ノアの箱舟
イザナミの標的となり滅びた共和国だが、生き残りもいた。
彼らはワームホールシステムを使い何とか共和国を脱した後、安住の地を求め旅立った。
マシンナーズも何機かいるが、一機を除きそのどれもが旧型。そもそも脱出できたのも、辺境の地に住んでいた者たちばかりで、ワームホール研究が行われていた施設の者たちが自分たちだけでも助かろうとした結果、家族や友人を何人か乗せて戦っている仲間を見捨て逃げ延びた形になる。
それなのでマシンナーズの搭乗者たちも決して強い者はおらず、仮にイザナミが襲ってくればすぐに壊滅するであろうメンバーばかりであった。
「追手は来ないか?」
そう言うのも何度目だろうか。既に共和国から逃げて一年は経っている。最早口癖と言っても良いだろう。
追手が来ないのはイザナミが休眠状態だからだ。一部逃げた人間がいることは分かっていたが、それを追うよりまずは回復に努めたい。逃げた人間はいつでも殺せる者ばかりだし、その内の野垂れ死ぬだろうと予想していた。
予想外を起こすのはいつも共和国なので、まさか食べられそうな獲物がある惑星に寄り道しては、そこを拠点にできるか考慮し、やはり危険が多く無理だと判断、さらなる安住の地を求め旅を続けている船団がいるとは思いもしなかった。
ノアと名付けられた移動型のコロニーにはこれまで立ち寄った星々から得た幾つもの物資がある。中でもノアのエネルギー源に出来る鉱石が手に入ったのはかなり大きい。
この鉱石から微量ではあるが常にエネルギーが溢れ出ている。もしかすると消える日もあるのかもしれないが、暫くはこのエネルギーを使いノアを稼働し続けられる。
このままコロニーで生活を続けることも可能だが、そういつまでも続かないだろう。最悪の事態は常に想定し、想定できたからと言ってそれを回避できるものではないのも理解していた。
もしエネルギー供給が止まってしまえば、この船はそこまでなのだ。
ノア――唯一生き残った民を乗せた船は、今日も旅を続ける。
※
一通り町の案内を終えた奏はチハヤと共に家へと帰ってきた。
空を見上げれば朱色の綺麗な夕焼け空が広がっている。
「綺麗な夕焼け」
「ううむ……」
奏の言葉にチグサは同意せず軽く唸った。
それもそうだろう。チグサにとって朱色の燃えるような夕焼けは、燃える帝都を思い出させる。
転生し十五年が経ちさらに記憶を取り戻したのがつい朝方な奏と違い、チハヤは自害の後にこの世界にやって来た。
彼女にとって昨日の出来事、それが脳裏にちらつくのは仕方のないことだ。
「だーいじょうぶ。この世界に兵器はあるけど、今の私たちにそれは関係ない。ただの小市民な私たちが、戦いに加わることはもうないよ」
「本当かえ? カナデがそう言うと嫌な予感しかしないんじゃが」
「もーっ! フラグだって言いたいのかな?」
奏はチグサのほっぺをつねるとぐにぐにする。餅のようにというのは比喩だが、それくらいに柔らかい。
帝にそんな不敬な行為して大丈夫なのかって話だが、この世界に来た時点で帝も何も関係ないだろう。これがゲンジュウロウとかならきっとチグサを見た瞬間に恐れ多くて土下座し始めるかもしれない。
とか考えていると、家の駐車場に車が止まった。車の中から仕事に出ていた奏の父が姿を現す。
チグサはその男性を見た時、誰かに似ていると感じた。目の前にその血を継いだ奏がいるのだからそれだろうか? もっと別の誰かに似ているような。
「お……おお……おおお……」
「おおお……?」
奏の父が震えた。口からはおという単語を繰り返す。奏は父が何をしでかすのかおもしろ半分で見ながらその単語を反復した。
チグサもこの男はどうしたんだと困惑していると、突如奏の父が土下座した。そりゃもう何かの芸かと思うようなジャンピング土下座だ。奏は笑いが堪えられなくなり、チグサの横で口を押さえている。
初めて見る男、恐らくは奏の父だろう人物のその奇怪な行動に狼狽えるチグサ。そんなチグサの目の前で、男は大声で叫んだ。
「聖下ぁッ! 申し訳ありませぬぅッ!」
「ひょへっ!?」
チグサのことを聖下と呼ぶのは後にも先にも忠臣ゲンジュウロウただ一人だ。
確かに雰囲気はゲンジュウロウに似ている。誰かに似ていると思ったのもその姿と被って見えたからか。しかし壮年の男性と言った風体の奏の父は老年の戦士だったゲンジュウロウとは似ても似つかない姿だ。それを言えば奏もそうなので、もしかしたらと、そんな考えが頭を過る。
「ちょっとお父さん、近所迷惑だから続きは中でね」
「あ……ああ……しかし」
奏はチグサを目で促す。意図を読み取ったチグサが奏の父に声をかけた。
「よい、中に入ろうぞ」
この家の大黒柱に何たる言い分、童無礼じゃなかろうかと心配になるチグサであった。
リビングにそれぞれが座る。奏の母がにこにこ笑顔でお茶を出す。
父はチグサの向かい側に座り、チグサの隣には奏が座った。雄介はきっと自室でイヤホン両耳に推しのバーチャルキャストのカラモモの配信をパソコンで聞いていることだろう。所謂ガチ恋勢でそれ関連の書籍は買い揃えているし出しているグッズは買うしASMR音声はPCとUSBとHDにそれぞれ保存しCDにもそれぞれ三枚に分けて保存している。たまに夜中にごそごそやっているのは知っている奏であるが、兄の気持ち悪い部分を知っていても知りたくないので無視している。そいつ男だよとは決して言わない。母親にそれとなくお兄ちゃん男が好きみたいと漏らしたことで男友達を家に連れてくる度にそわそわさせたのは申し訳ないと思っている。
