第78話 闇の到着
「真鍋、気付いたか」
朝の教室、木田余が他には聞こえない程度の声でそんな事を言う。
「何にだ」
「空気の悪さだ。今朝からどうも嫌な感じの風が吹いている」
何の事だか俺にはわからない。
「誰かが何かやったのか」
「いや、感じないのなら別にいいんだ。俺の気のせいかもしれない。後で翠さんにも聞いてみるかな」
そっち関係の事だったのか。
「俺は特に何も感じなかったな。ところで翠さんとは最近どうだ?」
「実はちょいこの前軽く口喧嘩をしてしまった」
おっと。
「どんな感じでだ」
「ヤマハとスタインウェイのピアノ、どっちがいいかという話だ。俺はスタインウェイの響きが好きだ。でも翠さんは個性という名のムラがありすぎて製品としてはヤマハの方が正しいというんだ。バイオリンのように個人が持ち歩いて常に専用として使える楽器ならともかく、ピアノはその場にある個体を演奏するのだから正しいのはヤマハだって。
俺はそれでもスタインウェイの方が音の幅が大きい分だけいいと思うのだが。その辺で色々口論になった」
……高尚すぎて俺にはわからない喧嘩だ。
「まああまり喧嘩はするなよ」
「大丈夫だ。何やかんや言って翠さんもこういった口論を楽しんでいる気もするしな」
俺にはよくわからない関係性だがまあいいだろう。
それにしても空気が悪い、嫌な感じの風か。
残念ながら俺の席は廊下側なので外を見ることが出来る窓からは遠い。
それでも外の方をちょっと見てみる。
……わからないな、やっぱり。
それでも気になるので昼食時、愛梨や有明透子に聞いてみる。
「木田余が言っていたんだけれどさ。何か今日、空気が悪いとか嫌な感じの風が吹いているとか感じたか?」
「私は特に感じなかったな」
愛梨は感じなかったと。
「私も特にはないな」
有明透子も。
なら木田余の気のせいかもしれないな。
そう思った時だ。
「
川口先輩だ。
それって俺達の会話に対しての台詞なのだろうか。
そう思った時、ポケットに入れていたスマホが振動した。
同時に愛梨も有明透子も川口先輩もポケットなり鞄なりを見る。
何か一斉で入ったようだ。
取り出して画面を見る。
『疫神の国内侵入が確認されました。充分注意をお願いいたします.。新たな情報が入り次第随時続報として発信予定です』
それだけの短い注意喚起メール。
発信元は『宮内庁陰陽寮』とある。
「そっちも疫神の情報?」
「同じよ。宮内庁陰陽寮からの注意喚起メール」
そう言えば夏合宿の後、皆で登録したんだった。
「という事は水際作戦は失敗したのかな」
「その辺はわからないわ。情報が足りないし」
確かにそうだ。
鳥インフルみたいな例もあるし。
「でも注意しろって言われてもどうすればいいんだろ」
「逃げろって大和先輩は言っていたよな」
「でも疫神って見たことが無いけれどわかるかしら」
確かにそうだなと思った時だ。
「見ればわかる」
川口先輩がそうつぶやくように言った。
「川口先輩は見たことがあるんですか」
「一度。鳥インフルエンザが変異しつつある状態に発生したのを確認」
「それはどうなったんですか」
「焼いた。弱い疫神だから何とかなった。でも今回は危険。逃げるが勝ち」
軽く息をついて、そして続ける。
「疫神は力を得る為に能力者や亜人を狙いやすい。逃げるが勝ち。疫神は遅い。逃げるのは簡単」
なるほどな。
「とにかく疫神と感じたら逃げるが一番という事ですか」
「然り」
結局逃げるのが一番の対策という訳か。
大和先輩もそう言っていたしな。
ん、でも待てよ。
「そういえば疫神って普通の病気にはついていないんですか」
川口先輩はぱたぱたとキーボードを操作し、出て来た画面を見せる。
『疫神:疫病の感染を手助けし流行らせる事によって発生する、社会不安や患者の苦痛を糧とする精神体的存在の怪異。疫病の原因となる細菌やウィルス等に取り付き、突然変異等を起こし流行しやすくする手助けを行う。発生要因としては自然発生の他、呪い等の儀式等によっても発生する』
ちなみに『陰陽寮監修:怪異簡易Web辞典』の記載だ。
「疫病そのものの怪異では無く、あくまで疫病を流行らせようとする怪異なのね」
愛梨がそう言って頷いた。
なお説明には先がある。
