第3話 二度目のルート選択
日はすっかり落ちてしまったが、夏が過ぎても残暑が残る夜にはまだ、生暖かい空気が残っていた。
そんな夜の公園のベンチで、溶けかけたフラペチーノの透明なカップを抱えたまま制服姿の少女がぼろぼろと泣いている。
「さすがに見られたら気まずい光景だろ、これ」
「どうせ別れ話がこじれたカップルにしか見えないよ」
「それこそ、知り合いには絶対見られたくないやつじゃないのか……」
控えめに文句を言いながらも立ち去ることなく、古久保はそのまま百合の隣に座っていた。
「いやならどっかに行けばいいじゃん」
「見られたら気まずいだけで、嫌ってわけじゃない。……たぶん、俺が死んだことで泣いてくれたのは、あんたが初めてだから」
ありがとな、と。小さく投げられた声に驚いたことで、やっと涙が止まった。ずびっと鼻を啜った百合は相手の顔を眺める。
「いないの? 誰も」
「泣いてくれそうな仲間は俺より先に処刑されたし。俺が最後だったから」
そして仲間の他に知る者もいない。異世界から来て、反乱軍のリーダーに祭り上げられた男のことを。
「別に、あんたのために泣いてるわけじゃない、けど」
「わかってる。それでも自分以外の誰かが知ってくれる、それが何であれ何かを思ってくれるっていうのは、やっぱり違うもんだなって思ったんだよ」
その気持ちは百合にもわかる気がした。
鞄から取り出したポケットティッシュで鼻をかみ、タオルハンカチで目元の涙をぬぐいとる。はーーーっと肺の奥から吐き出すように深いため息をついて、気持ちを改めて顔を上げる。
「こっちで目が覚めた時、”あの世界”の出来事は夢だと思った」
「そうだな。俺も思った」
「信じられないし、誰にも言えないよね、こんな話」
そして誰かに確かめることもできなかった。夢だと割り切ってしまうにはあまりにも何もかもがリアルで、最後に感じた痛みまではっきりと残っていた。
「だから、ずっと一人で不安だった。階段から落ちたせいで頭がおかしくなって、夢と現実の区別もつかなくなったのかなって。それに、誰かに話を聞いて欲しかった。もう終わった話だけど、やり直すこともできない過去のことだけど」
自分で決めた選択とその先にあった結末を、あの時たしかに受け入れた。その覚悟を”夢だった”で終わらせたくはなかった。
だからここで彼に会えて良かったのだと思う。気が付かないふりをしたかったし、最悪だとも思ったけれど、改めて考えれば向こうにいた自分を知っているこちらの人間はあまりにも限られている。彼か、彼女か。自分が知っているのはそれだけだ。
――自分を殺した彼か、婚約者の座から蹴落とす形になってしまった彼女か、というどうしようもない選択しか残されていなかったことには、さすがに不満が無いわけでもないのだけれど。
「え、でも、どうしよう。私にはもうあんたしかいないのに、どうしたら良いのかわからない……」
彼女と巡り合う確率は低そうだし、再会したところで彼女が自分の相手をしてくれるとはとても思えなかった。つまり自分にとって”あの世界”を共有できる人間は目の前にいる男しかいない。
その関係があまりにも微妙で、物騒で、向こうで顔を合わせたのが最後の一度だけだったとしても。
「とりあえず、連絡先交換するか?」
「……うん」
手にしたままだったハンカチをしまうついでにスマホを取り出して、ロックを解除してLINEを立ち上げる。相手が「これ」と先に表示してくれたQRコードを読み取って、友だちリストに追加する。
先ほどからそうだが、彼はちょっとしたところでとても親切だ。こちらが何かを言う前に、あるいはどうしようかと悩んでいる間に、自然と何かを提案してくれる。
かつての伴侶であった皇太子は、王となった後も優しくてお人好しで、しかし決して親切ではなかったと思い出してしまう。そんな相手に嫌われてしまわないように、控えめに、笑顔を浮かべながら。その内心では死に物狂いだった日々。
優しい王はお人好しで、しかし本当にそれだけの人だった。ただの女子高生からお飾りの王妃になった百合でも、ずっと隣で見ていればわかる。彼は統治などできる人ではなかった。
彼は先代の王妃であった母親から、『父王のようにはならないように』と言い聞かされて育ったのだと聞いた。父王は問題の多い人ではあったが、しかしだからこそ、それを補うためのバランス感覚に優れていたのだろうと今になって思う。
優しいだけの王の指示のひとつひとつが、間違っていることに百合は気が付いていた。だけどそれを指摘することはできなかった。日々刻々と悪化していく状況を黙って眺め、離れていく臣下たちの背中を王の隣で見送ることしかできなかった。
そのせいで苦しんだ人たちがいたことも、わかっている。けれども何も知らない、何もわからない自分が何か行動を起こしたところで、状況がよくなるとはどうしても思えなかった。
そうやって何も言わない、お飾りの王妃であることを選んだのは自分自身だ。そしてその先に用意されていたあの結末は、そんな自分に相応しいものだったのだろう。簡単には認めたくはないけれど、仕方のないことだとも思っていて。
だからこそ。
「やっぱり最初に、あなたと出会いたかったな」
ぽつりとこぼしてしまった言葉に、相手が少し驚いたような様子を見せた。その顔を見て、懐かしいな、と思うと同時に、慌てて挙げた両手を勢いよく振り回す。
「違う! 待って! 今のなし!」
「俺はそう思ったけどな」
真顔で返された相手の言葉を聞いて、挙げた両手もそのままに固まってしまう。
「なん、て?」
「あんたとあの大広間で会うまで、飾り物の王妃なんてどうせ泣いてるだけで何もできないだろうって思ってた。だから不憫なことだと思った」
そう思いながら相対し、憐れみを向けた相手から返ってきたのは激しい怒りの視線だった。
「泣き言ひとつ言わずに、堂々と啖呵を切ったあんたはイイ女だったよ」
「イイ、おん、な」
「悪い。言い方が古いな……」
そうじゃなくて、えーっと、と困ったように上を見上げて言葉を探す。
「もっと違う出会い方をしたかったな、って。思ったんだよ」
血に濡れた剣を振り上げながら。
何もわからない異世界で、限られた選択肢の中で。それでもその道を選んで進んだのは自分自身だった。だから反乱軍のリーダーとしての終焉も、その選択の先に用意された結末だと受け入れた。
自分も相手も、そうやって”あの世界”を生きることを選んで、殺して、殺されて。この世界に戻って来た。そしてもう一度この場所で出会った。今度はどちらもただの高校生として。
「百合って名前は、今はもういない、お母さんがつけてくれた名前だったの」
大事な名前。王の隣で『ユリア王妃』として生きるために、誰にも呼ばれなくなってしまった名前。
「だから、刺繍に気が付いてくれて、嬉しかった」
「そっか。そりゃよかった」
公園の街灯はベンチから少し遠い地面を照らしている。照れているのか少し顔をそむけた相手の表情は、この薄暗闇の中ではよく見ることができない。けれどもその声色はとても優しかった。あの日、最後に見た気がした視線と同じように。
過去の出会いをやり直すことはできないけれど、その時の結末も変わらないけど。この世界では確かに今日、初めて出会った相手なので。
これはきっと、どちらにとっても二度目のルート選択。
たぶん今度はバッドエンドにならないと、なぜだか信じることができた。
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