュースでも言ってたよ? 我慢してると熱中症になっちゃうんだって。わたしは麗華に熱中症になって欲しくないよ」


 「そっか……そうだね。分かった、じゃあ飲ませてもらおうかな。ありがとね、香織」


 麗華は両手でわたしの水筒を受け取ると、そのまま口をつける。コクコクと喉が動くタイミングに合わせて、首筋を汗が伝っている。長い黒髪もサラサラと揺れていた。何回か息継ぎしながら、時間をかけて麗華は麦茶を飲んだ。しばらくして、「ふぅ……」と一息つく。


 「美味しかったよ、香織。おかげで生き返った気分」


 「良かった」


 わたしは麗華から水筒を返してもらう。


 「何だか、麗華が美味しそうに麦茶飲んでいるのを見ていたら、また喉が乾いてきちゃった……。さっき飲んだばっかなのにね」


 わたしは再び水筒の蓋を開けると、口をつけた。さっきまでよりも、ほんの少しだけ水筒を急に傾けないと麦茶は出てこなかった。


 麗華が飲んだから、当たり前か……。そう言えば、恋メロにも似たようなシーンあったなぁ……。確か雅人がお餅を喉に詰まらせて、それで慌てて自分のペットボトルのお茶を飲もうとしたんだけど、既に全部飲んでいたせいで、ペットボトルをどんなに傾けても、お茶が出てこなくって、それで仕方なく菫のペットボトルを奪って飲んだんだよね。それで喉が詰まったのはどうにかなったんだけど、しばらくしてから間接キスしたことに気がついて、菫も雅人も顔を真っ赤にするんだったっけ……。……ん?


 ここで初めてわたしは、今の状況を認識する。


 あれっ、この水筒ってさっきまで麗華が口をつけてたわけだから……もしかしてわたしたちも菫と雅人と同じ様に間接キスしてるんじゃ……。


 そのことに気がついた瞬間、麦茶が変なところに入ってしまい、わたしはむせる。


 「ゲホッ、ゲホ、ゲホ……」


 「香織! 大丈夫?」


 心配した麗華が、慌てて側に駆け寄ってくる。ふわりと甘い香りに包まれる。


 「だ、大丈夫……。ちょっとむせちゃっただけだから……」


 わたしは水筒の蓋を閉じて肩にかけると、大きく深呼吸する。スーハースーハー。よし、もう大丈夫……なはず。


 「本当? 本当に大丈夫?」


 「大丈夫大丈夫。ちょっと動揺しちゃって、むせただけだから」


 「動揺……?」


 わたしの言葉に、麗華は不思議そうに首を傾けた。


 実はわたしも、ちょっぴり不思議なのだ。どうして間接キスくらいでこんなに動揺してしまったのだろう? だってわたしも麗華も女の子だ。だから恥ずかしいことなんてあるはずがない。実際、ちゃんゆいやみっちゃんとだって同じドリンクを分け合って飲んだことがあるけれど、その時は何も思わなかった。当然だ。男の子同士、女の子同士で回し飲みくらい皆普通にやっていることなのだから。

 間接キスっていうのは、男の子と女の子でやるからこそドキドキするものだとわたしは思う。だから、この程度のことで動揺してしまうのはおかしいことのはずだ。それなのに、わたしの心臓は未だにいつもよりも若干速いリズムを刻んでいる。

 

 これは何? 動揺じゃないんだとしたら、偶然、関節キスのことを考えた時に麦茶が変な所に入っちゃっただけ? それでビックリしちゃったとか……。

 

 きっとそうだ。わたしはそう思い込むことにした。関節キスとむせたことは全然関係ない。たまたまタイミングが重なっちゃっただけなんだ。

 

 「ごめん、動揺は言い間違い。ただただ、むせちゃっただけだよ。勢いよく麦茶飲みすぎちゃったかなぁ~」

 

 「そうなの? ならいいけど……。これからは気をつけてね? 早く飲んでもゆっくり飲んでも、麦茶は逃げていかないから」

 

 「麗華の言う通りだよ。気をつけます、麗華先生!」

 

 わたしは麗華に向かってピシリと敬礼する。納得したような、してないような、このモヤモヤした気持ちを吹き飛ばしたくて、少しふざけてみたのだ。

 

 「もう香織ったら、恥ずかしいから止めてよ。それに先生に敬礼なんておかしいって」


 「そう言えばそうだった! じゃあ、麗華隊長!」


 「もうっ!」


 狙い通り、こうやって麗華とふざけていたら、いつの間にか心のモヤモヤはどこかへ消えて無くなっていた。

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