第6話

 「香織、何だか最近楽しそうね」とお母さんが言い、

 「かおりん、何か良いことあったの?」とみっちゃんが抱きつき、

 「香織のやつニヤニヤしてて気持ち悪りぃ~~」と啓太がからかう。


 これらは全部、ここ一週間でわたしに投げかけられた言葉だ。わたしは自分のことを、そこまで感情が顔にだだ漏れになってしまう人間では無いと思っていたのだけれど、実はそうでは無いのかもしれない。正直に言うとここ最近、毎日がすっごく楽しい。


 麗華ちゃんが用事で忙しい日以外は、授業が終わったらすぐに掃除を終わらせて、一旦家に帰る。ランドセルを放り投げて、お菓子を手に持ったらタワーマンションの三十二階へ直行。麗華ちゃんが出してくれるジュースを飲みながら恋メロを読んで、読み終わったら、麗華ちゃんと感想を語り合う。

 今まで自分の部屋で一人で遊んでいた時と、やっていることは大して変わらないのに、楽しさは何倍も、何十倍もこっちの方が上だった。友達と好きな漫画の感想を、好きなだけ言い合うことが、こんなに楽しいことだと、わたしはこれまで知らなかった。




 「早く告白しないと、雅人が彩花に取られちゃう!」


 「でも告白して、もしもダメだったらどうしようって思うと、菫もなかなか出来ないんじゃない? だってもしも断られちゃったら雅人は彩花のものになっちゃうかもしれないし……」


 「だとしても、彩花が先に雅人に告白しちゃったらどうするの!」


 恋メロの十一巻を読み終えたわたしは、いつもどおり麗華ちゃんと大激論を交わしていた。

 この巻では、遂にお互いがお互いのことを好きだということに雅人も菫も薄々勘付き始める。けれど、それでも二人ともなかなか告白に踏み切れずにいたら、クラスメイトの彩花まで雅人のことを好きになってしまった。そして彩花は雅人への猛アタックを開始する。

 わたしとしては、雅人も菫も好きどうしなのは分かっているのだから、さっさと告白するべきだと思うのだけれど、どうやら麗華ちゃんの考えは違うらしい。もしも断られたらと思うと、怖くて告白出来ない気持ちも分かるそうだ。


 「う~ん、頭がごちゃごちゃして、段々訳わかんなくなってきた~! とりあえず明日、十二巻を読んで確かめる! 明日は水曜日だから読みに来ても大丈夫だよね?」


 先週の木曜日と日曜日は、麗華ちゃんに用事があったので遊びに行くことが出来なかった。毎週その曜日は予定が入っていると言ってたから、きっと習い事か何かをしているのだと思う。


 「私の家に来るのは全然大丈夫なんだけど、実は一つ問題があって……」


 「問題?」


 「実は恋メロの最新刊が十一巻で……。だから十二巻は読みたくても読めないの」


 「えっ!」


 わたしは慌てて立ち上がると本棚を確認する。確かにそこには、恋メロが十巻までしか並んでいなかった。つまり今わたしが手に持っている十一巻が最後ということだ。ここ最近は、わたしが来る前に麗華ちゃんが予め、その日読む巻を本棚から取ってくれていたから気づかなかった。


 「そんなぁ……すっごい続きが気になるのに! 十二巻はいつ頃出る予定なの?」


 「この前十一巻が出たばかりだから、次は三ヶ月後くらいかな……」


 「う~三ヶ月後か~遠いよ~~」


 わたしは寝っ転がってバタバタと暴れる。このまま寝て、目が覚めたら十月になってたりしないかなぁ……。


 「明日からどうしよう……」


 「他の作品もたくさんあるから読んでみる?」


 「そうしようかな。ちなみに麗華ちゃんは、この家にある少女漫画をどれくらい読んだの?」


 「一応全部、一通りは読んでるよ」


 「すごっ!」


 何百冊、いや、もしかしたらそれ以上あるかもしれない少女漫画を全部読んだなんて……。


 「じゃあ麗華ちゃんは少女漫画マスターだね!」


 わたしの言葉に、麗華ちゃんは恥ずかしそうに首を横にふる。


 「わたしなんて、全然まだまだだよ……」


 そう言って謙遜する麗華ちゃんは、やっぱり大人びていた。わたしだったら堂々と胸を張って自慢していたと思う。


 どうして麗華ちゃんはこんなにも大人びているのだろう……? 少女漫画をたくさん読んで、色んな知識をつけたから? それとも少女漫画みたいな体験を実際にしてたり……?


