第3話
キーンコーンカーンコーン。
朝の会の始まりを告げる鐘の音が、校舎中に響き渡る。
「間に合った!」
わたしは勢いよく教室後方のドアを開けた。振り返ったクラスメイトの視線が、一斉にわたしに突き刺さって恥ずかしい。その中には麗華ちゃんのものも含まれていた。
わたしは身を縮ませながら、静かに自分の席につく。徐々に皆の視線がわたしからそらされて、ほっと一息ついた頃に、突然大きな声がわたしの鼓膜をビリビリと揺らした。
「香織のやつ、遅刻してやんの! アッハッハ、ダセー!」
わたしは額に怒りマークを浮かべながら、声の発生源に目を向ける。そこには予想通り、わたしを指差して大笑いしている啓太の姿があった。
啓太は、わたしのクラスのバカな男子代表だ。事あるごとに、わたしにちょっかいをかけてくる。
「俺なんか七時半には教室にいたぜ!」
啓太は大きな声で、そう宣言した。
「俺は七時だ!」
「お、俺なんて六時半だぞ!」
つられて他の男子たちも声を上げる。その様子にわたしは小さくため息をついた。
男子はどうして、こんなにどうでもいいことで競争するんだろう……。そもそも学校の門が開くのが七時なんだから、六時半に教室にいられるわけないでしょ……。
返事をするのもアホらしくて、わたしが黙っていると、再び啓太が口を開く。
「あいつ何も言えなくなってるぞ! 遅刻したのが、よっぽど恥ずかしかったんだな!」
何が面白いのか分からないけれど、ギャハハハと一斉に笑い始める男子たち。流石のわたしも、これだけ散々言われると堪忍袋の緒が切れそうになる。
「あのねぇ! あんた達のバカな話に付き合ってられなくて、わたしは黙っていただけだから! そもそも、まだ先生が来てないんだから、わたしは遅刻してないもん!」
わたしの言葉に周りの数人の女子も大きく頷く。けれど当の啓太たちには何も通じていない様子だった。「あのねぇ!」と言いながら、先程までのわたしの動きを真似して大笑いしている。
ムカつく~~!
啓太たちはバカだけど、わたしを怒らせることに関しては天才だと思う。このまま舐められたままでは気がすまないので、わたしが反論しようと口を開きかけたその時、前の扉から担任の
「それじゃあ、朝の会を始めるわよ~」
先生は名簿でバンバンと机を軽く叩く。先程まで立ち上がってバカ騒ぎしていた啓太たちも大人しく席についた。結局わたしは、何も言い返すことは出来なかった。
ホント今日は朝から最悪!
「か~お~りんっ!」
朝の会と一時間目の授業が終わり、啓太に対するイライラも大分収まってきた頃、わたしは突然後ろから抱きつかれた。
「おはよ~、ちゃんゆい。それと、みっちゃん」
わたしに抱きついているのが、ちゃんゆいこと
「かおりん、今日の朝は大変だったねぇ」
ちゃんゆいは、わたしに抱きついていた腕を離しながら、そんなことを言う。
「本当だよ! 何で男子って、あんなにバカなの?」
啓太に対する怒りが、またふつふつと湧いてきた。
「まあ男子は、いつまでもお子様だもの。あたしは、あいつらのことを、あたし達とは違う別の生き物だと思ってるよ」
「みっちゃんの言う通りだよ。ほら、かおりん、あれを見てみな……」
ちゃんゆいの指差す方を向くと、そこには口の端を両人差し指で引っ掛けて、変な顔をした男子の姿があった。
「おい、博文! そのまま『学級文庫』って言ってみろよ!」
啓太が、その男子に向かって命令する。
「よ~ひ、ひくぞ~。『がっきゅううんこ』」
ギャハハハ!
