聖女の力
チグサは一度家に戻ってから指定された場所に着いた。その分時間を無駄にしてしまったものの、犯人の目的は恐らくチグサ。場所は指定されたが時間は指定されていないし、きっと紫苑は大丈夫だと思いたい。そう、信じたい。
書かれた住所の前に辿り着いたチグサは流石に予想していなかった建物に自分の目を疑った。
「ここか……? ほんとにここか……?」
建物が半壊していた。それはもう見事に、何かに踏み潰されたようにも見えた。
もちろん犯人は
そんな巨大蜘蛛は放送局に大量に落下して建物を潰したりしていた。そのせいで情報が出回るのがかなり遅れてしまい、SNSを利用していない人たちが異常に気付くのが遅れた。
さて、チグサは首をかしげてから家の表札を見る。そこには『不知火』と書かれており、同じ苗字であることにさらなる疑問が増した。
「不知火……同じ? 何だ? どういう事だ……」
取り合えずインターホンを鳴らしてみる。ピンポーンという軽快な音が鳴るものの、反応は無さそうだ。
「何かあったのだろうか。あったのだろうか。さて」
玄関に手をかける。流石に開いていない。
ならば倒壊している部分から中に侵入してみるか。意を決して家から持ってきた武器代わりのカッターナイフを出したり戻したりする。警察に見つかったら補導待った無しだった。その警察は蜘蛛との戦いで多くが命を落としている。
「たのもー! 指定された場所に来たぞ。誰ぞおらぬか!」
懐中電灯は持ってきていない。まだ夕日で明るいが、このまま時間が過ぎていけばあたりは暗く建物内部の探索は困難になるだろう。
今のうちに中に入ってしまおう。瓦礫をかき分け内部へ入る。
「たのもー!」
とさらに言うと、返事が来た。
「チグサちゃん! こっちよ!」
「その声はお母上か!」
家の中に侵入したチグサはその声を頼りに紫苑を探す。そして椅子に拘束された姿を発見した。
「お母上、無事か!」
「私は無事よ! お願い、この縄を解いて」
「任せよ」
丁度良い所にカッターがある。中々に太い縄をそれで地道に切っていく。
「して犯人は」
「達也君……ッ!」
紫苑の視線の先、ちょうど瓦礫が倒壊した部分だ。あと僅かでもずれていれば、紫苑も巻き込まれていた事だろう。
「何があったのだ。達也とは?」
「達也君は源十郎さんの弟よ」
「何と……!? それが犯人か?」
「そうよ」
「何故じゃ」
まさか身内の犯行だとは思っていなかった。
紫苑をどうやって誘拐したのかについては身内ならそりゃ簡単に家に招けるなと理解する。
その達也と言う男は自分の名を知っていた。それも源十郎たちから聞いていたのだろうか。動機は何だ。
「彼は共和国の前世を持つと言っていたわ」
「何と! それでか」
理由についてはこれで分かった。共和国の人間も転生していたのなら、出雲の門出を受けた自分たち以外の人間もこの国にいるだろうか。
実際には前世アレックスである達也もチグサたちがイザナミと対峙するその場に居合わせたから同じ条件で転生したに過ぎない。それも本当にその条件が満たされたから起きる事なのかは不明なのだが、チグサがそれを聞けばきっとそれが条件だと思うだろう。
件の達也は瓦礫の下から上半身だけを見せ苦痛に呻いていた。
恐らく下半身は潰れてしまっている。血だまりがここからも見えた。もう助からないだろう。
「達也とやら。貴様が妾を憎む理由は分かる。しかし、お母上を危険に晒した報いじゃな」
せめて楽に逝かせてやろうと、首元にカッターの刃を近づける。
解放された紫苑がそれを手で止める。
「待ってチグサちゃん。達也君を許してあげて」
「ううむ……お母上がそう言うなら、別にこやつにそんな恨みはないしのう」
元共和国人であったとしても、今は日本人の達也だ。既に一度死を経験している相手に復讐しようとは考えていない。
一度死んでいるのだから、そこで彼の罪は完済されているとチグサは考えている。
逆に言えば、死を経験したと思っていたら変わらずの姿でこの地に転移していた自分を復讐の対象とする達也に対し一定の理解もあった。
もし達也が直接チグサに出向いていれば、チグサは自分が死ねば悲しむだろう人間がいる事もあり命を差し出しはしないものの、説得、或いは達也を含む不知火家で相談しチグサが受ける罪を話し合おうとしただろう。