 「ねえ麗華ちゃん。麗華ちゃんって、これまで彼氏とかいたことあるの?」


 もしもいたのなら、麗華ちゃんがやけに大人っぽいのも説明がつく。恋は人を成長させるって、誰かが言っているのを聞いたことあるし……。


 「か、彼氏? いないよ! 突然どうしたの? 香織さん?」


 麗華ちゃんは少し顔を赤らめながら、プルプルと小刻みに首を横に振った。この反応は、どうやら本当にいなさそうだ。


 「そっかぁ……麗華ちゃん大人っぽいから、『恋愛』したことあると思ったんだけどな……」


 もともと「恋愛」がなんなのかを知りたくて興味を持った少女漫画。気がつけばわたしは、恋メロという作品そのものに惹かれて、一気に十一巻読んでいた。その結果、「恋愛」についての理解が深まったかというと……正直あまり実感は無い。けれど、ちょっぴりだけ分かったような気もする。好きな人と目があったり、ちょっと触れるだけでドキドキしたり、そんなシーンが恋メロにはたくさんあった。そういう状態のことを「恋愛」というのだと思う。

 ただ、あくまで何となく想像出来るようになっただけで、ちゃんと分かっているわけではない。それこそ、何で雅人と菫がさっさと告白しないのかがわたしにはよく分からない。きっとそれも「恋愛」に関係しているのだとは思うけど……。

 でも、少女漫画マスターの麗華ちゃんですら「恋愛」したことないなら、わたしが分からないのも当たり前のことかもしれない。


 「そんなに大人っぽくもなければ、恋愛だってしたことないよ。そもそも私、学校では無口な方だから……恋愛なんてまだまだ。そういう香織さんは彼氏さんいるの?」


 「いないよ……友達なら結構居るのになぁ……」


 彼氏と違って友達を作るのは簡単だ。こちらから積極的に話しかけて、段々相手のことが分かってきたら、空気を読んで相手が気に入りそうな話題を話せばいい。極力相手に嫌われないように気をつければ、友達なんて簡単に出来るのだ。


 「友達がたくさんいるだけでも香織さんはすごいよ。私なんて全然友達いないし……」


 そう言う麗華ちゃんは、少し俯いていた。確かに麗華ちゃんが、学校で誰かと雑談をしているところをあまり見たことが無い気がする。


 麗華ちゃんは細かいところにも気が利く素敵な人だし、話してみると凄く面白い子だ。もしかしたら大人っぽいクールなイメージが強すぎるせいで、皆、話しかけづらくなってるのかもしれない。少し話してみればすぐに麗華ちゃんの魅力が分かるのに、皆もったいないなぁ……とわたしは思う。


 「転校してきたばかりだからしょうがないって。でも麗華ちゃんなら、ちょっとしたきっかけさえあれば、すぐに友達出来ると思うよ」


 「そうかな……」


 「そうだよ。わたしだってついこの間まであんまり話したりしたこと無かったけど、今は友達でしょ?」


 「香織さん……」


 麗華ちゃんは嬉しそうにわたしを見つめる。そんなに見つめられると少し照れてしまう。


 「それで……ちょっと話が脱線しちゃったけど、明日からどうしようか……」


 照れを誤魔化すために、わたしは話題をもとに戻す。


 「麗華ちゃんは普段、一人の時は何してるの?」


 「漫画を読んだり、描いたりしてるかな……」


 「えっ、漫画描いてるの? 見たい見たい!」


 そう言えば麗華ちゃんは、学校でも何かを熱心に描いていることが多かった。


 「そんなに上手じゃないから、笑わないでね……?」


 そう言って麗華ちゃんは、勉強机から一冊の自由帳を取り出して広げる。


 「わぁ……上手……」


 そこには、様々な漫画やイラストが書かれていた。


 「あれ? これって……」


 パラパラとページをめくっていると、恋メロで見たことあるシーンが見つかる。


 「うん、それは恋メロの七巻を参考にして描いてみたの」


 麗華ちゃんは本棚から恋メロを取り出すと、迷いのない手付きで該当ページを開く。


 「でも、なかなか上手くいかないね……。こうして見比べてみると、私の絵の下手さが目立っちゃう……」


 このシーンでは、雅人と菫が公園のベンチでさくらんぼを食べている。全く同じシーンを描いているはずだけれど、確かに恋メロと麗華ちゃんの描いた絵とでは大分違っていた。


 「わたしは麗華ちゃんの絵も良いと思うよ? 特にベンチとか滑り台とかは上手にかけてると思う」


 「でも背景じゃなくて人物の方は下手っぴでしょ?」


 わたしは言葉を詰まらせる。確かに雅人と菫は、恋メロの作者であるサクラさんの絵の方がずっと良く描けていると思う。でもそれを正直に言ったら、麗華ちゃんの気分を悪くさせちゃうかもしれないし……。