その途端、周囲の男子たちが皆、笑い転げた。
「うんこ、うんこだってよ! あははははっ!」
そんな啓太たちの様子を見つめるわたしたちの視線は、それはそれは冷たいものだった。
ちゃんゆいは小さくため息をつく。
「かおりん、分かった? あいつら一年生の頃から何も成長していないから、言い争いするだけ無駄なんだよ」
ちゃんゆいの言葉に、みっちゃんも大きく頷いていた。
「はぁ……確かに、啓太たちと言い争いをしようとしたわたしがバカだったかも……。もう少し麗華ちゃんの大人っぽさを見習ってほしいよ……」
わたしの呟きに、みっちゃんが反応する。
「麗華っち? 今年転校してきた、あの麗華っちのことだよね?」
そう言ってみっちゃんは、麗華ちゃんの方へと視線を向ける。教室の前方に座っている麗華ちゃんは、何かを描いている様子だった。
「うん。一昨日、偶然図書館であったんだけど、話し方とか仕草とかが大人っぽいな~って思って。啓太とは本当に大違い!」
「へ~、そうなんだ。わたし、今まであんまり麗華さんと話したこと無かったから気づかなかった。でも確かに言われてみれば麗華さんって、すごくしっかりした人だよね。みっちゃんと違って、宿題も毎回、ちゃんと出してるし」
「それじゃあまるで、あたしがちゃんとしてない人みたいじゃない!」
「そう言ってるんだよ」
「ひど~い!」
そう言ってみっちゃんは、ちゃんゆいをくすぐる。
その様子を横目に見ながら、そう言えば麗華ちゃんに恋メロ返さないと……なんて思っていると先生が教室に戻ってきて二時間目の授業が始まった。
それからわたしは、何度も麗華ちゃんに恋メロを返そうとしたのだけれど、なかなか上手く行かなかった。そもそも本来、学校に漫画を持ってくることは禁止されているのだ。だから人目のつかない所で返さなきゃいけない。先生に見つかったらアウトなのはもちろん、啓太たちに見つかったとしても、大声で言いふらされるに決まってる。
そんな風にタイミングを伺っていたら、気がつけば放課後になっていた。急いで掃除を終わらせたわたしは、麗華ちゃんの下駄箱を確認する。そこには既に上履きが入っていた。
「遅かった……」
そんな独り言を呟きながら、わたしはスニーカーに履き替える。既に麗華ちゃんは下校しているみたいだ。
明日返せばいいかという気持ちと、この調子じゃ明日も返せないんじゃないかと思う気持ちを抱えながら、わたしはとぼとぼと校舎を後にする。最初のうちは下を向いて、校庭の砂粒を見つめながら歩いていたけれど、それではますます気が滅入りそうだったので途中で顔を上げる。すると校門付近に、ピンク色のランドセルが見えた。
あれっ? 麗華ちゃんのランドセルの色ってピンクじゃなかったっけ……。
わたしは校庭を全力で駆け抜ける。麗華ちゃんを見失う前に追いつかなきゃ……という一心で。あのピンクのランドセルを背負っている人が、麗華ちゃん以外の人であるという可能性は、この時のわたしにはこれっぽっちも思いつかなかった。
「麗華ちゃん待って!」
校門を出て右方向へ曲がり、残りの距離が五メートルくらいになった所で、わたしは声を張り上げる。麗華ちゃんの小さな顔がこちらを振り返った。そちらに向かって歩きながら、わたしは背負っていた水色のランドセルを前に抱えて錠前をカチャリと開ける。そして、この前借りた恋メロ三冊を取り出した。
「これ、すっごく面白かった! 実はあの日、図書館から帰ったあと、ずっと読んでたんだ!」
今日遅刻しかけたのも、実は恋メロが原因だ。主人公の雅人とヒロインの菫。二人が一緒に遊園地に行く約束をしたところで三巻は終わりを迎える。その後、二人がどうなるのかを考えていたら、なかなか寝付けなかったのだ。
「えっ、もう読み終わったの?」
麗華ちゃんは、驚いた様子で口に手を当てる。
「うん、もう一気読みだったよ。一回だけじゃ満足出来なくて、それぞれ三回は読んじゃった。雅人と菫に早くくっついて欲しいのに、なかなかくっつかないのがもどかしくって……」
身振り手振りを交えながら、わたしは麗華ちゃんに感想を熱弁した。
雅人と菫は、お互いがお互いのことを好きなのに、どちらも相手が自分のことをどう思っているのかが分からなくてすれ違い続ける。「二人とも、早くくっついて~」と叫びながら、何度自室の床で身を悶えさせたことか。もともと「恋愛」が何なのかについて知るために借りた少女漫画だったけれど、わたしはいつの間にか作品の内容そのものに惹かれていたのだ。
