怪異譚~吸血鬼編~
華咲薫
起
「こんばんは、香坂君」
スマートフォンに向けていた視線を、名指しでの挨拶へと移す。
逆光を後光に従える彼女は、時刻は午後八時を回ろうかというタイミングにおいても学校指定の制服に身を包んだまま、まるでちょっとした寄り道の如くの気軽さで、俺の前へと現れた。
けれど今この場所は寄り道ではなく、脇道。
雑踏、喧騒から隔離された、一高校生が偶然出会うには似つかわしくない裏路地。
「こんな所で会うなんて奇遇だな、有栖川」
「本当、こういうのを運命の出会いって言うのかしら」
「だとしたら大層陰湿な神様だ」
「ふふっ、そうかもしれないわね」
有栖川の口調は学校で友人との会話に興じているかのような軽さ。
路地に吹き込む風で長い黒髪と膝より高く折り込んだスカートも軽くなびく。
すべてが……軽い。
「素敵な偶然ついでにひとつ、お願いがあるのだけれど」
有栖川はその軽さのまま。
「わたしの為に、わたしに、殺されてくれない?」
重すぎる願いを、言葉を、俺に、告げる。
「なあ有栖川。友達ですらない、隣のクラスでたまにすれ違う程度の俺が、そんなことを了承すると思っているのか?」
決して、友達だったら受け入れたという意味ではない。
そんな決死の提案を。
「本当の赤の他人というものは、そういうニアミスすらも認識しないものよ。あなたもわたしも、お互いを認知していたということは、紛れもない友人の証だと思わない?」
「それは詭弁だ。大体、死んでくれなんて誰にも頼むことじゃない」
「違うわ。『わたし』に『殺されて』欲しいの。一生に何回あるかもわからないお願いを意訳しないで頂戴」
「普通は一回もねえよ、そんな願望は!」
「それじゃあ言い直します。一生に一回の、わたしの初めてを貰ってくれませんか」
「それこそ意訳じゃねーか!」
「全く文句ばかりね。押されると断り切れない、面倒見がいいと見せかけて優柔油断な優男という評判は間違いだったのかしら」
「……お前には人にものを頼む時の態度を教えてやったほうがよさそうだな」
ただの通行人が耳にしても、たちの悪い冗談の攻防にしか聞こえないだろう。けれど、俺には彼女の言葉が嘘ではない確信がある。
充血した白眼。
金色に輝く瞳。
常軌を逸した双眸が、俺に訴える。
――殺させてくれと。
「どうしても断るというの?」
「ああ、断固拒否する」
殺されるというとこは、死ぬほどに、死にたくなるほどに痛いから。
「もし聞き入れてくれるなら、なんでもさせてあげると言っても?」
「なんでも……だと?」
「そうやって露骨に滑稽なほど下心丸出しの視姦を向けられるのね。安心したわ」
「俺はお前の想像力に感心したよ」
こいつ、学校ではお高くとまったお嬢様キャラで認知されていたはずだけれど、中身はとんだ耳年増らしい。
「そんなエロ坂君の欲望には耐えられそうにないので、訂正します。わたしの願望を受け入れてくれた暁には、胸を触らせてあげます」
「有栖川よ、その程度のことに俺が釣られると思っているのか」
仮にも健全な男子高校生を馬鹿にしてもらっては困る。
「ただ、参考までにサイズは聞いておこう」
釣られるに決まっているだろう。
「何の参考にするつもりなのかは甚だ疑問だけれど、答えてあげましょう。Gよ」
「それはトップとアンダーの差が24~26センチメートルということで相違ないか」
「その通りよ。流石は健全なエロ男子高校生。気持ち悪いわね」
俺から身を守るように、身体の正面で腕を組む有栖川。
そのせいで胸が強調されているのは、偶然なのか計算なのか。
「そこまでの覚悟を持っているのであれば仕方がない」
「や、仕方がないのは兄さんの色ぼけた下品な脳の方です」
とても聞きなれた、まだあどけなさの残る声で有栖川のさらに後ろから、俺の一大決心が非難される。
招かれざる客に驚き振り返る有栖川。
こんな閉鎖空間で俺と彼女が出会ったのを奇遇だとするならば、一人追加された今は奇跡と言って差し支えないだろう。事実としてはすべてが予定調和なのだけれど。
「遅かったな、美衣ちゃん」
「これでも連絡を受けてから超特急で向かってきたんですけどね。まさかセクハラで時間稼ぎをしているとは思いませんでした。兄さんのクズっぷりに美衣はやれやれを禁じえません」
文句を並べながら有栖川の横を通り過ぎ、俺の隣に並び立つ我が妹の美衣。
まだ中学生という肩書に恥じぬ風貌でありながらも、身にまとう雰囲気は年齢以上の圧がある。それは切り抜けてきた修羅場の数に裏付けされていて。
「改めましてこんばんは、吸血鬼さん」
「――っ。あなた、どうしてそれを」
「その理由も含めてお話しします。とりあえず、落ち着ける場所に移動しましょう」
そう告げるや否や、美衣ちゃんは先導するかのように歩き始め、有栖川も黙ってその後に続く。
流石は我が妹。その主人公感たるや。
そして俺の脇役感たるや。
「ほら、兄さんも呆けてないで来てください!」
「はいはい」
そんな普段通りの役割分担で、今日も今日とて世界平和に貢献する俺のなんと尊いことか。
「カッコつけてないでさっさと動け、このクズ! はっ倒すぞ!」
「美衣ちゃん、落ち着いて! 髪が紅くなり始めているから!」
マイシスターを怒らせると二、三回は殺されかねないので、俺は急いで二人の後に付き従った。
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