第5話 冷し中華はじめました

 汗が首もとにまとわりつく。


 この頃めっきりむし暑くなってきた。

 例年ならそろそろ梅雨明けのはずなんだが、今年はまだ雨が続きそうだ。


 不審な火事の現場に残されたAIの焼死体事件は今月も発生して、我々が把握しているだけでも8件になってしまった。

 いまだ手がかりはほとんど無い。


 住民台帳に載っているその部屋の住人は、いずれも行方不明……。


     * * *


 その日、しとしと雨の中、疲れた身体を引きずって帰宅しようとしていたオレは、坂のふもとにある『丘の上のティールーム水晶亭』の看板にくぎ付けになっちまった。


<冷し中華はじめました> 


 うっとうしくまとわりついてくる湿気を追い払うような爽やかさが、その文字にはあった。


 オレは重い足に鞭打って丘を登り、ティールームの扉を開いた。



 カランカラン……。


「おう!」


 よく通る声でオレを迎えたのは、ガキの頃からダチだったオムだ。

 オムは、重量級の外見でへらへら笑うヤツだが、こう見えてなかなかの人権派のやり手弁護士なんだ。


 先日、この店のオーナーの佳奈さんの本業ーーアンドロイドヘルパーの派遣業『浦島パートナーズ』の危機を救って以来、このティールームによく現れるようになった。


 店の中央にある大きなアンティークテーブルの真ん中で、オムは嬉しそうにもぐもぐやりながら、オレに隣に座れと合図した。

 どうやら冷し中華を食べているようだ。


「大丈夫か、モギッチ。やつれてないか?」

 オレは定年間近のしがない刑事だが、それにも増して疲れが顔に出ているようだな。

「ちょっとな。むし暑くて……」


「いらっしゃいマセ。何になさいますか?」

 アンドロイドのメイドさんが注文を聞きに来る。

 大人しそうなこのコは、確かサオリさんだ。


「同じものを」

 オレはオムの食器を指した。


「申し訳ありません。

 こちらは売り切れでございます」


「モギッチ、悪いな。

 冷し中華は限定5食なんだ。オレので最後だったんだ」


 幸せそうにもぐもぐしながら、オムはさらに追い打ちをかけた。

「オレは昨日も食ったから、食べないであげればよかったなぁ。

 これ、ものすごく、んまいんだよ」


「うまそうだな」

「タレにピーナッツがすり潰して入っているんだって。

 まったりしているわけだ。 

 しかも、酸味はレモンを絞っているから、爽やかなんだよ」


 まあな。

 こいつには今回は本当に世話になったからな。


 今日は譲ってやるさ。


 しかたなく、オレはサオリさんお勧めの自家製レモネードでビスケットをぼりぼりやった。

 もちろん、ものすごく美味しかったし、疲れもとれる気がしたさ。


「モギッチは、明日食いに来いよ」

 オムはへらへらしながら、満ち足りた笑顔で去っていった。


     * * *


 次の日、ちょっとした相談があるからと、オムから連絡があった。

 昨日と同じくらいの時間に『水晶亭』で待つ。ということだ。


 オレは、ちょっとシャッキリ見えるように、仕事の後に顔を洗って丘を登った。


 カランカラン……。


「おう!」


 オムはやっぱり中央の大きなテーブルの真ん中から、よく通る声でオレに声をかけてきた。

 今日もなんだか楽しそうだ。


「いらっしゃいマセ。何になさいますか?」

 今日も注文を取りに来たのはサオリさんだった。


「あ……じゃあ、冷し中華を……」

「申し訳ありまセン。

 本日の分は売り切れてしまいまシタ」

「……」


 少なからずがっかりしているオレに、オムがたたみかけた。

「悪いな、モギッチ。

 オレが残りを注文しちまったんだ」

「……」


 オレは、レモネードとビスケットを頼んだ。

「ホントにモギッチは、甘党だなあ」

 オムはおかしくてたまらないという風に、笑っている。


 オムは、佳奈さんの顧問弁護士になってほしいといわれたこと。これから佳奈さんが事業を拡大していこうとしていること。佳奈さんが目指しているのは、アンドロイドの人権が守られた世界のようだ……。ということなどをペラペラしゃべっていたが、オレの耳にはあんまり入ってこなかった。


 そもそも昨日の今日で、また最後の一皿を頼むのか?


 まったくお前ってヤツは昔っから食い意地の張ったヤツだったよな。


 購買で人気の焼きそばパンを買い占めたのは、高校1年の時だったっけ。

 2時間目に仮病を使って教室を出て、その足で購買へ向かったんだよな。

 あの時、先輩にシメられそうになったオムを救ったのは、トシとオレだったじゃないか。


「おい、モギッチ。聞いてる?」

 へらへらと笑いながら、オムは聞いてくる。

「……うん。聞いてるよ」


「オレが関わり続けて、モギッチは嫌じゃないかな」

「嫌とかそんな……」


 オレが言いかけたところへ、サオリさんが冷し中華をのせた大きなお盆を持ってきた。


 なんと二皿!!!


 オム!!!

 お前ってヤツは、どんだけ食いしん坊なんだ!


 オレは、なんでこんなヤツを佳奈さんに紹介しちまったんだ。

 そんなだからお前はデブ……。


「ハイ。コレは、大宮弁護士サマから茂木刑事サマへのサプライズプレゼント!」

 サオリさんは、にっこり笑って、オレの前に冷し中華を置いてくれた。


「えっ!? オム!?」


「あーっ、礼はいいからな。

 モギッチ疲れてるじゃん。どうしても食べさせたくてさ」


 冷し中華には、たっぷりの生野菜とふわふわな卵がのっている。


 ああ、そうだ。そうだったな。


 オムはそういうヤツだった。


 あの購買で買い占めた焼きそばパンは、一年坊で買い負けてしまうクラス全員分だったっけ。


「オレは二人前食べればじゅうぶんだからな」

 オムはにこにこと、特大の一皿をサオリさんから受け取っている。きっと二人前入りなのだろう。

「……」


 二人前……。

 そうだ、そういうヤツだったよなあ。


 あの焼きそばパン、オレたちは一個ずつありがたく食った。

 その横で、オムはにこにこしながら5個くらい食っていたっけ。


 オレは思わず笑ってしまった。


「そうか、そんなに嬉しいか」

 オムはちょっと得意そうだった。


「デモ、大宮弁護士サマ」

 サオリさんはオムに話しかけた。

「マズ、上にのってイルお野菜を5分かけてゆっくり食べてカラ、糖質を召し上がっテくださいネ」


「やれやれ、このところ、メイドさんたちが必ずこう言うんだよな。

 ホットケーキの時なんか、頼んでいないのに野菜サラダが先に来るんだぜ」


「佳奈サンからの申し送り事項です」

 サオリさんはきっぱり言う。


 ……そうか、佳奈さんはオムの体調を気遣うくらい、オムを頼りにしているということだな。


「オム。

 佳奈さんの力になってやってくれよ」

 オレは心から頼んだ。


「おう!」

 オムはよく通る声で返事をした。


「オム。

 まだ5分経ってないぞ」

「おう!」


もちろん、冷し中華はめちゃくちゃ美味かった。



     (了)







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