そんな思いをしばらくの間、わたしは夢中で語り続ける。普段のわたしは、自分がずっと話し続けることなんてしない。そんなことをすれば、相手が話す機会を奪ってしまって嫌われてしまうかもしれないからだ。だからいつもは空気を読んで、丁度いい所で話を切り上げる。けれど今のわたしは、そんなことも忘れて気分良く話し続けてしまった。なぜだろう。麗華ちゃんが相槌を打ちながら、大人しく話を聞いてくれたからかもしれない。
五分ほど一方的に話し続けて、わたしはようやく自分の犯した失敗に気がついた。
「ご、ごめん、麗華ちゃん。わたしばっかり話してて……。ずっと聞いてるだけじゃつまらないよね」
嫌な思いをさせてしまったかもしれない。
そう思って慌てふためく様子のわたしを見て、麗華ちゃんはゆっくりと首を横にふる。
「ううん……むしろその逆だよ。香織さんが、こんなに恋メロを気に入ってくれたのが凄く嬉しい。前も言ったでしょ? 恋メロは、私にとってかけがえのない作品だって」
そう言う麗華ちゃんの顔には、笑みが浮かんでいた。本当に嬉しそうな様子だ。
嫌われていないみたいで良かった……。
安堵で全身の力が抜ける。
今なら、もしかしたら……。
そう思ったわたしは、再び口を開いた。
「あのさ……一つお願い言ってもいい?」
「どうしたの?」
麗華ちゃんは不思議そうに小さく首を傾ける。わたしはゴクリと喉を鳴らしてから、口を開いた。
「恋メロの続きなんだけど、貸してもらえないかな……。続きが気になって気になって!」
今まで麗華ちゃんとはほとんど話したことが無かったのに、いきなりこのお願いは図々しすぎるかな……。
わたしは、恐る恐る麗華ちゃんの様子を伺う。しかしそこには、先程と同じ位か、それ以上の笑みが浮かんでいた。
「もちろんだよ! 最新刊まで持ってるから、全部貸してあげる」
なぁんだ、そんなことか、と言いたげな顔で麗華ちゃんはわたしのお願いを了承してくれた。
「麗華ちゃん、ありがとう!」
わたしは胸をなでおろす。
「いつ渡せばいいかな? 明日学校に持ってくる?」
麗華ちゃんの提案に、わたしは腕を組んで考える。
「う~ん、でももしも学校で受け渡しして先生とかに見つかったら大変だよね……。今日わたし、何も考えずに持ってきちゃったけど本当は危なかったのかも……」
「そっか……だとすると、この前みたいに図書館で渡す?」
結局それが一番いい方法なのかなぁ……。
図書館で渡すという妥協案に気持ちが傾き始めていたその時、わたしは一つのアイデアを思いついた。
「ねえ、麗華ちゃんってどの辺に住んでるの?」
「私? 私は、あのマンションに住んでるよ」
麗華ちゃんの指差す先には、この街で一番大きなタワーマンションがそびえ立っていた。
「あの三十階建てくらいのマンション?」
「うん」
すご~い! もしかして麗華ちゃんの家ってお金持ちなのかな?
わたしは心の中で叫ぶ。もちろん実際に口に出したりはしないけど。
「そこ、わたしの家のすぐ近くだ。ならさ、わたしが今から麗華ちゃんの家に恋メロを取りに行っても良い?」
わたしは、ごく自然な流れでそんな提案をする。けれど、それに対する麗華ちゃんの反応はイマイチだった。
「えっ、今から私の家に? う~んっと……」
困惑顔を浮かべている。
しまった……恋メロを借りられることに気を良くして、踏み込みすぎちゃったかも……。
「やっぱ、今のナシ! ごめんね。いきなり、家にお邪魔されても困っちゃうよね……」
空気を読み間違えてしまった時は、すぐに謝ることが肝心だ。わたしは、これ以上麗華ちゃんの機嫌を損ねないように取り繕う。
「違うの! 香織さんが来るのが嫌だとか、そういうのじゃなくて……。あんまり友達を家に呼んだこととかないから、勝手に家に入れて良いのかなって……」
「あっ……そうだよね、お母さんの許可とか必要だもんね……」
わたしもこの前、みっちゃんとちゃんゆいを、お母さんに何も言わないで家に連れてきた時は注意されたものだ。掃除したり、色々と準備しなければいけないことがあるらしい。
「うん……」
わたしの言葉に頷く麗華ちゃんの顔は、何だか少し曇っている。先程までの困惑した様子とはちょっと違って、寂しいような不安なような、そんな感じの表情だ。何かわたしが、まずいことを言ってしまったのだろうか?
慌ててわたしは、口を開く。
「じゃあ家の前まで一緒に行っても良い? そこでわたしは待ってるから……」
「うん、それなら大丈夫。香織さん、ごめんなさい。本当は家に招待したかったんだけど……」
「気にしないで」
麗華ちゃんが、どこに住んでいるか分かっただけでも大収穫だ。これまで、わたしは麗華ちゃんのことを何も知らなかったのだから。
そんなことを考えながら、わたしはタワーマンションへ向かって歩く麗華ちゃんの後ろ姿を追いかけた。
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