何もかもがあったかもしれない過去のことだ。もう、彼は助からない。
紫苑は死の間際の達也に手を差し伸べる。何かを伝えようとしているのか。
達也は辛うじて見える紫苑の顔を見つめる。そして小さく、か細い声でごめんなさいと謝った。
「謝るのは私じゃなくて、チグサちゃんにね。ちゃんと、話し合いましょう」
「お母上、しかし彼は」
「大丈夫よ……まだ、助けられる」
そう言うと同時、紫苑の手に明るい光が集まった。
その光が徐々に達也の体へ流れていく。それを見てチグサは驚く。この世界の人間にそのような力が備わっているとは聞いていない。半年近く過ごしているのだから、彼ら地球人の能力についてはある程度知っている。自分たちとほぼ変わらないはずの人間が使うそれに、しかし地球の文化を知り得たチグサに心当たりはあった。
「魔法……?」
「そうよ」
「そんなファンタジーな」
「それを言うなら、チグサちゃんたちも随分とファンタジーだけどねー」
ゆったりとした口調で、しかし強い覚悟と共にそれを伝える。
この話は実のところ紫苑本人しか知らない話で、家族にも話していない能力だ。
それを初めて、新たな家族であるチグサにのみ伝える。
さっき、建物が倒壊した際に見た黒く巨大な蜘蛛。
それに比べれば自分の能力も、流石に言い広めるには危険な内容だが、家族に話す分には問題ないだろう。何せ前世持ちが大半の家族だ。理解してくれる。
唯一何の能力も前世もない雄介が不憫だが、そんな覚悟を決めた紫苑は、高校時代に聖女として召喚され身に着けた魔法で達也を癒す。
しかしそれも命を繋いだだけに過ぎない。完治させるには、まずは瓦礫をどかす必要がある。
「チグサちゃん。気が進まないかもしれないけど、瓦礫をどかすのを手伝って貰っても良い?」
「勿論だとも」
チグサが紫苑と共に瓦礫をどかしていく。潰れてしまった下半身は思わず目を反らしてしまうほどグロテスクだったが、そういったものを何度も目にしたことのあるチグサと、異世界で同じような人を治してきた紫苑は例外だ。
「達也君。我慢してね」
「う、ぐ……ガァアアアアア――ッ!?」
急激に治っていく肉体。崩れた肉、砕かれた骨と内臓が時間を巻き戻すように一定の時間巻き戻っていく。
それに伴い激痛が達也の体に走り抜ける。それを見たチグサが呟いた。
「時間を巻き戻しているのか?」
「鋭いわね。あっちの世界だとそう考える人はいなかったけど」
そう、紫苑の魔法は治癒と言うが、真実は時間遡行による時空魔法の類である。
紫苑の能力は聖女と呼ばれるに相応しい威力のものなので、かなりの時間肉体を巻き戻す事ができる。
戻された側はそれに伴って激痛を受けることになるが、それさえ我慢すれば治るので、その痛みを伴うという事もあってこの魔法が時間を巻き戻す能力がメインだとは考えられていなかった。
程なくして達也の肉体が元通りとなる。
「して、何があったのじゃ? この建物に」
「……化け物が現れたわ」
「化け物? そういえば、サイレンの音が随分とするとは思ったが……」
「黒くて大きな蜘蛛よ」
「大蜘蛛とな。それは、カナデたちが危ないのではないか!?」
「探しましょう! 達也君、達也君起きて」
「んぐ……紫苑……さん?」
「達也君、カナデたちを探すの、手伝ってくれるわね?」
「俺は生きて……み、帝……ッ!」
「達也君。話は探しながら、ね?」
紫苑にはどこか逆らえない空気があり、達也は復讐相手がいる前で小さく頷いた。
お母上を怒らせるとこうなるのじゃなと、チグサは怒らせるようなことを自分からするつもりはないが、絶対に怒らせないようにしようと思った。
別れて探すと何かあった時危険なので、分散せずに共に探すこととなり、その中でチグサはイザナミのことを話す。
達也は奏や源十郎も帝国の人間だと会話の中で知り、復讐しようと言う心はあれど、身内を手にかけるには達也として過ごし過ぎていた事もあって諦めた。
奏がアレックスの大切なシリカを殺した真犯人だと知ればもしかすると復讐心が復活するかもしれないが、奏自身がそれを話すことは恐らく無いので、偽りの家族ごっこをきっと過ごしていく事だろう。
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