とまどい   ー水の村、谷の村ー

@satoyomi

第1話

 「正月には帰ります」

 たっぷり一分間くらい考えた後に、俺は手紙の最後にこう付け加えると丁寧に封筒の端にノリを塗って封をした。さあ、書いたはいいがポストへ投函するために外へ出なくてはいけない。チラッと目の端で白いレースの昼間用カーテンの隙間をのぞくと、空は暗く曇っていて、今にも雪が降り出しそうだ。

 「うわ。寒そ」

 見ただけで首をすくめてしまう。けれども外へ行かないかぎりは、この手紙は無事に母の元へ届かないのだ。

 「おかんが、せめてファックスとか使えたらなあ」

 現代風に、スマートフォンを持ってメールとかLINEをしてくれとは言わない。そこまで望むのは高望みだということぐらい、幸宏だって知っている。おかんは何しろ筋金入りの機械音痴なのだ。ガラケー(携帯電話)は持っているが、それだって純粋に電話にしか使っていないらしい。しかも、僕には

 「あんたんとこからかかってくると市外通話やから、電話代がかかるやろ。だから、めったなことではかけてこんといてな」

 と通告してある。電話を受けるだけで、もう料金が発生すると思っているらしい。一体、母の携帯電話のプランがどうなっているのか俺としては知りたいところだが、たぶん本人でさえわかっていないだろう。あのぶんでは。「カケホーダイ」なるプランがこの世に存在することすら知らないのではないか。俺は頭髪をかきむしりたい気分になったが、そんなことをしてもはじまらない。

 (だからおかんたちはあんな田舎にいられるんだよな)

 ふと湧き上がる親への不満。口には出さない、小さな不満。

 今こうして実家を離れた街へ出て一人暮らしをしている身の上だって、親と兄の仕送りがあってこそなのだ。本来ならば、「ありがたやー」と平身低頭して手を合せて拝まなければならないのだろう。

 (平身低頭・・・・・・)

 自分でも思ってもみなかった言葉を思いついたので幸宏とは呆然とし、次におかしくなった。これというのも、昨日「思想史」の授業を受けた記憶が残っているのだろう。大学へ来た意味は、あるのかもしれない。こうして自分の中に着々と習ったことが蓄積されていくのだから。

 「しょうがないなあ」

 大学へ出してくれたおかんのためだ。地元の国立大学に落ちて就職するしかないか、と諦めていた俺を、試しに受けて合格していた私立大学へと勧めてくれたのがおかんだった。

 「なあ、今日び大学ぐらい出とった方がええやろ。人生は後からやり直しがきかんから」

 そう言って、さして豊かでもないのに、貯金を切り崩して送り出してくれた。それにプラス、「俺も応援するわ」と言ってくれた兄の一宏。兄は実家と同じ県内で公務員をしている。その給料の中から毎月いくらずつといったあんばいで仕送りをしてくれている。

 「そら、寒くったって、郵便くらい出さなあかんわ」

 ひとり言を言いながら靴を履き、アパートの狭い玄関のドアを開けた。

 「うう、寒っ!」

 それでもやっぱり寒いものは寒いのだった。


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