 「れ、麗華ちゃんの描いた雅人と菫も上手だと思うよ?」


 実際わたしが描くよりはずっと上手だし……。わたしは自分自身に言い訳をしながらそんなことを言う。

 そんなわたしを、麗華ちゃんはじっと見つめていた。


 「褒めてくれるのは嬉しいんだけど、もしよければ本当の感想を教えてほしいかな……。どこが悪いか分かれば、次に活かせるかもしれないし……」


 わたしの本心はあっさりと見抜かれてしまう。観念したわたしは、大人しく思ったことを話すことにした。


 「……本当はサクラさんの絵の方が良いかなって思った。何ていうかサクラさんの絵は感情がこもっているんだけど、麗華ちゃんの絵はお人形さんみたいな感じで、雅人も菫も同じ様な顔をしているというか……。見ていて心を動かされるのはサクラさんの絵って言うか……」


 実際に口に出して説明しようとすると結構むずかしい。何を言おうとしているのか、これだけでは分からないかもしれない。それでも麗華ちゃんは、わたしの目を見つめながら、一言も聞き逃すまいといった様子で耳を傾けていた。時折、首を縦に振っている。


 「香織さん、本当のことを言ってくれてありがとう。私もなかなか上手く表情が描けないと思ってたんだ……。練習が足りないのかなぁ……」


 麗華ちゃんは、真剣な表情で自分の絵をじっと見つめていた。その真っ直ぐな視線は、絵だけじゃない、もっと遠くにある大きなものに向けられているような気がして、気づけばわたしは口を開いていた。


 「麗華ちゃんって、もしかして将来の夢は漫画家なの?」


 わたしの方を見た麗華ちゃんは、数秒してからこくりと小さく頷いた。


 「やっぱり、この自由帳見せたらバレちゃうよね。うん、少女漫画家になるのが私の夢。転校してから誰かに言ったのは初めてかな。別に隠してたわけじゃないんだけど……」


 思ったとおりだった。


 「すごい……カッコいいよ麗華ちゃん。夢が決まってて、しかもそれに向かって努力までしているなんて……」


 「そんな大したことじゃないよ。私は好きでやってるだけだから……」


 麗華ちゃんはそう言っているけれど、本当にすごいことだと思う。将来の夢を持っている人はたくさんいるけれど、大体みんな、言っているだけで何もしない。既に夢に向かって努力している麗華ちゃんの姿は、わたしには眩しく見えた。わたしなんて、努力するどころか将来の夢すら決まっていない。


 「ううん……すごい! すごいよ麗華ちゃん!」


 「もう、香織さんったら恥ずかしいからやめてよ! 私を褒めても良いことなんて何にもないよ?」


 そう言う麗華ちゃんは、言葉とは裏腹に凄く嬉しそうだった。普段の大人っぽい麗華ちゃんも素敵だけれど、今の彼女はわたしと同じ小学六年生っぽい笑顔を浮かべていて、それはそれで可愛いと思う。そんな様子の麗華ちゃんをもうしばらく見ていたくて、わたしは全力で彼女を褒める。


 「麗華ちゃんは凄い! 最高! よっ、日本一!」


 「もう! 香織さんったら!」


 麗華ちゃんは口を塞ごうと追いかけてくるけれど、わたしは素早く身をかわす。こう見えてわたしは運動神経には自信があるのだ。いつの間にか、わたしたちの間で追いかけっこが始まっていた。




