第4話

 麗華ちゃんがパネルに鍵をかざすと、ピピピ……という電子音が鳴りながら、閉ざされていたドアが自動で開く。


 すごく未来っぽい! これが噂に聞くオートロックってやつ?


 タワーマンションに足を踏み入れるのは、わたしにとってこれが初めての経験だったので、一つ一つの些細なことにも興奮してしまう。対する麗華ちゃんは、落ち着いた様子でドアをくぐり抜けていた。こんな時も大人っぽい。


 「一旦部屋に戻って恋メロ取ってくるから、申し訳ないけど、ここで待っていて貰っても良い?」


 「もちろん! そういう約束だったからね。わたしは、ここで座って待ってるから」


 わたしはエントランスに設置されていた木製のベンチに腰掛ける。それを見届けた麗華ちゃんは、エレベーターに乗って自分の部屋へ向かった。


 タワーマンションってすごいな~。


 周囲をグルリと一周見回したわたしは、その豪華さに圧倒されていた。エントランスにはクラシックの落ち着いた音楽が流れていて、中心には観葉植物が置かれている。天井もすごく高くて、まるでホテルみたいだ。


 ここに住んでいる人たちは、どんな暮らしをしているのだろう? 皆、ハリウッド女優みたいなセレブな生活をしていてもおかしく無いと思う。もしかしたら有名人とかも住んでるんじゃない? そう思ったわたしは、入り口のドアをじっと見つめる。もしかしたら有名人がここを通るかもしれないと思ったからだ。


 しばらくして、一人のお姉さんが入ってきた。制服を来ているから中学生? いや、顔つきを見ると高校生な気がする。紺色のスクールバッグを右肩にかけて、肩甲骨の辺りまで伸びた薄茶色のポニーテールを左右にリズムよく揺らしながら歩いている。第一印象は元気はつらつといった感じで、わたしがさっきまで思い描いていたセレブ像とは大分違った。大人っぽい麗華ちゃんの雰囲気とも少し違う気がする。けれどその一方で、パッチリ二重な所や身長が高い所は麗華ちゃんそっくりだ。


 わたしがあんまりにもじっと見つめていたからだろうか。前を向いていたお姉さんは、ふとこちらを向くと「こんばんは!」と気持ちのいい笑顔で挨拶した。不意打ちだったので慌てながら、わたしも「こんばんは」と挨拶を返す。


 お姉さんはそのまま、エレベーターに吸い込まれる様に乗っていなくなった。再びエントランスには、クラシック音楽だけが流れる。それから五分くらいして、麗華ちゃんが戻ってきた。何故か先程のお姉さんと一緒に。


 「いや~まさか麗華が家に友達を連れてくるとはねぇ。お姉ちゃんは嬉しいよ!」


 到着したばかりのエレベーターから、少しくぐもった声が聞こえてくる。しばらくして扉が開き、麗華ちゃんの頭をポンポンと叩きながらお姉さんが登場する。


 「ちょっと、香織さんの前なんだから恥ずかしいことは止めて!」


 「いいじゃ~ん、私たち姉妹なんだからさぁ~」


 そう言ってお姉さんは、腰をかがめて麗華ちゃんに抱きついた。


 「もうっ!」


 顔を赤くさせた麗華ちゃんは、お姉さんの頭に右肘を勢いよく振り下ろす。どうやらそれはクリーンヒットしたみたいで、お姉さんは「ぎゃあぁ」という叫び声とともに、抱きつく両腕を緩めて地面に崩れ落ちた。


 「ご、ごめんね、香織さん。恥ずかしい所見せちゃって……。お姉ちゃんはいつもこんな感じだから……」


 「ううん、全然大丈夫。むしろ麗華ちゃんの知らない一面が見られて面白かったくらい」


 こんなに動揺している様子の麗華ちゃんを見るのは初めてだった。普段は雪のように真っ白な肌が、りんごみたいに赤くなっていて、麗華ちゃんはわたしと視線をあわせられずにいる。学校ではいつもクールなイメージの麗華ちゃんが、「もうっ!」という叫び声と共に肘を打ち下ろしたなんて、クラスメイトに言っても誰も信じないだろう。


