生まれ損ない

 「違う違う違う! 俺は――俺は生まれ損ないなんかじゃないっ! 俺は――」 


 血が沸騰する。

 視界がカッと赤く染まるようだ。

 舌がうまく回らない。

 何を言っているのか、ちゃんと認識できない。


 それでも俺は、懸命に否定した。 

 

 俺は――生まれ損ないなんかでは、ない。本当に、ないんだ。




 話の合わないバカは相手にせず、ぎゃあぎゃあうるさいだけの女どもには目もくれず、俺はいたって順調に中高一貫の進学校から日本最高峰の大学に進んだ。そうして優秀な成績を引っさげて意気揚々と就職した会社には、俺を正当に評価してくれる人材はいなかった。やる気があるだけの体力バカをちやほやする一方で、俺のことは口先だけだの偉そうだの学歴を鼻に掛けているだのと誹謗中傷する。そんなバカばかりの会社だから俺は辞めてやった。あんなに誹謗されたのにと思うとタダで済ませるつもりにはとてもなれなかったので、辞める前に一番バカな奴を一発殴ってやった。

 ハローワークみたいな薄汚い失業者のたまり場になんか出入りしようものなら俺の品性まで堕ちると思った。だから転職エージェントに登録したが、どのエージェントも俺にふさわしい仕事を紹介してくれなかった。

 誰も俺の価値をわかってくれない。学校はバカばかりだと思っていたが、結局のところ社会だってバカが支配しているのだ。だから俺のような優秀な人間は妬まれ、排除される。お前のいる場所はないと門前払いされる。


 だから。だから。だからだから――



 『あんた顔真っ赤よ。唾を飛ばすのもやめてよ。汚いわね。

 そうやって必死で言い訳してるけど、あんたって要するに学歴だけで生きて行けると思ってた世間知らずのボクちゃんじゃないの。 

 あんた、そんなだから誰からも嫌われるのよ。自分が能力ないのを棚に上げて人を嫌って、見下して。

 本当、私じゃなくてあんたが、お母さんのお腹で死んでればよかったのに。

 ――この、生まれ損ない』



 あらん限りの侮辱を重ね、俺をせせら笑う声に激高し、俺は吠えた。


 ――みっともない、言い返せなくなったらそうやって獣みたいに喚くのね、私は化け物かもしれないけどあんたは獣ね。


 声が更に嘲笑する。

 軽蔑の色を隠そうともしないその声が、憎い。



 「てめぇは生まれてねぇだろ! 生きて行くのがどんなに大変なのかわかってねぇだろ! 生まれてもいねぇ奴に何がわかる!  

 どうせてめぇは弱いから育たずに死んだんだろ! あぁそうだよなてめぇは弱いから生まれることすらできなかったんだよな!

 ――てめぇこそ、生まれ損ない以外の何者でもねぇだろうがっ!」


 『私だって、ちゃんと生まれたかったし、生まれたらちゃんと頑張って夢を叶えて、結婚して子供を生んで――いい人生を送りたかったわよっ。

 私、死にたくなんか、なかったっ。

 あんたそんなふうに生きてるならいっそ死んだ方がいいでしょっ。

――私に、代わりにちょうだいよその命。その身体。さっさと死んでさぁ』



 自らの左膝でぱくぱくと動きながら俺を嘲笑し、罵倒し、死ねと迫る口。

 コイツが本当のところ何者なのか、考えることなど叶わないまま、声を嗄らして口論を続けた。




 何分経っただろうか――控えめなノックの音が聞こえた。


「賢ちゃん、どうしたの? 今、真夜中よ? お友達と電話? 何があったのかわからないけど――喧嘩はよくないと思うわ。

 それに、お隣に迷惑だから――」


 ババアのおずおずとした声音が癇に障る。

 ――びくびくしやがって、ムカつくんだよ。


 俺は拳を固めて壁を叩いた。三発目か、四発目かで、あっけなく穴が開いた壁にも肚が立つ。

 ――クソ、所詮安アパートだな。クソ、クソ、クソっ。



 「うるせぇよババア! あっちに行け!」

 

 怒鳴りつけると、母の気配は遠ざかって行った。小さく、ごめんなさい――と謝る声が聞こえて、一体何について謝っているつもりなのかと、また肚が立つ。



 少しの間静かにしていた口は、母親の気配が消えるとともにまた罵倒を始める。


『あんた、いつもそうやって母親を威圧してるのね? 男だから偉いとでも思ってる? 本当、最低ね。生んでくれた人に対して、そんな態度を取るなんて。

 ――やっぱり生まれ損ないは、ダメね』









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