第5話

 「あ~っ、続きが気になる~~」


 恋メロの四巻を読み終えたわたしは、お尻の下に敷いていた水色のクッションを抱きかかえて、左右にゴロゴロと転がった。


 「香織さん、読み終わった?」


 麗華ちゃんの掛け声で、ここが彼女の部屋であるということを思い出して、慌ててわたしは起き上がる。あまりに集中して読んでいたせいで、一瞬ここが自室だと勘違いしてしまっていた。


 「う、うん。読み終わったよ」


 恥ずかしさを誤魔化すように、わたしは平静を装って返事する。


 「そんな急に取り繕わなくても大丈夫だよ。わたしだって初めて読んだ時は、そんな感じでしばらく余韻に浸っていたから……」


 どうやら麗華ちゃんは全てお見通しだったらしい。でも麗華ちゃんでもそうだったのだとしたら、わたしが思わず床で転がっちゃったのも普通のことだよね! わたしは自分にそう言い聞かせると、開き直って再び体勢を少し崩した。流石に、また寝っ転がったりはしないけど。


 「それにしても、遊園地でも二人は結ばれなかったね~。あと一歩のところまで来てたのに!」


 「お化け屋敷に行った時なんて大チャンスだったのにね」


 「本当だよ! 『菫、そのまま雅人に抱きついちゃって!』って読みながら思わず叫びそうになっちゃったくらい」


 わたしは再び恋メロを開いて、コマを指差しながら熱く語る。わたしの意見に対して、麗華ちゃんも横から覗き込んで感想を言う。それはとても楽しくて、わたしたちはいつの間にか時間のことを忘れていた。


 「つまりわたしは、雅人が勇気を出して告白するべきだと思う!」


 「それが出来れば二人は結ばれると思うけど……でもやっぱり告白ってそんな簡単に出来るものじゃないと私は思うかな……」


 雅人と菫の将来について麗華ちゃんと語り合っていると、突然、コンコンと少し強めにドアをノックする音が聞こえた。


 「お楽しみのところ悪いんだけど、香織ちゃん、そろそろ帰らないとお家の人が心配するんじゃない?」


 いつの間にか制服からTシャツとハーフパンツ姿に着替えた澪さんが、部屋に入ってくる。壁にかけられた時計を見ると、時刻は四時五十分すぎを示していた。


 「ヤバっ!」


 慌ててわたしはランドセルを肩にかける。我が家の門限は午後五時だ。それより遅くなる場合は、予めお母さんにどこに行くか言わなければいけない。当然、今日は何も言っていないのであと十分くらいで家に帰らないと怒られる。


 急いで玄関へ向かい、わたしは靴を履く。隣では麗華ちゃんも同じように靴紐を結んでいた。どうやらエントランスまでお見送りしてくれるらしい。


 「今日はありがとうございました!」


 「こちらこそ! 香織ちゃん良い子だし、毎日来てくれても良いからね~!」


 澪さんへの挨拶を済ませて、わたしは麗華ちゃんと一緒にエレベーターに乗り込んだ。エレベーターが動き始めた途端、麗華ちゃんが声を上げる。


 「あっ……」


 「麗華ちゃん、どうしたの?」


 「恋メロの五巻貸すの忘れてた……」


 「あっ……」


 今日は恋メロを借りに来たはずなのに、わたしも麗華ちゃんもいつの間にか本題を忘れていた。


 「私、取りに行ってくるね。香織さんは一階で待ってて」


 そう言って麗華ちゃんは、適当な階のボタンへ手をのばす。


 「ちょっと待って」


 わたしの声に反応して、麗華ちゃんは動きをピタリと止めた。


 「やっぱり恋メロは借りなくてもいいや……」


 「えっ……もしかしてつまらなかった?」


 麗華ちゃんは悲しげな表情を浮かべた。わたしは慌てて手を横にふる。


 「違う違う! むしろその逆、超大好きだよ! だからこそ、読み終わった後すぐに、麗華ちゃんと感想を言い合いたいと思ったの。今日、すっごく楽しかったもん。でも家で一人で読んでたら、それは出来ないでしょ? だから明日は五巻を読みに、また麗華ちゃんの家に行きたいと思ったんだけど……ダメかな?」


 わたしはちらりと麗華ちゃんの様子を伺う。曇り空の切れ目から、太陽の光が差し込む時のように、麗華ちゃんの表情はみるみるうちに明るくなる。


 「もちろん大丈夫。私も今日、楽しかったよ。今まで家族以外の人と漫画の感想を言いあったことなんて無かったから……」


 エレベーターが一階に到着する。扉が開く。


 「じゃあ麗華ちゃん、また明日!」


 「また明日、香織さん」


 この時のわたしの足取りは、スキップしてしまいそうなくらい軽くて、無事に五時よりも前に家に戻ることが出来た。

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