第一章『星の涙が降り注ぐ街』 その1

 なにせ《ながれみやの氷点下男》と言ったら、評判最悪のクズ野郎である。

 いわく、れいこくで冷血、人の心がない、感情というものがしている──エトセトラ。

 うわさでは、彼はなのだという。

 凍りついていて。動かない。心が完全に停止しており、人の気持ちがわからない。

 だからいつも他人に心ない言葉ばかり告げ、どんな恩を受けても返さず、親しい友人の名前さえ覚えていない、というより他人を友人だと思ったことがない。

 まあ要は、ものすっごくひどやつであるらしく。

 そして名前を──どうやらふゆつきおりというらしかった。

「一説には人間じゃないとまで言われてるらしい。ながれみや高校七不思議のひとつだな」

 と笑うように告げられた言葉に、どう反応していいのかわからなかった。

 だから結局、いつもの通りに、僕は皮肉を応酬する。

「よかったじゃないか、とお。その七不思議と今、目の前で会話ができてるぞ」

「ふむ。それについてだが、冬月。俺はひとついいことを学んだよ」

「聞くだけ聞こう」

「いや何、不思議とされてるものなんて、実際に目にするもんじゃないなっつー教訓だ」

「遠野にしては含蓄を感じる言い回しだな。で、その心は?」

「そりゃ決まってる。実は大したことがないって、つまんねえ現実に直面するからだ」

「…………」

「おっと、さすがは《氷点下の男》。ゾクッとくる目だ」

 ご大層な二つ名を頂き何よりでございます──とか言うべきだろうか。まあいいや。

 六月二十四日、月曜日。放課後の教室に僕はいた。

 異性とふたりきりならロマンもあれど、クラスメイトの男に「またお前の悪評を聞いたぞ」なんて報告されている状況は、いささか以上に健全じゃない。

 というか、いわゆる陰口に相当するものを、噂されている当人にとして持ってくる遠野かけるという男が、そもそも不健全の塊みたいな奴だった。

 僕が気にしていないから、というのもあるけれど。だからって嬉々とすることはない。

 高校生活も二年目に突入して二か月ちょっと。

 一年目から全力で最悪の評判だった僕と、それでも会話くらいはしてくれるしような友人であることを思うなら、あるいは感謝のひとつくらいするべきなのかもしれないが。

 なにせ氷点下男なんて二つ名を頂戴してしまう僕だ。漫画の登場人物みたいで悪くない気分だよ、とかいぎやくを飛ばすことはあれ、今さらありがとうもなかった。

「で、遠野。今日はまたなんで残ってるんだ?」

 一階の教室にいる僕に対し、遠野がいるのは窓の外側──裏庭だ。

 染めた茶髪の高身長というチャラい容貌。遊び歩きたいがゆえの帰宅部。そんな遠野という男が、放課後になってまで学校に残っているのはな事態だ。

「というか、なんで裏庭だ? 隠れて煙草たばこを吸うってタイプでもないだろ、お前は」

「それも悪くないが」絶対に思っていないことを言うときこそ、とおかけるは笑う。「今日はちょいとようがあってな。それが終わったら、教室にお前が見えたんで声かけたのさ」

「表現は正確にしとけ。僕がいたからじゃなくて、僕しかいなかったから、だろ?」

 遠野はそういう男だった。

 僕は評判が悪い。男子はともかく、特に女子からはかつごとく嫌われている。

 そんな僕と仲がいいなんて、間違っても言われたくないだろう。遠野は僕を無駄にいとうことこそないが、だからって無駄にかばったりもしない。いつも適切な距離を保っている。