 「良かったね~麗華! 香織ちゃん、面白かったってよ?」


 自分の頭をさすりながら、お姉さんが起き上がる。


 「香織ちゃん、はじめまして。私は椎名しいな   みお。見ての通り、麗華の姉で高校二年生。よろしくね?」


 そう言ってお姉さん、改め澪さんは、バッチコーンと効果音が付きそうなほどのウインクをする。


 「あ、わたしは麗華ちゃんのクラスメイトの朝比奈 香織です。よろしくお願いします!」


 わたしは澪さんに向かってお辞儀した。


 「うん、礼儀正しくていい子だね。麗華の友達になってくれてありがと! この子なら部屋に招待しても大丈夫だよ!」


 澪さんは大きく頷きながら、そう言った。


 「でも、お父さんかお母さんに許可とらなくても大丈夫?」


 「相変わらず麗華は心配性だなぁ。私だって、しょっちゅう色んな人連れて来てるんだから問題ないって……。そんなに心配なら、一応メッセージ送っておくからさ」


 澪さんはスマホを取り出すと、慣れた手付きでスイスイと文字を入力する。


 「これでオッケー。お父さんにもお母さんにも連絡しておいたから、大丈夫でしょ。さあ香織ちゃん、こちらへどうぞ」


 エレベーターに乗り込んだ澪さんが、中からわたしを手招きする。


 「麗華ちゃん、本当に大丈夫?」


 澪さんは良いと言っていたけれど、わたしは一応麗華ちゃんにも確認する。


 「うん。お姉ちゃんがお父さんお母さんにメッセージ送ってくれたみたいだし、大丈夫だよ。行こっ」


 ほっそりとした麗華ちゃんの手に引かれて、わたしはエレベーターに乗り込んだ。




 「ここが、わたしたちの部屋だよ!」


 澪さんは「3203 SHIINA」と書かれた表札を指差す。麗華ちゃんたちの住む部屋は、まさかの最上階だった。タワーマンションに住んでいるだけでもビックリなのに、三十二階だなんて、二階建ての家に住んでいるわたしには想像もつかない。エレベーターで三十二のボタンが押されたのを見た瞬間から、わたしは緊張しっぱなしだ。こんな空間にわたしみたいな庶民が居ても大丈夫なのかな……?


 「お、お邪魔します」


 「そんなに固くならなくても大丈夫だって! もっと肩の力を抜いてよ香織ちゃん! ついでに麗華もね。初めて友達を家に呼ぶからって、そんなガチガチになる必要ないんだから!」


 「ちょっと、余計なこと言わないでよお姉ちゃん」


 あんまり家に友達を呼んだことがないと言っていた麗華ちゃんだけれど、どうやらここを訪れた友達はわたしが一番乗りみたいだ。三ヶ月前に転校してきたばかりだから普通のことかもしれないけれど、ちょっぴり嬉しい。わたしが一番かぁ……。


 「さあ、どうぞ!」


 リビングにつながるドアを、澪さんが勢いよく開ける。そこにはピンク色の可愛らしいソファや大きなテレビ、そして食事用のテーブルと椅子があったけれど、一番目を引いたのは……


 「すごい! 図書室みたい!」


 右奥の壁に設置された大きな本棚。そこには大量の少女漫画がぎっちり詰まっていた。そのインパクトに、先程までの緊張も一瞬で吹き飛んでしまう。


 「どうしてこんなに沢山の少女漫画があるの?」


 「フッフッフッ……実はね、私たちのお母さんは少女漫画……」


 「少女漫画が大好きなの! ちなみにお父さんも。それで二人が色々な少女漫画を集めていたら、こうなっちゃった」


 得意げに解説しようとしていた澪さんの声に被せるようにして、麗華ちゃんが説明してくれた。出番を奪われてしまった澪さんは悔しそうな様子で麗華ちゃんを見つめている。いや、よく見ると悔しいというよりポカンとした様子かも……? まあ、どっちでもいいや。


 「それで……恋メロはどこかな……」


 わたしは棚を見上げて恋メロの場所を探す。わたしの身長が足りなさすぎるせいで、上の段の方には何が置いてあるのか分からない。


 「恋メロなら一番上の段の真ん中の方にあるけど、脚立使わないと取れないから、私の部屋の本棚から取った方が良いかも。香織さん、ついてきて」


 麗華ちゃんは、「れいか」と書かれたドアプレートのかかった部屋にわたしを案内した。ちなみに廊下を挟んで向かい側の部屋には「みお♡」と書かれたドアプレートがかかっていたので、そちらが澪さんの部屋だと思う。


 「わぁ、麗華ちゃんの部屋にも少女漫画がいっぱいある!」


 リビングにあったものには及ばないけれど、それでも十分に大きな本棚が右奥にそびえていた。右手前には勉強机、左手側には可愛らしいベッドが置いてある。


 「あっ、恋メロあった!」


 一番上の棚の左端に、恋メロが並んでいるのを見つける。


 リビングの本棚ほどの高さは無いから、これならわたしでも届きそう。

 

