「どうぞ、お茶ですが」

「兄さん、ありえないとは思いますが、仮に、万が一、粗茶とお茶を言い換えて面白いと思っているのなら猛省して下さい」


 どうにも駄洒落に嫌悪感を示す美衣ちゃんの小言を聞き流しつつ、テーブルの上にコップを三つ並べる。

 先程までの陰湿な裏路地から移動し、現在地は香坂家のリビング。有栖川はここまで何も言わずに黙って付き従ってきた。俺に対しての高圧的な態度はどこ行った?


「さ、現状確認を始めましょうか、吸血鬼さん?」

「その呼び方、やめてもらえないかしら。わたしには有栖川という名前があるのだけれど」

「あなたが無事、人間に戻れた時には名前で呼ばせてもらいます。今は我慢してください」

「……わかったわ」


 渋々ながらも、美衣ちゃんの意見を受け入れる有栖川。

 おそらく理屈ではなく、本能が、屈服させられているのだろう。


「そう気を落とすなよ、吸血鬼ちゃん」

「黙りなさい、おっぱい星人」


 その証拠に俺に対してはこの様である。


「あなたに『ちゃん』付けで呼ばれる義理はないわ」

「不満なのはそっちかよ⁉」

「もちろん冗談よ、これだから汚人は」

「これまでの人生で、そこまで酷い呼び方をしたのはお前が初めてだよ」

「あら、おっぱい星人を現代の若者らしく略したのだけれど、お気に召さなかったかしら」

「どっちも素晴らしく最低だよ」

「兄さんは少し黙っていて下さい。彼女がいつまで持つかわかりませんから」


 冷静かつ神妙に、瞳は有栖川の一挙手一投足を見逃さないよう睨みつけたまま俺を嗜める。

 後半の台詞については、全く理解が及ばなかったが。

 そもそも、『エサ役』である俺に美衣ちゃんは多くを語らない。


「まず、吸血鬼さんが殺人衝動……兄さんへの吸血衝動を覚え始めたのはいつ頃ですか?」

「今日……だと思うわ。授業が終わって一度家に帰ったのだけれど、強烈な匂いに惹かれて、歩いて、求めて、気づいたら彼が……いいえ、彼の目の前にいたの」

「けれど、まだ制御は出来ているんですね?」

「そう……なのかしら。今話しているのがわたし自身だと、わたしは自信が持てない」

「……今晩が山場ですね」

「なあ美衣ちゃん、俺にも状況がわかるように説明して欲しいのだけれど」

「そうですね。兄さんにも……あと吸血鬼さんにも分かるように、『厄』の説明から始めましょうか」


 ――厄。それはこの世の裏。

 普通の、ただの、一般の人間では関わることのないはずの闇。

 しかし、光があれば闇が存在するように。

 表に対して裏が存在するように。

 厄は知らない人が知らないだけで、知っている人は知っている、常に共にある存在。

 その形は多種多様、千差万別、千態万状。

 ある時は、幽霊として見えない形で干渉し。

 ある時は、未確認物質として見える形で干渉し。

 そしてある時は、衝動として干渉する。

 例えば、吸血鬼と呼ばれるような、吸血衝動として。


「と、言うのがあなたの症状です、吸血鬼さん。ちなみに『吸血鬼』という厄は血を吸われた時に鬼の血が混じることで感染します。その傷はほとんどの場合、首筋に残されているものです。……兄さん」

「有栖川、ちょっと髪をあげてくれないか」

「そう、わたしの美しいうなじが見たくて見たくて仕方がないというのね、香坂君は」

「お前、今までの話聞いていたか⁉」


 こいつ、本当に厄に侵されているのか。余裕綽々じゃないか。


「演じているだけよ。内心はあなたに何をされるか……ナニされるかを想像して身悶えているわ」

「無意味な言い直しをするな。お前は俺をどうしても変態に仕立て上げないと気が済まないのか」

「それがわたしの最後の望みよ、感謝なさい」

「そうかよ。っと」

「あんっ……」

「変な声を出すんじゃねぇ!」


 会話を進める気がない有栖川を無視して、髪を持ち上げて首筋を露にする。

 そこには妹の仮説通り、白磁のように白い肌にそぐわない、赤い点が二つ。


「美衣ちゃん、あったぞ」

「そうですか。だとすれば純血ではなく混血ですね」

「失礼ね、わたしは歴として純潔よ」

「お前、違う意味だってわかって言っているだろ!」

「あら、香坂君は処女よりビッチの方が好みなのかしら」

「そういう話はしていない! ……ああ⁉ 美衣ちゃん落ち着いて!」


 また髪が変色し始めているから!

 ここで暴れられたら、家が無くなってしまうから!


「それで、わたしの症状についてはそれなりに理解したけれど、そんなことに精通しているあなたたちは一体全体何者なのかしら」


 当然の疑問を投げかけてくる有栖川に、よくパニックを起こさず冷静でいられると感心を覚える。


「俺は……香坂家は『厄祓い』の力を持って生まれた一族なんだ」


 『厄』が闇であるならば、『厄祓い』は光。裏表の表、正負の正。

 厄が蔓延してしまえば、あっという間に世界の様相は変貌するだろう。それを制御するシステムとして神か、はたまた世界かが用意したのが厄祓い。

 そんな対処療法ではなく、原因を解消してくれればよかったのにという恨みつらみはあるけれど。

 そして幸か不幸か、世界秩序の守護者として選ばれた数パーセントに香坂家が含まれていて。俺と美衣ちゃんは普通の人間には備わっていない、特殊な力を有している。


「つまり、わたしが香坂君に抱いている想いも、その力に由来しているものであって、決して本心ではないということね」

「有栖川が俺に対して特に吸血衝動を抱いているのは、な」


 何を隠そう……いや、隠し切れない俺の能力は、『厄に好かれる』と『致命傷を負っても回復する』という、美衣ちゃん曰くエサ役に最適なもので。

 その特性はまるで……


「まるで○き〇りホイホイね」

「その例えは金輪際使用するな。泣きを見ることになるぞ」


 主に俺が。


「それは違いますよ、吸血鬼さん。寄せ付けるだけで何もできないなんて、ホイホイにすら劣ります」

「その補足、必要だったかな⁉ あと、本気で可哀想なものを見る、その顔を今すぐやめるんだ、有栖川」


 こいつ、本当に今夜が山場なんだろうな?


「兄さんはさておき、何か疑問疑念疑惑はありますか、吸血鬼さん?」

「まだ一番知りたいことを教えてもらっていないのだけれど……」


 有栖川は美衣ちゃんを正面から見据えたまま、脇役の俺には脇目も振らずに。


「わたしは、人間に戻れるの?」


 パンドラの箱を、開ける。



「……正直に答えますと、ほぼ不可能です」


 美衣ちゃんは、あくまで淡々と、粛々と、呼吸をするかのように普遍的に、有栖川にとっての死刑宣告を叩きつけた。


「吸血鬼の根源は血。厄は既にあなたの血と混じり、人格へ影響し始めています。もう、厄のみを取り除くことはできません」

「おい、美衣ちゃん」

「いいの、香坂君。……続けてくれるかしら」


 美衣ちゃんのあまりにも直接的な言い方を制しようとしたが、有栖川はそのまま先を促す。

 なにがいいんだよ……そんなに身体を震えさせておいて。


「吸血鬼の厄に対する専門家であれば媒体から切り離し、祓うことも出来るのですが、生憎と兄さんや美衣にはその力がありません。出来るのはあなたを……」


 けれど、俺に出来ることは――


「ただ、殺すことだけです」


 ――なにも、ない。

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