バレンタイン

 二月十四日、初木は校内の浮ついた空気に耐えられずにいた。


 あっちを見れば女子がチョコがどうたらとそわそわ、こっちを見ればカップルがイチャイチャ。


 校内をうろうろしそれらを見ては小声で毒づいていた初木だったが、隣を歩く安西が一番浮ついた気持ちでいることには全く気付いていない。


「どいつもこいつも……なにがバレンタインよ全く。2月14日というのは、ローマ帝国において兵士の結婚が禁じられていた時に、本人達の意志を尊重しどんどん結婚させたバレンタイン司祭が罪に問われ処刑された日のことだということをわかっているのかしら。チョコレートがどうとか、そんな甘っちょろい軽さの愛を取り扱う日ではないの」


 そんな愚痴に付き合わされる安西だったが、彼自身が最も初木からのチョコレートを望んでいることに、初木が気付くことは、やはりない。


「そ、そっか……チョコレートはダメか~はっはっは……」


「大体、台所になんて一度も立ったことがないようなはすっぱな女共が、この日に限ってネコを被ってなにがチョコレートよ。本人達はそんなネコを被る自分も可愛いとか思ってるんでしょうけど、元来ネコを被るって、ネコが自分のフンに砂をかけて隠す様のことだから。全く可愛くないから」


「ネコの着ぐるみを被るとかじゃなかったんだ。いや、食欲減退するような話はやめてあげよう。素人の手作りトリュフとかヘンな風に見えてくるから」


 初木からチョコもらえないかな~となおもドギマギしている安西には、その言に同調し、彼女らを強く叩くことはできない。対応に困る安西。


 しかし、二人の見回りが校舎裏に差し掛かったところで、初木のテンションは一変した。


「ううううぅ~!」


 校舎裏にうずくまり号泣する女生徒。彼女の前のゴミ捨て場には、チョコレートの包みが放られていた。


 その姿を見ると、初木は近くの植え込みに自生していた花を一輪摘み、慈母の微笑みを浮かべて彼女に手渡した。


「フクジュソウの花よ。花言葉は、幸せを招く」


「……ウザイ!」


 と、彼女は一転激高し、初木が持つ花をはたき落として走り去っていった。突然の介入に神経を逆なでされた模様。感情の微妙な機微は、初木の苦手分野。今回はそれが災いした。善意でやったのだが裏目に出るとは思ってもみなかった。いつも通りの無表情は崩れていなかったが、目に力がない。初木が落ち込んでいることが安西にははっきりとわかった。


 その後、逃れるように校舎裏から玄関口まで移動したところで、安西はフォローするように初木に先ほどはたき落とされた花を手渡した。


「ま、気ぃ落とすなよ。ホラ、フクジュソウの花。花言葉は幸せを招く。ホラ初木、はなむけじゃあ、なんつってなハハハ」


 それさっきのやつじゃん、とは思ったが、その好意的なジョークはありがたく受け取る初木。


「安西、はなむけというのはね、花を手向けることじゃないの。旅立つ時に馬の鼻を進行方向へ向けることを言うのよ」


「えー!? 素敵な言葉のイメージがあった!」


 もっとも、言葉の誤用は見逃さないが。


「でも、ありがとう安西。こんなものでも、他人の手から渡し直されると違うものね。というわけで安西、はいこれ。お礼にどうぞ」


 とはいえ、初木はクスりと笑いながらそれを受け取り、お返しにとチョコレートの包みを手渡した。


「……これさっき捨てられてたやつじゃん!」


 見覚えがあった。その包みに。


 その日の放課後、案外、二人共満足気であった。


 実は初木、今日やたらと機嫌が悪かったのは、登校してくるまでバレンタインデーという概念が全く頭になく、安西に友チョコを用意することができなかったためなのであった。


 女友達がいないので、そういう話題に全く触れないのが主な原因だった。今日に限って、買う手持ちもなかった。今日でなくば、バレンタインじゃない。


 まぁ、用意できていてもあくまで現時点ではまだ友チョコなので、安西にはもう一押しが求められるが。


 というわけで、まぁ一応、形はどうあれ気持ちだけでもチョコを渡せてよかったと思っている初木、貰えてよかったと思っている安西なのであった。

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