第2話

 ブルブルブル。

 絵美里が一階のリビングで本を読んでいると、外で車が停まる音がして、続いてバタンとドアを閉める音がした。まもなく勝手口の鍵を外からガチャガチャ開けている様子がして、キイとドアが開いた。

「おお寒。外は雪が降りそうですよ、お嬢さん」

 お嬢さんと声を掛けられて、絵美里は後ろを振り向いた。お手伝いの芳子さんが、夕食の買い物から帰ったところだ。ドサッと勝手口のあがりまちに置かれたエコバッグからは、ネギの緑色のニュッと長い茎がまっすぐに伸びている。エコバッグはパツンパツンに膨らんでいる。

 「お疲れ様ね。芳子さん」

 「いいえ。ありがとうございます。お嬢さん」

 お嬢さんお嬢さんとあまりに連呼されると気恥ずかしくなってくるが、それは芳子さんの礼儀正しさから来ることなのだと、絵美里は思い直した。芳子さんとは、子どもの頃からもう十何年もの付き合いになる。それでも芳子さんは決してなれなれしい崩れた態度は見せたことがなかった。ぞんざいな言葉遣いをされたことなど、ただの一度もない。絵美里は小さな頃から大学生になった今でも、「お嬢さん」だ。だからといって、芳子さんが冷たいわけではない。むしろその逆で、本当の母親だったらこうも優しくはしてくれないのではないかと思うほど、丁寧に絵美里の面倒を見てくれた。子どもの頃折り紙を折る時は自分の手を添えて折り方を教えてくれたり、靴紐の結び方を根気よく何回も結び直すのをせかさずにじっと見守ってくれたことは、今でも覚えている。

 絵美里の成長に最も関わってくれたのが、芳子さんだ。母親のいない絵美里にとって、芳子さん抜きではここまでの人生は語れない。

 お母さん以上にお母さんらしい人。

 子どもの頃を思い出すと、心の中がほんわか温かくなって、自然に笑みがこぼれてくる。

 「ねえ、芳子さん」

 絵美里は屈託のない笑顔になって聞いた。

 「今日の夕ご飯はなあに」

 イスからのけぞるようにして芳子さんの様子をリビングから覗いている絵美里の子どものような無邪気な笑顔を見て、芳子さんも弾けるような笑顔になる。ウエーブがかかった絵美里の長い髪が、座っているイスから床につきそうになっている。

 「あらあら、もうお腹がすいたんですか。今晩は、おでんですよ」

 「わあ、おでん。やったー」

 Vサインをして喜ぶ絵美里に、芳子さんは苦笑いならぬ、しんから嬉しそうな顔になった。

 (この笑顔が見たくて、この家で働いているようなものだわ)

 芳子さんは芳子さんで、甘い感情が心の中いっぱいに広がっていくのを感じていた。

 

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