 「つ、疲れた……」


 結局わたし達は、体力の限界が来るまで追いかけっこを続けた。わたしも麗華ちゃんもゼーゼーハーハー肩で息をしている。


 しばらくして、ようやく息が落ち着いてきてからわたしは口を開いた。


 「少しふざけちゃったけど、麗華ちゃんが凄いのは本当だと思う。表情さえ自然に描けるようになれば、きっと売れっ子漫画家になれると思うよ」


 これはお世辞でも何でも無い。わたしの本心だ。


 「その表情を描くのが一番難しいんだけどね。何で描けないんだろう……。やっぱり、私も恋愛してみないと、良い少女漫画は描けないのかな……」


 「百聞は一見にしかずってやつ?」


 この前の国語の授業で習ったことわざをわたしは使ってみた。


 「それを言うなら、百見は一体験にしかず……かな。少女漫画はそこそこ読んでるから……」


 「そっか。でも恋人を作るって言っても、どこに相手がいるの? って感じだよね……」


 うちのクラスに、恋メロの雅人のような優しくてカッコいい男子はいない。居るのは啓太のように、バカな男子だけだ。


 「そうだよね……」


 わたしと麗華ちゃんは二人揃ってため息をつく。いくら百見は一体験にしかずとは言っても、恋人を今すぐ作るというのは無理がある。そもそもわたしは、未だに「恋愛」がどういうものなのかすら分かっていないのだから。


 「やっぱり、今まで通りたくさん少女漫画を読んで練習するしかないのかな……」


 「う~ん」


 しばらくの間、わたしは麗華ちゃんと一緒に頭を悩ませる。


 百見は一体験にしかず。つまり体験が大事なんだよね……。体験、体験かぁ……。


 突如、一つのアイデアが思い浮かぶ。


 「ねえ麗華ちゃん。わたし達二人で恋メロの色々なシーンを実際に体験してみるのはどう?」


 我ながらこれは良いアイデアだと思えた。こうすることで麗華ちゃんは良い漫画が描けるようになり、わたしは恋メロに対する理解が深まって「恋愛」が何かという答えが分かるかもしれない。そして何より、これは麗華ちゃんと一緒に遊ぶ口実になる。一石二鳥ならぬ一石三鳥だ。せっかく麗華ちゃんと友達になったのだから、わたしは色々ことをして遊んでみたかった。


 「わたし達二人で体験? どういうこと?」


 「例えばこのさくらんぼのシーンなら、本当にさくらんぼを買って、恋メロと同じ様にベンチに座って食べてみるの。自分で実際にやってみることで何か新しい気づきがあるかもしれないでしょ?」


 「確かに……香織さんの言う通りかも」


 麗華ちゃんは顎に手を当てながら、細かく頷いている。


 「でも私は嬉しいけど、香織さんにとっては迷惑じゃない? 私のわがままに突き合わせるのは申し訳ないよ……」


 「全然そんなこと無いって。わたしも恋メロのファンなんだよ? もっと恋メロのこと知りたいじゃん」


 「でも……別にわたし一人でやっても大丈夫だよ?」


 「出来るだけ恋メロに状況を近づけないと意味ないでしょ? それに一人じゃ寂しいじゃない。ね、やってみようよ! わたしやりたい! ダメかな?」


 わたしは少し強気に主張する。そのかいもあって、麗華ちゃんの説得に成功した。


 「私に付き合うのが迷惑じゃなければ、もちろん大歓迎だよ」


 「やった! じゃあ決まり! 早速明日、このシーンやってみようよ!」


 わたしは興奮しながら恋メロのさくらんぼシーンを指差す。


 「あっ、でもさくらんぼどうしよう……。わたしの家にあったかな?」


 「それならちょうど私の家にあるから大丈夫」


 「本当? やった! これで準備も万端だね」


 明日に向けての期待が膨らむ。話が一段落ついた所で、わたしは壁にかかった時計を見た。


 「あっ、そろそろ帰らないと……」


 ここ最近、帰りが遅くなってお母さんに色々言われることが多い。麗華ちゃんと一緒にいると、何故か普段よりもあっという間に時間が流れる気がする。


 わたしは帰り支度をして麗華ちゃんの家を出る。今日も麗華ちゃんはエントランスまでお見送りに来てくれた。


 「じゃあ、また明日ね!」


 わたしは麗華ちゃんに向かって大きく手を振った。


 「また明日。私のワガママに付き合わせちゃって本当にごめんね?」


 麗華ちゃんも小さく手を振りながらそんなことを言う。


 「わたしが好きで付き合ってるから良いの! それにごめんよりも、ありがとうって言って貰う方が嬉しいな」


 わたしの言葉を聞いて、麗華ちゃんはハッとした表情をする。


 「言われてみれば、そうだよね……。うん香織さん、ありがとう! 明日もよろしくね?」


 「こちらこそありがとう! じゃあ今度こそ、バイバイ!」


 そう言ってわたしは勢いよく駆け出した。また、わたしに新たな楽しみが一つ出来た瞬間だった。

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