第2話 再会と、それから
学校からの帰り道、歩道橋の階段から落ちたら異世界に飛ばされた。
それはまあ、いい。にわかには信じられないけれど小説や漫画でそんな話を読んだことがあるからきっと、そういうこともあるのだろう。
飛ばされた先で最初に出会ったのは、その国の皇太子だった。優しくて、お人好しで、びっくりするほど顔がいい王子様。なるほど少女漫画か乙女ゲームの展開だ。
異世界から飛んできた少女を『運命の相手』だと思い込んだ皇太子は、婚約者であった貴族の令嬢に向かって婚約破棄を言い出した。これはまずいと思ったし、実は皇太子が気がつかないところで大変な事実が――その令嬢も実は異世界からの来訪者だったことが判明したのだけれど、しかしだからこそなのか、それから大きな問題は何も起こらなかった。
これが異世界を舞台にした物語ならば、自分はメインヒロインなのだろう。皇太子が王位を継いで新たな王となり、その隣で王妃となって戴冠した時に、そう思った。そう思わないわけにはいかなかった。
かつて世界の脅威であった魔王は、少女が訪れる少し前に倒されていた。倒したのは異世界から来訪した勇者だという。伝説の勇者と同じ異世界から来た少女は真っ先に皇太子と出会って結ばれ、婚約を破棄された令嬢が仕返しをしてくる様子もない。
――元の世界にいた頃に、主人公補正というものがあると聞いたことがある。特別な能力や才能が何もなくても、主人公であるというただそれだけで全てがうまくいくようにできている。そうやって物語が進んでいく。きっとこの世界では自分がそうなのだろうと、やがて疑うこともなく信じるようになっていた。
反乱軍が王都を墜とすその日までは。
自分の気のせいだと思ったのに、というよりも気のせいにしたいと思ったのに。
学校帰り、夕焼けで人々や建物が赤く染まった駅前の雑踏。人ごみの中で偶然目が合った男が、セーラー服姿の少女の視線に気がついて近づいて来る。
「嘘でしょ」
「ということは、俺の気のせいでもなかったんだな」
しまった、目が合っても何も知らないフリをすればよかったのだと、気がついた時にはもう遅かった。
どうして、なんで、よりにもよって。戻ってきた世界で最初に出会う相手がこの男なのだろうか。
「最悪」
「なんだよ、苦しまずにちゃんと殺してやっただろ?」
「めちゃくちゃ痛かったんだけど!」
「それはさすがに仕方ないだろ」
そう言って苦笑を浮かべた、目の前の男の顔には確かに覚えがあった。あの時よりもずっと若く見えるが間違いない。何より、他の人間であればこんなおかしな会話が成り立つはずがない。
異世界で殺されて、元の世界に戻った王妃が再会したのは、自分を殺した反乱軍のリーダーだった。
「王妃様も、こうして見るとただの女子高生なんだな」
「元からただの女子高生なので」
好きなの奢ってやるから少し付き合え、と。言われて入ったスタバで素直にフラペチーノを買ってもらってしまった。そのまま二人で公園のベンチに並んで、少し間を開けて腰掛ける。さすがにこれから話す内容はどうしたって駅前のスタバでするには物騒すぎる。
「そっちは? 制服は着てないみたいだけど」
「定時制なんでね」
制服は必要ないらしい。そう、とだけ答えて、そこで会話が途切れた。
そもそも二人の関係が微妙すぎる。殺された王妃と、殺した反乱軍のリーダーだ。お互いの名前すら知ることがなかったというのに。
「そうだ、名前知らない」
「リョウ。古久保僚。あんたは?」
「……千崎百合」
「ああ、だからドレスに百合の花の刺繍が入ってたのか」
なるほどなぁと納得した様子の相手を、きょとんとした顔で眺めてしまう。
「どうした?」
「そんなところに気がつくと思わなかったから、驚いて」
「そりゃ、あんたの死体を抱えて運んだのも俺だからな」
どうしても話の流れが物騒になってしまう。仕方ない。仕方ないのだけどつい、もったいないと思ってしまう。
百合の花の刺繍のことは誰にも言わなかったし誰も気がつかなかった。今ここで、初めて人から指摘されたのだ。
「向こうではユリアって呼ばれていたから」
「ユリア王妃。そういえばそんな感じだったなぁ」
「あのさ、ひとつ聞いても良い?」
再会して気になったことがある。
百合が向こうの世界にいたのは九年だった。それが短いのか長いのかわからないが、こちらで階段から落ちて意識が戻らなかったのはたった二、三日のこと。だから向こうで死んだ時の年齢ではなく、女子高生の姿のままここにいる。
目の前の相手と向こうで顔を合わせた時、九年分の歳を重ねた自分よりももっと年上であるように見えた。それなのに今は同じ高校生として並んでいる。
「古久保さんはいつ向こうに行って、いつ帰ってきたの?」
「行った時期は半年くらい前かな。帰って来た時期はたぶん、あんたと変わらないと思うぞ」
「なんで?」
「反乱軍はすぐに鎮圧されて、全員処刑されたから」
予想もしていなかった答えに、返す言葉がすぐには出てこなかった。
自分が殺された後のことは当然何も知らないが、けれども彼と、彼が率いた反乱軍はクーデターを成功させた、はずだったのに。
「処刑、されたの?」
「そりゃされるだろ。王と王妃を殺したんだから」
「でもだって、それは、あの国の人たちのためでしょ?」
「もちろん俺はそのつもりだったけど。それをあんたに言われるとはなぁ……おい、なんであんたが泣くんだよ」
「だって、」
そんなつもりはないのに、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちてしまう。彼と目が合ってからずっと情緒がぐちゃぐちゃだ。
自分があの場で殺されたのは、決して認めたくはなかったが仕方のないことだとも思っていた。理由があったし、それを察していた。そして"何もしなかった"自分の非を理解している。
だからこそ彼の前でまっすぐに立ち上がって見せたし、それに終止符を打った彼は自分とは違うのだと。そう思ったのに。
「かわいそう、とかじゃなくて、そうじゃないけど、」
「哀れに思われるのは屈辱でしかないって、言ったのはあんただもんな」
「そう。そう、だから、これは、」
怒りの涙、なのだと思う。あの世界への。
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