「チグサ、紹介するね。私のお父さんの源十郎」
「やはりか……ゲンジュウロウ。お主もこの日本に転生しておったのじゃな?」
「はッ!」
と、まるで軍人みたいな声を出して立ち上がり敬礼するものだからキッチンからそれを見ていた母困惑。
「あなた……」
その姿を痛いものを見る目で眺める。
「お父さん座って。恥ずかしいよ。と言うか、ここはもう帝国じゃないんだから、チグサにも普通に接してあげて」
「そうは言うが……と言うか奏。お前、何で聖下のことを?」
「そりゃ私がカナデ=シラヌイだからじゃない?」
「なっ……い、いつからだ。何時からその記憶が……まさか最初からっ!?」
源十郎はイザナミの一件があったせいか、最初から全部知ってて自分を騙していたんじゃないかと疑心暗鬼に陥る。
覚えていたから何だと言う話だが、小さい時に赤ちゃん言葉で接していたのとか、そういうのも覚えているならちょっと恥ずかしいのだ。
「今朝から!」
「最近だな!?」
「そりゃそーだ。お父さんは?」
「俺は十七の頃……紫苑と……その」
ごにょごにょと小声になる父を見て、何かを察した奏はいいよいいよと手を振った。初夜かな? 奥手でキスからだったりして。詮索はよしておこう。母のいる前では。
「シオン……?」
「うん。お母さんの名前だよ」
「そうか」
「はーい。紫苑でーす」
俺は……の時点で小声だったこともあり、何を言おうとしたのかは気付かれていないようだ。自分の名前が出たことで何となく返事をした紫苑。この女、実は異世界に聖女として招かれていた事もあってか、不思議な事には慣れていた。実は回復魔法が使える。有能。
そんななので、付き合い始めた頃、実は前世の記憶があると言った源十郎に対し「あらそうなの」で済ませている。今もその前世とチグサちゃんはきっと関係があるのねーと口出しすることは無いだろうからキッチンでひたすらお鍋をことことしていた。
奏は父に座るように促す。ゲンジュウロウはチグサの方を見る。チグサははよ座れとさらに促し、やっと腰を落ち着けた。
「申し訳ありませぬ聖下。本来なら私は出雲に沈むはずの身。それがこうして門出を受け、この国でのうのうと……幸せに生きようなど……」
「幸せに暮らしているのなら別に良い。童も出雲に沈むはずだったのじゃ。カナデに続きゲンジュウロウもいるとなると、他の者もこの国、或いは別の国か? そちらに転生しているかもしれんのう」
「その可能性は高いかと。まさか娘が転生者だとは思いませんでしたが」
「む? そうなのか。ならば名前は偶然カナデなのじゃな」
「はい」
「お主にとってカナデは娘も同然じゃったからのう。その名を付けたら名前の元になったカナデじゃった、という訳か」
「そうなります」
天神帝国でカナデは孤児だった。国内でかつて起きた内戦で両親を亡くしている。それを引き取ったのがゲンジュウロウだ。
ゲンジュウロウは不能で陰茎が起たなかった。何度か女性と付き合ったこともあるが、彼が不能だと知るとそのまま別れを告げられた。
チグサの亡き両親とも友人で、チグサが帝に選ばれた際にはその近衛として付き従った。帝システムと呼ばれるイザナミによる帝の選出は帝の死と共に行われる。チグサはそれによって選ばれた帝であり、彼女が選ばれた頃には本当の両親は既に亡き者とされていた。もしかすると、イザナミによる計画によるものかもしれない。
ある意味で同じ境遇であるカナデにチグサは同情し、世話係となった。八歳差の二人はまるで姉妹のようであった。
源十郎は一人目の娘は奏にすると決めていた。二人目が生まれたなら千草だ。男はいらんと考えていたので、雄介が生まれた時には紫苑に名前を決めさせた。男だったからと言って愛情を注がない訳はなく、それはもう溺愛した。息子が男に恋していると妻から聞いた時には倒れそうになったが、それもまた一つの道かといつその事をカミングアウトされるのかとハラハラドキドキであった。別に雄介はちゃんと女が好きなので寝耳に水な話なのだが、そのことが明らかになるまで家族の勘違いは続くだろう。勿論奏は確信犯である。
因みに桜花戦団で名乗っていたカナデ=シラヌイのシラヌイはなんとなくかっこいいから名乗っていただけで、本当はカナデ=ミチタカだった奏である。今生で不知火という格好良い苗字なのをかなり気に入っている。
そんな奏はあの頃のチグサはちっこくて可愛かったなあ、今もちっこいけどと思う。思っただけならまだ良かったのに、口に出していたようで。
「ちっこいとは何か! ちっこいとは!」
と激おこぷんぷんに頬を膨らませている。その頬をにぎにぎする。面白い。
「カナデやめんか! ああ、何たることを……」
「にょい……ごほんっ! よい。まあ、なんじゃ。暫く世話になる……」
「暫くと言わずずっといてください大歓迎です!」
源十郎に快く迎えられ、改めてチグサは不知火家の一員となった。書面上は存在しない子なままなので、問題は一切解決していなかったりする。
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