第80話 らしくないと言われて

 やばい、思った以上にやばい。

 意識が遠のきかけ、ついふらっと倒れかける。

 痛いだろうけれどこのまま倒れてついでに休もうか……

 だがアスファルト舗装に激突する前にふっと柔らかい感触が俺を支える。


「ダーリン大丈夫!」

 馬鹿愛梨すぐ離れろ!

 そう思ったのだが声が出ない。

 ざわり、嫌な感触がした。

 俺に憑いていた疫神が離れる気配だ。

 やはり生きていたか。

 とっさに愛梨から離れようとしたが力が出ない。


 見えないけれど疫神が愛梨にとり憑こうとしているのがわかる。

『光魔法、絶対浄化……』

 駄目だ発動しない、魔力が足りない。

 やばいどうしようか。

 薄くなりつつある意識でそう思った時だ。

「アテー、マルクト、ヴェ・ゲブラー、ル・オラーム・アーメン……」

 聞き覚えのある声と知っている気配。

 あ、これなら大丈夫だ。

 俺の意識はそのまま薄れる……


 ◇◇◇


 ピアノの音が聞こえる。

 知っているようなでもちょっと違うような旋律。

 ちょっと練乳系の甘い感じの匂い。

 どうも俺は横になっているようだ。

 この肌触りは布団だな。

 でも俺の布団とはやや違うような……


 目を開けると知らない天井、そして愛梨がいた。

 愛梨は俺が目を開けたのを見てふううっと息をつく。

「良かった。大丈夫とは翠先輩が言っていたけれど」

 それからちょっと声の調子を変える。

「もう絶対あんな危ない真似をしちゃ駄目だからね。お願いだから無茶しないでね。本当、お願いだから……」

 最後は声にならない。


「わかった、わかったから」

 そう言いつつ気付く。

 これ、きっと愛梨のベッドだ。

 思わず色々くだらない事を意識してしまう。

 いかんいかん。

 取り敢えず身を起こして、ベッドから出てと。

 ここは愛梨の部屋だろう。

 カーテンの柄とかが微妙に女の子っぽい。

 身内以外の女の子の部屋なんて初めてだよな。


 愛梨が落ち着くのを待って、微妙な緊張を隠して何気ない感じで尋ねる。

「それで疫神は?」

「ダーリンや私に憑いていたのは翠先輩が全部退治してくれた。でも短絡路とかにはうようよしているから使うのはお勧めしないって。あとこの家の敷地全体に魔力を隠蔽する魔法陣を描いておいてくれるって。これで家を囲まれたり家の中まで襲ってくることは無いだろうって」

 なるほど。


「それじゃあのピアノは?」

「あれね」

 あ、何だろう。

 愛梨が苦笑した。

「翠先輩、ここ来る前はピアノを練習するところだったんだって。それで『たまには別のピアノを弾いてみるのもいいかもしれませんわ』って弾いてみたの。そうしたら調律しないと駄目ですねって。それでダーリンの友達のあの人を移動能力で連れてきて調律させたの。そこで私はこの部屋に戻ったから後はわからないけれど」

 何だそりゃ。

 でも今は取り敢えずこのちょい危険な状況を何とかしよう。

 部屋にベッドがあって2人でいるなんてのはエロ漫画的には完全にアウトだ。

 もちろん俺もそういう経験がしたくない訳じゃない。

 でも雰囲気的に今じゃないと思うのだ。

 下に木田余もいるようだし。


「それじゃ下に降りるとするか」

「でもダーリン本当に大丈夫?」

「大丈夫、回復魔法もかけてくれたのかな。魔力も大分回復している」

「その辺はダーリンの体質だと思うよ」

 確かにそうかもしれない。

 自己回復力が高いのも不死者ノスフェラトゥの性質だし。


「あ、じゃあ下に降りるその前に」

 愛梨は俺の前にまっすぐ立って頭を下げる。

「さっきは本当にありがとう。来てくれて凄く嬉しかった。でもね、お願いだからこの先はこんな無茶はしないでね。本気で心配したんだからね」

「そのうち有明か誰か先輩が来てくれると思ったしさ。実際翠先輩が来てくれたし」

「そうなんだけれどね」

 そう言って不意に俺のすぐそばへ寄って右耳すぐそばで。

「大好きなんだからね!」

 確かにそう言って、そして先に部屋を出て階段を下りていく。


 まいった。

 今のは正直かなり効いた。

 今までで一番効いた。

 凄くドキドキしている。

 でも下りて行かないわけにもいくまい。

 務めて平静を装いながら俺は部屋の扉から出て、愛梨の後ろについて階段を下りていく。 

 

 いたいた。

 ピアノを弾いている翠先輩の横で木田余が色々工具を整理している。

「お、真鍋、復活したか」

 奴は全くもっていつもの調子だ。

「何とかな。で、何で木田余がいるんだ」

「ピアノの調律のために呼んだのですわ。私よりもそういった事は得意ですから」

 うーむ。


「木田余、ピアノ調律なんて出来たのか」

「家のモデルKをさんざんいじったからな。おかげで道具も一通り揃えたし自己流ながら一通り出来るようになった。能力で正しい方向は何となくわかるから、それに合わせてチューニングピン回して鍵盤内部のネジ回してハンマー整える訳だ。結構長い事調律してなかったようだからハンマーフェルトも針刺しまくって削ってと大分いじった」

「悪い、単語そのものがよくわからん」

 木田余はうんうんと頷いた。

「それが普通だ。それで翠さん、どうだこんな感じで」

 翠先輩は弾く手を止める。


「うちのに比べて音が優しい感じね。低音が特にいい感じ。あと鍵盤がちょい重めに感じるわ」

「でもバランス的に今の状態が最適解だ。少なくともこのピアノでは」

「確かにカワイだとこの重さが正しいのかもしれませんわ。普段は家のヤマハで慣れているので」

「最近はうちのモデルKも良く弾いているけれどな」

「あれはスタインウェイにしてはいい子ですわ。妙な神経質さが無くて」

「あの神経質さが音の幅なんだけれどな」

 そう言えば前にピアノの音で口喧嘩をしたと言っていたな。

 大丈夫なんだろうか。


「それにしても真鍋、らしくないよな。かなり無茶な事をやらかした様だけれど」

「どうせちょい待てば研究会の誰かが来るだろうと思ってさ。実際翠先輩が来てくれたし」

「本当か? それに本当にそう思ったなら実際に応援が来るのを待つんじゃないか? 少なくとも普段の真鍋なら」

 木田余に言われて初めて気づく。

 そう言われれば確かにそうかもしれないな。


「そこから先の自己分析は真鍋自身に任せるか。それじゃお邪魔虫の俺と翠さんはお暇するとしよう。それでいいかな、翠さん」

「そうですわね。ただ正利さんも愛梨さんも当分短絡路は使わない方がいいわ。疫神がそこここに溢れていますから」

「じゃあ次は学校で」

 すっと2人は消える。

 それにしてもあの2人は短絡路にいる疫神、大丈夫なんだろうか。

 大丈夫なんだろうな、きっと。


「らしくないって言われたね」

 愛梨の台詞に俺は頷く。

「まあ確かにかもな」

「お願いだからこんな無茶はもうやめて欲しいと思う反面、実は嬉しいかな」

 おいおい誤解するなよ。

 何が誤解だか自分でもよくわからないけれど。

「それじゃ、俺も帰るから」

 ちょっと色々やばい雰囲気になる前に帰ろうと思ったのだけれど。

「待って」

 えっ。

「もうちょっとだけ、いてくれる?」

 そう言われるとうまく断る口実が見つからない。

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