日常の終わり
時期は四月、冬は終わり春が到来、桜が芽吹き桃色の花びらが舞い散る。
春休みも終わり再び学校に通い出す二人を見送るチグサと紫苑。奏の友達が家に来た時はチグサが小学生にしか見えないこともあって従妹で通して何とかなった。平日に家を訪れる事もなく、基本奏から友人の家に行く事が多いのもあり、長期休暇以外でチグサが他の人と会うことは少なかった。
時折雄介の友人が訪ねてくるが、此方も家に招くより外へ出かける事が多いので、見知らぬ人と顔を合わせることはほとんどない。
もし家に呼ぶ時は予めチグサに声をかけ、部屋から出ないよう徹底している。
チグサの通っている学校なんか聞かれた時には返事に困る。取り敢えず隣町に住んでいて休日なんかに遊びに来ている、という事にしているが、いつまで嘘が持つか。
家から勝手に出れば問題が起きる可能性が高いことはチグサが一番よく分かっているので、基本は引き籠りだ。紫苑の内職の手伝いは仕事というより遊びに近い感覚で、中々やってて楽しい。そうやって一日の暇を潰す。
しかしこうも家にいては体が鈍る一方なので、源十郎に連れられて運動公園に連れて行って貰うことも。並べばどう見ても親子なので、特に変に思われることは無い。
さて今日はこの後どう過ごそうか。考えている内に小一時間が経過する。
紫苑は先ほど夕食の買い出しに出かけた。チグサは留守番だ。留守番中暇なのでちまちまと薔薇の飾りを作っている。
「む……電話か」
勝手に出ると不味いなと、留守電になるのを待つ。何回目かのコールの後、用件をどうぞとのアナウンスが流れた。
電話番号の相手は非通知。用件があってもチグサは出ずにお母上の帰りを待とうと、内容だけ聞き取る為に耳を傾ける。
男だろうか、息の音が聞こえた。何か言い残すかと思えばそのままぷつり電話が切れる。
非通知だったし営業か何かだろうと無視して作業を続ける。
また、電話が掛かってきた。
「中々しつこい奴じゃのう」
そう思いながら電話は無視。やはり同じパターンだった。
そしてまた、電話。
「ええい、やかましい!」
電話を取って文句でも言ってやろうか。そう思うも、面倒ごとに発展するのは不味いなとやはり無視する。
やはり同じパターン。四度目が来るかと思ったが、それは無かった。
三度目の正直を狙ったがその正直も無かったと言ったところか。中々にコール音が煩かったので、耳栓の準備もしていたチグサはそっとそれを元に戻す。
「ん……んん……っ! おや、もう昼餉の時間か」
時計を見れば十二の針を
それからぼーっとすること一時間。十三時になっても紫苑は帰ってこなかった。
「井戸端会議でもしておるのかの」
主婦同士で相手の家にお呼ばれしているのかも。そんな風に考えながら、朝の残りのご飯をお茶漬けにして昼を済ませる。
夕飯の分のご飯も炊いておこう。炊飯器の扱いも手慣れたもので、洗濯物も取り込んでお風呂掃除も済ませておく。
そんな風に過ごしていると、家の鍵が開いた。
「たっだいまーっ! チグサぁー! 暇じゃなかったー?」
帰ってきたのは奏だ。二日に一回くらい同じ事を言っている。まあ暇ではあるが、暇つぶしの方法は幾らでもある。それなりに外にも出して貰っているし、帝都にいた時より自由は多い。
不満は無いがその頃よりもスキンシップの多い奏はちょっとうざい。
「カナデ、帰ったか。しかし、お母上がまだ帰ってきておらぬのじゃ」
「えっ、お母さんが? 何か用事でもあるのかな」
「そのような事は聞いておらんの。買い物に行ってくると言ったっきりじゃ。昼までには帰ると言っておったので、流石に心配なのじゃが……」
「うーん。お母さん自分の携帯持ってないし……ちょっと探してくるね」
「頼んだ。もし帰ってきたら連絡を入れる」
「お願いーっ!」
奏はそう言って鞄を置くと制服のまま外に出る。雄介はまだだ。春休みの宿題が終わってなさそうな雰囲気だったので、残されているのかもしれない。
そうして奏か紫苑が戻ってくるのを待っていると、また電話が鳴り響く。
奏からかと相手の番号も確認せずに電話を取る。取ってからそれが非通知なのに気付いたが、紫苑の可能性もあったので応対をする。
「もしもし、不知火ですが」
のじゃのじゃ喋りだが普通の会話もできる。普通の会話よりそっちの方が楽なので普段はその言葉遣いだ。
電話口からは男の息、それから声が伝わってくる。
「女は預かった」
いたずら電話かと思い即切ろうとして、嫌な考えが脳裏を過る。
朝から続いた非通知、そして帰ってこない紫苑。まさかこれは、本当に誘拐事件なのでは。
「女とは誰のことか」
「
天上院という名に聞き覚えは無いが、恐らく紫苑の旧姓なのだろうと予想する。
「其方の要件は? これは犯罪だ。自分が何をしているのか分かっているのか?」
「理解しているし女に手は出していない。中々電話に出なかったのには苛立ったが、それだけだ」
「朝からの電話はお前か……一体何が目的だ」
「直接会って話がしたい。これから指定する場所に来て貰う」
