第3話 ときどき ホットチョコレート

 「男泣き」というやつを見たのは久しぶりだ。


 もっとも、「男なんとか」とか「女なんとか」とか言えば、ハラスメントになっちまうご時世だ。

 大きな声じゃ言えないけどな。


 男泣きはいいもんだ。


     * * * 


 めっきり寒くなって、街にクリスマスソングが流れる頃。

 もう薄暗くなるってのに、オレはくたびれ果てた身体を引きずって「丘の上のティールーム水晶亭」の扉をあけた。


 この海辺の街で、夏頃から続いてるいやな事件。

 すっかり殺伐としちまった心に、なんかあったかいもんが欲しかったからかもしれない。


「あらっ。茂木刑事。

 ずいぶん遅いティータイムですね」


 カウンター席の方から声をかけてきたのは、この地区で元気にケアマネジャーをしているワコちゃんだ。

 ワコちゃんはオレの幼なじみトシの愛娘だが、最近はいつここに来てもいるなあ。


 このティールームのオーナーがA I の介護ヘルパーなどの派遣業をしているから何か仕事関係の用事も多いのか……。 

 いや、やっぱり単なる息抜きだろう。

 A I ロボットたちが入れ替わり働いているこのティールームは何故かしら居心地がいい。


「茂木のおじさま、山根先生がご挨拶したいそうです」

 ワコちゃんの隣にいた黒縁メガネの若い男がこっちを見て丁寧にお辞儀をしてきた。彼とは会った事がある。


「確か市民病院の……」

「小児科の山根です。その節はお世話になりました」

 人の良さそうな顔に笑い皺が刻まれている。


 病院で会った時とはずいぶん雰囲気が違う。

 もっとも、あの時は深刻な子供の虐待を発見して、彼が警察へ通報してきた時だったから、お互い笑ってもいられない状況だった。

 あいにく人手がなくて、畑違いの強面ジジイのオレなんかが駆けつけて、さぞかし肝を冷やしたことだろう。


「あの時、子供たちを保護しようにも、とても乱暴な保護者の方で困っていたんです。茂木刑事さんにいらしていただけて本当に心強かったです」

 そうか。オレの強面も役に立つんだな。


「あの子たちは、今は母方の祖母に引き取られたそうですが……」

 愛嬌のある顔だが、悲しそうにうつむいた。

「たくさん子供を診ていると、やりきれないことも多いんだろうなあ」

 しんみり言うオレに、

「ほらほらっ、今は楽しいことを考えなきゃ」

 ワコちゃんが元気な声で割って入ってきた。


「先生。元気を出してくださイませ」

 カウンターの奥からミキちゃんの可愛いらしい顔が覗いていた。

「いらっしゃいませ茂木さま。なにになさいまスか」


「今ね。楽しい相談していたところなんですよ」

 ワコちゃんは山根先生とミキちゃんと三人でうなずき合った。なんだか楽しそうだ。

「お邪魔しちゃったな。申し訳ない」

「何を言ってるんですかあ。おじさまも入れてあげますよ!

 でも、その前に、またくたくたなんですね」

「まあ、いろいろあってね」

「そんなおじさまには疲れの取れるホットチョコレートをお勧めしまーす」

「え!?」

「こんな時間に紅茶は眠れなくなりますよ」

  図星だ。オレは紅茶を頼もうとしていた

「それに、ものすごく美味しいですよ、ホットチョコレート。

  甘くて! 」


「え!? プチライブ!?」

「はいっ」

 ミキちゃんがスプーンを高速回転させてオレのホットチョコレートを攪拌している横で、嬉しそうに山根先生が返事をする。

「山根先生が企画してくださったクリスマス会なノですの。病棟の子供たちのためにわたくしが歌って踊るんでスの。

 お待ちどうサマでした」

 ミキちゃんは丁寧にホットチョコレートをオレの前に置いてくれた。

 すごい! ふんわりクリーミーな泡にはクリスマスツリーが描かれている。


「それから、これはお疲れの茂木さマに佳奈さんからのサービスになりまスの」

 小さな皿にオレの好物のビスケットが一枚。ビスケットにはクリームとジャムでサンタの顔が描いてある。


「え!? 佳奈さんが?」

「佳奈ちゃんはいなくても通信できるんですよ」

 キョロキョロ見まわすオレをワコちゃんは笑った。


「おじさまはA I K B 84の曲では何が好きですか?」

「え!?