 そう思ったわたしはランドセルを床に置くと、背伸びして恋メロに向かって手をのばす。

 

 「あと少し……」


 背表紙の下の方に指がかかる。あとはこのままゆっくり引けば……。


 「香織さん大丈夫?」


 「ヒャッ!」


 突然、背後から麗華ちゃんの声が聞こえてきてビックリしたわたしは、体をビクリと震わせる。両足のつま先、二点だけでギリギリ保っていたバランスが崩壊する。


 慌てて両腕をさまよわせるけど、周囲につかめるものなんて何もなくて、わたしはそのままバッタリと後ろに倒れた。


 「イテテ……って、あれっ? 痛くない?」


 あの高さから倒れたら、いくら床がカーペットとはいえ痛いはずだ。にも関わらず痛みは全くなくて、それどころかクッションよりも柔らかくて温かい感触が背中から伝わってくる。


 一体何が……? そう思って自分のお腹の辺りを見てみると、そこにはほっそりとした二本の腕がクロスされていた。どうしてここに腕があるのか、訳の分からないまま、わたしは後ろを振り返る。


 視界に写ったのは琥珀色の瞳、それを縁取るパッチリ二重、薄ピンク色の唇に、雪のように白くてきめ細かい肌だった。その美しさに思わず数秒ほど見惚れてから、わたしはようやく今の状況を理解する。


 「れ、れ、れ、麗華ちゃん!? ごめん!」


 クロスされていた腕をほどくと、わたしは慌てて立ち上がる。麗華ちゃんは、長くてつやつやとした黒髪を、床に大きく広げながら寝転がっていた。


 「大丈夫? 麗華ちゃん……。わたしのせいで……」


 わたしが無様に後ろに倒れてしまったせいで、背後に立っていた麗華ちゃんも巻き添えを食らって倒れてしまったのだろう。床に寝転がったまま、麗華ちゃんは口を開いた。


 「うん、私は大丈夫。香織さんこそ怪我してない? 私がいきなり声をかけたせいでビックリさせちゃってごめんね?」


 「ううん……背が低いくせに無理して恋メロを取ろうとしたわたしが悪いの。最初から麗華ちゃんにお願いしてれば良かったのに……」


 それに、確かにビックリしたけれど、ビックリの度合いで言うのなら、声をかけられた時よりも今の方がずっと上だ。麗華ちゃんの顔を至近距離で眺めたときから、わたしの心臓はずっとバクバクと脈打っている。だって、あんな目の前に人の顔が迫った経験なんてこれまで無かったんだもん……。


 そんなことを考えながら、わたしは右手を差し出す。麗華ちゃんはその手を取ると、滑らかな動作で立ち上がった。


 「私だって、一番上の段は背伸びしないと届かないよ。ほら」


 麗華ちゃんはつま先立ちして、本棚から中途半端に飛び出た恋メロの四巻を取り出す。確かに背伸びしないと届かない高さではあるけれど、わたしよりは大分余裕がありそうだ。


 「はい、これが恋メロの四巻。よかったら私の部屋で読んでいく?」


 麗華ちゃんの言葉にわたしは頷く。わたしの家とタワーマンションは歩いて三分くらいの距離しかないので、一冊くらい読んでから帰っても遅くなりすぎることは無いと思ったからだ。


 「じゃあ私はお菓子とか飲み物取ってくるね。香織さんは、その辺のクッションに適当に座って待ってて」


 そう言って部屋を出ていこうとした麗華ちゃんだったけれど、わたしを見て一瞬足を止めると、そのままこちらへやってきた。


 「どうしたの麗華ちゃん?」


 なんか変なことしちゃったかな……と、わたしは不安になる。


 「私が抱きついちゃったせいで、香織さんのTシャツが少しよれてたから……」


 そう言って麗華ちゃんは、わたしのTシャツを整えた。


 「これで大丈夫。じゃあ待っててね!」


 今度こそ、麗華ちゃんは部屋を出ていく。一人部屋に残されたわたしは、今整え直されたばかりのTシャツをじっと見つめていた。


 「こんな所にも気がつくなんて、麗華ちゃんはやっぱり大人だなぁ……」


 思わずそんな独り言が口から溢れる。

 胸に手を当てると、相変わらず心臓はいつもよりも速いリズムを刻んでいた。どうやらわたしは、まだ驚きから覚めてないみたいだった。

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