『疫神そのものは物理攻撃、物理系魔法攻撃、精神攻撃いずれも無効。光属性魔法攻撃のみ有効。ただし取り付いている細菌群またはウィルス群が弱体化すると無力化される。その為疫神そのものが強大化していない際は細菌群またはウィルス群に有効な熱魔法も有効。
なおエナジードレイン系は細菌には有効だがウィルスについては無効』
なるほどな。
「疫神って結構攻撃が効きにくいみたいね」
「弱点は取り付いている細菌やウィルスか。でも疫神が強ければ芽胞等を作らせて細菌等をガードする。ガードされた細菌等は高熱や極低温にも耐えると」
「つまり大和先輩が言っていた通り、光属性や聖属性でないと駄目って訳ね」
「俺では有効な攻撃が出せない訳か。本当に逃げるしかない訳だな」
「魔法用のマグネシウム粉、もう少し常備しておいた方がいいかな」
愛梨が薬品戸棚を物色し始める。
どれどれ、手伝うとするか。
「材料は何だっけ」
「マグネシウム粉と硝酸カリウム。だいたい500ミリグラムずつを混ぜて包むだけ」
◇◇◇
放課後、いつもの準備室。
「合宿は中止ですね」
田土部先生の台詞に一同頷かざるを得なかった。
それぞれに宮内庁陰陽寮発出の続報メールが来ている。
『疫神が国内に多数侵入している事が確認された。分析の結果、この疫神は人工的に作り出された可能性が高いと判断される。また全世界的に広まりつつある事も判明した。故に疫神の目標となるような集団活動等は当分の間自粛願いたい』
実際はもっと長いが略せばそんな感じになるメールである。
「でもバラバラでも危険な事は危険じゃないのかな」
「疫神は能力者や亜人を優先的に狙うからな。更に力を得て強くなるために。だからまとめて狙われそうな状態は極力避けたい。
それに疫神だけじゃなくて疫病そのものの性質もあるからな。どっちにしろ群れない方がいい訳だ」
なるほど。
「こうなったら都和先生とかも戻ってくるのかな」
「国内の疫神が少ない状態なら水際作戦は継続でしょう。とにかく数を増やさない、広めないことが第一ですから」
でもそれならだ。
「どうすれば解決になるんですか」
「通常は普通の流行病と同じです。ワクチンが出来るとか治療法が確立する、もしくは時間が経って集団免疫が獲得される等すれば疫神も力を失います。
ただ人工のものですと疫神がそれらを妨げるような機能を持つことがあります。その場合、大々的な悪霊祓い儀式を行うか、呪い返しを行うかになりますね」
これはまた随分古臭い単語が出て来た。
「悪霊払いや呪い返しですか」
「ええ。疫神を人工的に作るというのは呪いの一種。ですので呪い返しが最も有効です。その場合は相手をある程度特定したうえで、呪いを行った術以上の力で押し返す必要がありますけれど。悪霊払いも条件としてはほぼ同じですね。要は災いの対象を相手に送り返すか性質を転化させるかの違いです。日本のこういった技術は世界でもかなり進んでいる方です。古代からの技術が途絶えずに続いていますからね」
うーん。
「どっちにしろ俺達が何かを出来る訳では無いんですね」
「疫神に近寄らない。見たら逃げる。後は手洗いの励行とか公衆衛生的な措置だな」
つまらないが妥当な結論だ。
「しかしどれくらい続くんですかね、これって」
「まだ世間的には始まってもいないからな。ある程度患者が出て対策が取られて、それからだろう」
「その前に呪い返しとかが成功すればいいんでしょうけれどね」
「どっちにしろ待つしかないよな」
結局そこに落ち着いてしまう。
「まあちょうど冬休みに入るししばらくのんびりするんだな。正利も勉強が進んでちょうどいいだろう」
「まあそうですけれどね」
確かに言われてみればそうだ。
高校生は勉強をすることが第一。
でもそれだけだと物足りないと感じてしまうのは何故だろう。
いやきっと気のせいだ。
「アルバイトが無くなりそうなのが痛いわ。今度は収納袋を買おうと思ったのに」
これは有明透子だ。
「春休みまでにおさまれば春の彼岸にバイトがあるだろうしさ」
「そう信じるしか無さそうね」
そんな感じで今冬は合宿が無くなったまま冬休みに突入した。
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