第10話 舞踊

 陸上競技大会が終了して、家に帰り、お風呂に向かう。もう疲労でなにかを考える余裕はない。風呂に入ったことまでの記憶はある。ただ、意識が少し戻った時には、布団の上で横になっていた。携帯が光って通知が来ている事に、気付いた。しかし、それを開く気力も気持ちもなかった。目を閉じて、疲れた体を癒すことに選択を決めた。

 爽快な太陽の光が俺の顔に差し掛かることに、気付いて目が覚めた。流石に、部活に所属している俺でも、体に怠さが残っている。二度寝したい気持ちを抑え、カーテンを全開にして、光を浴びる。葉緑体がある緑たちは、気持ちいいだろうなと強く実感した。そして、体を伸ばしている時に、携帯の通知のことを思い出す。ゆっくりと今まで浴びていた光に背を向け、携帯を手に取り、通知を開く。

 リレーを走ったメンツとの写真やお疲れのメッセージが送られてきていた。それに加えて、風夏とかおるんからのかっこよかったと褒め言葉が送られて来ていた。いや、贈られて来ていた。朝からこのメッセージを見ることが出来て気分が良かった。重く感じていた体も少し軽くなったように思えた。正直、かおるんからの連絡は期待していた部分はあった。好意があるないの問題ではなく、単純に昨日関わる機会が多かったからだ。好きという感情は、どこかに置いて、歩を応援する気持ちで溢れているから入学式の時のような感情は沸いてこない。

 200m決勝の彼女から投げられた言葉は、今も繊細に俺の記憶の中に残っている。俺に対して好きという感情が芽生えてこないかなと自分自身の感情と矛盾する願望を抱き、我に返る。

 しかし、風夏からのメッセージは、正直驚いた。前日に電話していたからなのだろうか、素直に嬉しかったが、当日にも声を掛けてくれればいいのにと少しの願望も抱いた。メッセージばかりの関係に少し物足りなさを感じたのは事実であった。

 時間が全然経っていないと考えていたのに、そんなに甘くはなかった。物思いに耽るときの時間の速さは、二倍速にでもなっているのだろうか。こんなことを考えながら少し焦り気味で学校へ行く支度をした。

 自転車に乗りながら、なんで陸上競技大会の次の日に学校に行かなくては、ならないのかを疑問に思いながら長い長い坂道を上る。

 昨日の疲れが俺の運動能力を制御して、いつもに比べ全然前に進まない。この疲労感を実感することが少しだけ嫌だった。

 学校に着くと、いつものように歩と颯斗の姿があった。相変わらず速いなと思ったが声には出さず、軽く手を振る。そして、昨日の話で盛り上がる。みんな授業があることに対して不満を感じていた様子で、体に残る疲労感もすごいと話していた。

 昨日に比べ少し涼しさを感じる今日は、過ごしやすい夏前の気候であった。昨日これくらいの涼しさがあればもっと走りやすかったと神様を恨んだ。

 少しずつ、生徒が増え始め、始業のチャイムの時間も近づいてくる。みんなちゃんと来るんだなぁと思いながらも一人来ない子のことを考えていた。一人を除いて、教室に集合し、各々のグループで、授業があることに対する不満と疲労感のぶつけ合いで盛り上がっている。

 俺も歩や颯斗と話をしていたが、何を話しているかなんて頭に入ってこない。ひたすら入り口を見つめるだけだった。すると、チャイムが鳴った。8時40分を指し示す。

 風夏は学校に来なかった。気にしているという訳ではないが、何かが俺の中で引っかかっていた。なんで、こんなに彼女のことを探しているのだろうと自分自身に問いたくなるほどに、驚いていた。俺の中が、よく分からない感情になっている中でも、かおるんは笑っていた。

 疲労感の中、気だるげに授業を受けて、下校の時間になる。昨日の運営に携わったということで、部活は休みになり、帰って疲れを癒すことにする。家に着き、風夏に体調が悪いのかを聞く連絡を入れて、お風呂に入る。

 体を洗っているうちに、通知音が鳴った。風夏からの返信かなと思いつつ体を流し、携帯に目を向ける。朝、支度をしながら返したかおるんからの連絡だった。かおるんとは、何気ない話で盛り上がっている。お互いの中学の事とか授業の話とか、歩とは良い感じなのかなと考えながらも、そのことには触れずに、何気ない連絡を重ねていく。

 結局、お風呂に入っている間に、風夏から連絡は返ってこなかった。

 夜ご飯を食べ、いつもより早く布団に向かうと携帯が光る。風夏からの返信だった。「めんどくさかっただけだよ。もしかして、心配した?」というメッセージが返ってきた。普通なら腹が立つ内容なのかもしれない。しかし、俺はその事実を受け止め、安心していた。それっぽい連絡を返すと次は、秒速で連絡が返ってくる。

「夏休みに大きな花火大会があるんだけど、一人だと恥ずかしいから付いて来てくれない?花火好きだから見に行きたいんだよね。」

 このメッセージが届いた。話の展開の速さに動揺したが、女友達と行かないのかという疑問はその時沸いてこず、俺も花火好きだし、いいよと肯定的な連絡を入れて、少し経った後に、その疑問に直面した。

 夜にあまり冷えなくなり、少しずつ夏の訪れを感じる六月の終わりが、俺に新しい風を吹きかけているのかもしれない。俺は、少しだけ花火大会が楽しみになった。

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