塗り

 ある年の秋の台風でとある県が甚大な被害を受けた。塗装屋で働くJさんは被害を受けた県の近隣の県に住んでいた。台風が去ったあと、Jさんの務めるお店には、台風で傷ついた塗装の修理の仕事が一気に舞い込んだ。

 そんなこともあって、Jさんは職場の先輩たち数人としばらく仕事の多い県で宿をとり、一気に仕事を終わらせようということになった。

 家や店舗、果ては公共施設まで。様々な建物の塗装を行ったが、Jさんは最後に仕事をおこなった家が忘れられないと話す。

 その家は、田舎にあるような典型的な農家で木造二階建ての家の瓦も台風の影響で吹き飛んでいたり、建物の外壁も穴が開いているような状況だったが、Jさんたちが依頼されたのはその家の蔵の塗装であった。

 母屋とそう大きさの変わらないように見えるその倉は、一見台風の被害は受けていないように見えた。だが、人のよさそうな夫婦に連れられて蔵の裏に回れば、台風の風にあおられて何かがぶつかったのか、蔵の塗装の一部が大きく剥がれていた。

 昔から何度も直しているのか、塗装の剥がれている場所からは濡れたような黒い下地が見えている。

 母屋より先に蔵を直すなんて、と思いながらJさんたちは作業を始めた。

 先輩が準備をしている間にほかに修繕できる箇所がないかと見回ってみる。ぐるりと見回って、不思議なことに気が付いた。蔵には窓が付いていることが多い。もちろんその蔵にも蔵戸前の真上に観音開きの窓があるが、その窓が漆喰で塗り固められていた。よく見れば、蔵戸前にも鍵がいくつも追加されている。

 変なことをしているなと考えていれば、今度は裏手から先輩がJさんを呼ぶ。準備が終ったのかと思ったが、Jさんがその場を離れてからそう経っていない。ということは何かあったのか。

 急いで駆け付ければ、先輩がはがれた壁の方を見て呆然としている。

 どうかしたのかと尋ねれば、掠れた声で「何かいる」と短い答えがかえってきた。先輩は特別気が弱いわけでもない。どちらかと言えば、そう言った類のことには斜に構えた態度をとるような人だった。それが、こんなに青い顔をして蔵から距離をとっている。

 Jさんが「みてきます」と言って、剥がれた壁の方に近づくと、先輩は一瞬止めるようなそぶりをした。しかし、何が起こっているのか確かめたいという好奇心の方が前に出てしまったのか、それ以上は止められなかった。

 漆喰の禿げた黒い壁は日が当たっているのに濡れているようだった。黒い部分に触れようとした瞬間、ドン、と蔵の中から音がした。

 一見中から強くたたいたような音にも聞こえたが、防火に優れた蔵を内側から叩いてもそんな音がするはずない。ならば、きっとこれは体当たりか何かをしたのだ。唯一壁の薄くなったその部分から逃げ出そうとでも言うかのように。

 Jさんはそんな縁起でもないことを考えて一人で青くなった。

 そうして、先輩の方を振り向く。先輩も青い顔をしたまま、何かを察したのか首を縦に振る。

 二人して大急ぎで準備をして依頼を済ませると、お昼前にはその場を後にしたという。


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