第28話 〜あるカラオケシンガーのメモワール〜
〜フィリピン〜
=一九八四年=
九月
〈二八〉
わたしはリサと並んでジープニーの長椅子に腰をかけ、車がマビニ通りを北に向かって出発するのを待っていた。
バクラランのジープニー・バス・ターミナルの夕方はいつもとおなじように、大小数台のバスや色とりどりに飾り立てた何台ものジープニー、帰宅を急ぐ乗客、彼らに新聞やタバコ、マンゴやバナナ、サンパギータの花束などを売る物売りで混み合っていた。
リサは、次に〔ママ〕になることが決まったグロリアに仕事のこつをもう少し覚えてもらうために[さくら]に行くのだ、と言っていたけれども、本当は、わたしが疲れきり弱りきっていて、とてもひとりでは帰せないように見えていたから同行してくれていたのに違いなかった。
もっと乗客を呼び込もうと、ジープニーの運転手が車の外に向かって声高に行き先を告げていた。「ディヴィソリア!ディヴィソリア!」
※
解決しなければならないことが目の前に山ほどあるはずだった。けれども、次にすぐ何をするべきかがわたしには分かっていなかった。一番緊急で、わたしにもまだなんとかできそうなのは、やはり、克久に電話をかけ、彼の目をユキに向けさせることだった。けれども、彼がついに受話器を取ったとしても、そのとき彼に何をどう告げたらいいか…。わたしはそんなことさえ分からなくなりかけていた。
無視されることに慣れすぎてしまっていたのかもしれなかった。
〈もっとしっかりしてなきゃ、トゥリーナ〉。わたしは自分に語りかけた。〈とにかく、何が何でも日本に行くこと。それもできるだけ早く〉
※
二日後、リサは松江に向かって発っていった。
セサールはその後、テレサを引き取るとは一度も言ってこなかった。
セサールとエミルデを永久に沈黙させるために、〔ほかから養子を取るためにかかる費用をはるかに超える額〕のお金をリサが二人に渡していたことを知ったのは数年あとのことだった。
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