 えーあい……?」

「やだ! 知らないんですね」


 サンタの顔のビスケットも、ツリーのホットチョコレートも、ゆるゆるとオレの疲れを癒してくれた。

 しかし、A I アイドルが団体で踊り歌うというそのグループのことは、さっぱりピンとこなかった。

「この頃A I K B 84のクリスマスソングが街でよくかかってるでしょう」

 いくらワコちゃんに言われても、まったくピンとこなかった。


「じゃ。『シャイニー•サンタクロース•ジャーニー』でエンディングですね。ミキちゃん歌える?」

「はいっ。大丈夫でスわ」

 クリスマス会プチライブの選曲で盛り上がる三人を眺めながら、オレはホットチョコレートで「ホット」していた。


     * * *

 

 クリスマス会でのミキちゃんの歌と踊りが素晴らしかった。と、耳にしたのは暮れも差し迫った頃だった。


 「これからミキちゃんの小児病棟勤務の時には、プチライブを恒例にしたいんです。

 春には野外ライブを計画してるんです」

 と、めちゃくちゃ頬を紅潮させて語る山根先生に会ったのは、確か年が明けた頃だった。


 それからは事件が相次いで、オレは飛び回っていたから、「ホット」する暇もないまま日々をなんとかやり過ごしていたんだ。


 久しぶりに時間ができて、ホットチョコレートでもやるか、と「丘の上のティールーム水晶亭」を訪れた時には、もう2月になっていた。


「まあ。茂木刑事。お久しぶりです」

 白い湯気のあがるカウンターの向こうで、オレを迎えてくれたのは、この店のオーナーの佳奈さんとサブリナ。

「佳奈さん。店番なんて珍しいね」


 佳奈さんは、オレがガキの頃に憧れを抱いた女性のお孫さんにあたるらしい。

 初めてこのティールームを訪れた時には本当にびっくりした。そのくらい二人は瓜二つなのだ。

 佳奈さんに会うとその女性を思い出して、こんなジジイがガキみたいにドギマギしちまうんだ。


「今日はみんな依頼があって、出払ってしまったんです。

 だから店番はわたし。

 でもご安心を。

 ホットチョコレートはサブリナが作りますよ」

 確かに。あの高速回転は人間には無理だろう。


「ミキちゃんがいなくなってからは、人数に余裕がなくて、わたしが店番することも多いんですよ」

「え!?」

「あら、ご存知なかったですか? ミキちゃんね、スカウトされちゃったんです。A I K B 84に」

「ええっ!? あの歌って踊るA I の団体という?」


 くすくす笑いながら、佳奈さんはホットチョコレートを持ってきてくれた。

 ホットチョコレートの泡には古式ゆかしい鬼の絵が描かれていた。

 そうか、もう節分なんだな。

 それにしてもサブリナも絵が上手い。……ただなんとなくセンスはおばあさんな感じだな。


「ギャラを荒稼ぎしてくれるらしいんですけど……ミキちゃんがいなくて、みんな寂しがっているんですよ。

 もちろん、わたしも。 

 ミキちゃんの笑顔に会いたくて……」

 佳奈さんは、遥か遠くを見つめるような表情になった。彼女にとって、ここのA I ロボットたちは家族のようなものなのかもしれない。


「ここのコたちには心があるのよ」

 いつかワコちゃんが言っていた言葉を思い出す。

 そんなふうにA I を育てているのは佳奈さんなんだろう。


「明日の晩。A I K B 84が出る歌番組をやるんですけれど、茂木刑事もご一緒に観ませんか? 