 ともだちのない男はからからと笑って。

「なんだよ、寂しいのか?」

「……いい挑発だな。かなりイラっときた」

 そう答える僕に、遠野は愉快そうに肩をすくめた。

 結局、この程度がお互いに適切な距離感なのだと思う。下手に踏み込まず、普段は僕を無視してくれる。僕にとっても遠野にとっても、それでちょうどいい。

「いや。実はさっきまで、ちょいと後輩の女の子と密会してたもんでな」

「それで裏庭にいるわけか。確かに、この教室の窓側は普段、通らないからな……」

「かなりかわいかったぜ、マナツちゃん。一年の中じゃトップ級だろうな」

いてないんだよなあ別に……」

 遠野の顔と態度にだまされたあわれな下級生が、特攻でもしてしまったって感じか。

 かわいそうな話だ。マナツちゃんとやらを思うと、僕も同情してしまう。

「あんまり幼気いたいけな一年生を騙してやんなよ。これで何人目だ?」

「人聞きの悪いこと言いやがる。まだたった三人だよ。一年だけならな」

「だとしたら悪いのは人聞きじゃなくてお前自身だっつの。あんま派手なことすんなよ」

「へえ、どうして。氷点下男さんも後輩のことは心配だってか?」

「いや巻き込まれたら面倒臭いし」

「なるほど。そりゃ最高だぜ、マイフレンド」

 実際は、そんなことにはならないだろうが。遠野が普段、どこで誰と何をしているのかなんて僕は知らない。興味もない。遠野だって、それを僕に言う気はないだろう。

 ……いったい僕はなぜこいつと友人なのだろうか。ときどき本気でわからなくなる。

「おっ」

 そのときだ。遠野が何かに気づいたような声を上げた。

 直後、がらりという音が響く。ひと気のない教室に誰かが来たようだ。

 窓から扉のほうを振り返った僕の視界に、ひとりの女子生徒の姿が映った。……ああ。

「──なんでふゆつきがいるわけ?」

 僕の姿を認めるなり、彼女は実に憎々しげな声音でそう言った。

 一瞬だけ、僕は窓側に視線を戻す。

「……この野郎」

 小さく、そんな声がこぼれたのも仕方ない。

 とおはしゃがみ込み、窓の陰に姿を隠していた。もうそのままどっか行けよ。

 僕は諦めて視線を扉側に戻す。それから言葉を探して。

「あー……よう、しろ。部活は終わりか?」

 返答は、だいたい予想通り。

「は? なんであんたにそんなことかれなくちゃいけないわけ?」

 敵意を隠そうともしないとげのある言葉。

 本人には言えないが、正直ここまで露骨だと逆に安心する。

「邪魔なようなら出ていくけど」

 一応、言った。彼女──与那城れいは、僕の声を聞くのも不快だと顔をゆがめ。

「っ──先にいたの、あんたのほうでしょ。何それ」

 心の底から嫌そうな表情。

 僕のことが本気で嫌いなくせに、やけに公平だから不器用なやつだ。いっそキモい出てけ消えろむしろ死ね──くらい言ってくれても構わないのに。

「待ち合わせしてるだけだから。別に廊下で待ってればいいし。あんたは勝手にして」

 言うなりきびすを返し、教室を出ていこうとする与那城。

 止めたところで聞きそうもないが、追い出す気はないのだ。めてみる。

「あー……別に教室の中で待ってても、」

「ふざけないで」

 一刀両断。与那城は僕から顔を背けて、小さな声でこう続けた。

「あんたと……今のふゆつきに、顔合わせてほしくない。そのくらい察して」

「……待ち合わせ、陽星とか」

「死ね」

 ばたん!という大きな音が響く。勢いよく扉を閉めすぎだろう。

 与那城の足音が、そのまま教室から離れていくのが聞こえた。廊下で待っているという選択肢すら却下されたらしい。僕としても、出にくくならずに済んだわけだ。

「……ほんと悪いな、玲夏」

 こうして直接、言葉を向けられるのも最近じゃまれだ。

 極力絡まないようにはしているのだが、今日は居残っちゃったからな……失敗だった。

「ほんと、どうやったらこんな嫌われんだ? 久々に見たけどまあ怖え怖え」

 独り言に反応して、隠れていたチャラ男が顔をのぞかせる。逃げていなかったのか。

「昔は仲よかったんだろ? 中学の頃はつるんでたって話じゃん」

「仲がよかった風に見えたのか、今のが? めちゃくちゃ嫌われてんだろうが」

れいじゃねえよ。今のはちゃんのほうの話」

「…………」

 クラスが同じしろは当然、隣のクラスの陽星のこともとおは知っている。面倒な。

「中学の頃の元カノなんだろ、陽星ちゃん。にしちゃ、お前としやべってるとこ見たことねえけど。クラス違うとはいえ極端だよな。あっちとはけんしてるわけじゃねえんだろ?」

「……元カノじゃねえよ、そもそも」

 そんな事実はない。確かに中学の頃は与那城とも、だか陽星ともいっしょにいた。

 だが今はそうではない。それだけの話だ。

「適当なこと言うな。誰から聞いた、そんな話」

「女の子」

 張り倒したい、この男。

 もちろん、そんなことはしないけれど。氷点下の男は感情を表に出さない。

「さっさと帰ったらどうだ、遠野。どうせ大した興味もねえだろ」

「レミちゃんとの待ち合わせは七時なのー」

 軽薄な表情で遠野は笑う。

 これ以上、踏み込んでは来ないやつなのがありがたかった。だから僕も話題を変えて。

「誰だよ知らねえよ、マナツちゃんどこ行ったんだよ」

「マナツちゃんとは明日デート。惜しいよなー、でも先約あっちゃな、しゃーねーさ」

 からから笑う遠野だった。そのうち馬に蹴られればいい。

「僕はそろそろ帰る。じゃあな」

 方針転換。もう少し時間を潰したかったが、また与那城とぶつかる前に逃げ帰ろう。

「で? 結局、お前はなんの用で残ってたんだ?」

 と、遠野に問われる。さてはそれがきたかったのか。

 少し考えてから、僕は答えた。

「……僕がこれからどこに行くのか、興味あんのか、遠野」

「待ち合わせの相手が女の子なら、多分にな」

おりだよ」

 名前を告げると、遠野は盛大に顔をしかめてこう言った。

「──それは女子じゃねえ」

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