「嫌だ、と言ったら?」
「この女には死んでもらう事になる。良く考えるんだな、帝」
「――貴様、何者か」
そこで電話は途切れた。
自分を帝と呼んだ存在、恐らくは奏や源十郎と同じ転生者。
これが罠だと言うことは分かる。自分が行った所で紫苑が解放されるとは限らない。
一度、奏や源十郎に連絡を入れるべきか、警察にも通報すべきか、そう考えるも、相手が此方を分かっている以上、何等かの方法で監視されている可能性が高い。下手を打てばそれこそ不利に動くだけ。ならば一度、相手と会ってその目的を確かめたい。
最悪、自分の身柄と交換できれば良いだろう。この身は既に死した体、今更死など――恐ろしい。やはり死ぬのは恐ろしい。それでも、紫苑の無事が確保できるなら、この身に変える理由はあった。
「全く、平和な日常もこれまでか」
そう嘆くように呟いて、先日奏に買ってもらった春らしいワンピースに着替え外に出る。
日常の終わりが近づいていた。
※
「ふう……やっと帰れる」
チグサの予想は的中で、春休み明けの始業式から雄介は教室に残されていた。
奏たちの通う高校は二年と三年はクラスが同じ、それなので引き続き同じ教師とクラスメイトになった雄介は、提出する課題が終わっていない事もあって先生のお怒りを食らい終わるまで残される羽目になった。
雄介以外にも数人残っていたのが幸いか。ある意味不幸かもしれない。
雄介はやらなかったものは自分が悪いとまあ当たり前のことだが割り切って課題に取り組んでいた。しかし他の生徒同士がくっちゃべっちゃと喋りだした。しかも結構大きな声だったこともあり、職員室に戻っていた教師が教室まで来て課題を増やされてしまったのである。
そんな自分は悪くないのにとその二人を恨みながら、真面目に課題に取り組んでいく。
教師が教室にいないのを良いことに、今度は課題をすっぽかして帰ってしまう生徒がいた。きっと翌日、お怒りになった先生が課題を増やすことだろう。流石にそこは連帯責任にはしないと踏んで、ご愁傷様と手を合わせておく。
ここで真面目に取り組むなら最初からやっておけよと言う話だが、休みの日は休みたいのだ。何故休みの日に働かなければならないのだ。
きっと社会に出て苦労する性格の雄介に未来はあるか。ブラック企業がキミを待つ。
「帰ったらラノベの続き読もっと」
赤になってしまった信号を前に、そんなことを呟いた。
学校の朝のホームルーム前にある読書の時間。そこで読むには恥ずかしいちょっとえっちなイラスト満載なライトノベル。家にあるそれの続きを読む為に少し急ぎ足になる。
エロとバトルの交わるそれは、三度のアニメ化の後、制作会社を変えて四度目のアニメ化も果たした人気作だ。雄介はねこまた妖怪のキャラが好きだったりする。
そんな誰も興味が無い雄介の嗜好はさておいて、考え事から顔を上げると既に信号は青、幼稚園児くらいの女の子と手を繋いだ若奥さんが歩いているのが目に入る。
綺麗な人だなーと後ろから女の子と話す奥さんの横顔を見つめる。女の子の方も育てばきっと可愛くなると何やらよからぬ妄想に浸り、視線に気づいた若奥さんが後ろを振り返ったのでそっと横に顔を反らした。
その視線の先、つまりは車道の方から、猛スピードで走るトラックが目に入る。
若奥さんと女の子の位置が逆だったなら、若奥さんもそのトラックに気付いただろう。女の子は母親との会話に夢中で、そのトラックに気付いていない。
「危ない!」
そう大声を出す。突然何をと思いながら、雄介が指さすほうを見てようやくトラックが迫っていることに気付いた。
あっ……これは死ぬ。そう思うと同時、体が勝手に動いていた。
今まで何冊ものラノベを読んできた。転生者も読んでいる。まさか家族にその転生者がいるとは思わなかったが、ファンタジーな世界は実在するのだと知ることができた。
だからだろうか。自分でも驚くくらいのスピードで駆け、二人の親子を突き飛ばす。怪我くらいさせてしまったかもしれない。これ、でも、突き飛ばしただけじゃトラックがこっちに気付いてハンドル切った時に巻き込んでしまう可能性あるんじゃね、という最悪のパターンが浮かぶ。どうせ切るなら俺と親子を回避してくれよと突き飛ばしながら横を見る。ああ、このルートなら撥ねられるのは自分だけだな。安心した。
走馬灯。死を目前に色んな記憶が同時に浮かぶ。あるアニメで、それは生き残る為に必要な情報を脳が引き出す為、フル回転しているみたいなことを言っていたのを思い出した。
上手くいけば助かるかも? どうやって? あ、これ死んだわ。
転生特典は何にしようかな――やっぱり怖い。死にたくない。
思い切り目を瞑る。痛みは一瞬でお願いしますと神に祈る。その願いが届いたからか、一向に痛みはやって来なかった。
「……っ……あ……?」
ゆっくりと、目を開く。
トラックは止まっていた。
その上に、黒く巨大な蜘蛛のような化け物を乗せながら――。
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