 こちらに大型の液晶ディスプレイをセットする予定なんです」


 佳奈さんの心地良いお誘いに、明日の早上がりを心に決めてオレは家路についた。


     * * *


 カランカラン……。

 オレがその番組が始まる5分前に滑り込むと、もうティールームにはみんな揃っていた。


 佳奈さんと、どうやって仕事の段取りをつけたのか「浦島パートナーズ」のメンバー全員らしい。

 それにワコちゃんもちゃっかりいるし。ちよっと元気がないけど山根先生もいる。オレに小さく会釈してくれた。


「茂木刑事! ここ! ここ!」

 ワコちゃんが自分の隣にオレを呼ぶと、すかさずサラエさんがホットチョコレートを運んできた。

「オ、し、ご、と、お疲れサマでございまーすっ」

 泡に描かれていたのはプリンの絵だった。


 液晶ディスプレイは巨大で、ちょっとした映画館みたいだ。

 みんなが見守る中、番組は進み、いよいよA I K B 84の出演になった。


 ーーでは。歌っていただきましょう!

 A I K B 84の皆さんで「ドキュドキュ☆ホットチョコレート」


 光の点滅。

 軽快なリズムで沢山のアンドロイドたちが踊り出す。


「あっミキちゃんヨ!」

「右45度カラ52度ニ移動!」

「いたワっ」

 こっちのアンドロイドたちも大騒ぎだ。変な機械音まで聞こえてくる。


 ドキ☆ドキ

 ドキュ☆ドキュ

 ときどき

 ホットチョコレート☆


 オレは初めて観る光景にくぎ付けになった。

 なるほど、こいつはすごい!

 色とりどりの髪をひらめかせて高音域も早口言葉みたいなところも、怒涛のように一糸乱れず小気味いい。圧巻だ。


 後ろの方に、時々ミキちゃんが映る。

 ミキちゃんも頑張って踊ってるなあ。


 しかし、目が慣れてくると、ミキちゃん以外はみんな人形みたいに見える……って、アンドロイドだもんなあ。


 いや。不思議だ。

 ミキちゃんはアンドロイドたちに紛れ込んだ人間みたいに見えるんだ。


 曲は大詰めを迎えて、最後のリフレインになった。


 ドキ☆ドキ

 ドキュ☆ドキュ

 ときどき

 ホットチョコレート☆


 ホットチョコレート☆


 最後は白い煙が上がってA I K B 84たちを覆った。


 フェードアウト……。


 底抜けに明るいメロディーが余韻になって残っていたが、ティールームのみんなはすっかりしんみりしちまった。


「ワタクシ。ミキちゃんをフォーカスしてアップで楽しみましたワ」

 サラエさんがキュイーンとおかしな機械音を立てた。


 それを皮切りに、ワコちゃんもA I たちも口々に

「ミキちゃんが一番可愛いかったね」とか、

「ミキちゃんが一番いい声だった」とか大騒ぎになった。


 やれやれという風に、佳奈さんがオレに笑いかけたあとに、ふと視線を止めたので、オレもそちらに目をやった。


 そこには、山根先生がディスプレイを見つめたまま動かないでいたんだ。

 山根先生の目には、まだミキちゃんが映っているようだった。


「ミキちゃんも先生と同じ目をしていたんだよね」


 唐突に佳奈さんが言った。

真面目な表情で山根先生の顔を覗き込みながら。ああ、とても優しい声だ。


「ここを出て行く前の晩に、小児病棟でいただいてきたたくさんのプレゼントを抱えて……」


「……」


「ミキちゃんに涙があったら、きっと泣きたかったのだと思ったの」


「……」


「それでね、思いついたんだけれど。

 空気中の水蒸気を……」


 佳奈さんが言い終わる前に、山根先生は泣き出してしまった。


 そんなわけで、

 こらえきれないように嗚咽をもらしながら、男泣きに泣いていたのは山根先生だった。


     * * * 


 男泣きはいいもんだ。



 寒い夜だったが、桜の蕾は膨らんできていたのさ。

 春はすぐそこまで来ていたんだ。


     (第3話 ときどきホットチョコレート 了)

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