死にたい

 時計を見ると、とっくに七時を回っていた。やはり特訓している時は時間を忘れてしまうな。


「あっくん。朝から、そんな激しくしちゃ朔夜ちゃんがかわいそうだよ」

「すまん。つい夢中になって。でも、吸いの極意をつかんだ気がするんだ! これで照夫に対抗できるううううああああ! 遥、お前いつの間に!」

「このやりとり前もあったよね。うんと、あっくんがブヒブヒ言ってる頃くらいからかな」

「死にたい」


 いかんでしょ。あそこ見られちゃいかんでしょうよ。いやどの場面見られてもやばいけど踏まれてる時は吸血全く関係ないから特段やばい。


「あっくん。私も子どもじゃない。世の中にはそういうのが好きな人だっているもんね。否定はしないよ」

「蔑まれるよりそうやって慈悲の目で見られる方がよっぽど辛いんだけど!?」

「踏まれてる時もアレだったけど、下乳とかもアレだったよね」

「はい」

「その後、ひたすら吸ってたよね。音、かなりえげつなかったよ」

「はい」

「流石にあんなに騒いだら私が起きちゃうことくらい、分かるよね?」

「はい。まことに、申し訳ございませんでした」

「ん。吸血、必要だもんね。でも、私もドナーってこと、忘れないでね。せっかくドナーになるって覚悟決めたのに」


 どことなくふてくされている遥。朝から俺たちの声で起こされて、あまつさえあんな光景まで見せられて、怒らない方がおかしいか。


「気持ちだけ受け取っとくよ。遥に負担をかけたくない」

「全く。あっくんは何も分かってないね」

「付き合い長くても分からないことはあるさ。人は変わるし」

「そう、だね。変わらないものも、あるけど」

「俺と遥は幼なじみだって事実とかな」

「はぁ。分かってない時もあれば、そうやって確信突くときもあるんだから」

「うん?」

「もういいよ~。あっくんが吸血してる間に朝ご飯作っちゃったからみんなで食べよう、と思ったけど、朔夜ちゃんダウンしちゃってるね。先に私たちだけで食べようか」


 あ。遥が急に現れて朔夜のこと忘れてた。

 朔夜は目や口を半開きにして、小刻みに痙攣していた。しまった。やりすぎたか。

 俺たちが朝ご飯を食べ終わり、登校する支度を整えたあたりで朔夜は復活した。


「にしても、吸血鬼界の貴公子、照夫に見初められるとはなぁ。ハルカの体液はよっぽど美味なのじゃろうな」


 朔夜がぽそりとつぶやいた。


「そうだな。うちのクラスの中で一番食欲そそられるにおい放ってるもん。そういやあ外出しても、遥以上に美味しそうなにおいの人いなかったな。数々の女性の体液を摂取してきたであろう照夫に特別だって認められたってことはもしかして遥の体液は規格外の美味さなのかもしれない」

「ふむ。我は同性ゆえハルカの体液の味が分からぬ。幸せ者じゃなアキヒロよ。貴重な体液の持ち主がドナーになってくれるなんて」

「まったくだ」


 玄関に設置されている姿見で最終チェックを行っていた遥が俺たちの会話に反応して、微妙そうな表情を向けてくる。


「体液が美味しいって言われても、あんまり嬉しくないなぁ」


 分かるぞ遥よ。俺も朔夜に体液が美味いって言われて微妙な気持ちになった。

 靴を履き終わり、玄関ドアに手をかける。


「それじゃ、いってきます」

「いってくるねー」

「うむ。気をつけるのじゃぞ。あと、アキヒロよ」

「なんだ?」

「ぬしは、やはり天才じゃ。あの吸い技、天原家のものとは異なるが、レベルはかなり高水準にある。まだまだ荒いが、注意深く操れば通用するじゃろう。自信は既に持っておるだろうが、あえて言う。自信を持て。ぬしはいずれ吸血芸能の頂点に立つ男じゃ」

「おう! 照夫とは遥の件が無かったとしても、ナメニストとして決着をつけなきゃならなかったんだ。いつぶつかろうと、勝つ。勝って、月読朔夜の名をあげてやる! だからお前はドンと構えとけ! 芸名、月読明弘の主としてな!」

「アキヒロ……」


 朔夜は、そっと目元をぬぐった。似てるんだよなぁ。泣き虫なところが昔の遥そっくりだ。だから余計かまいたくなっちゃうのかもしれない。


「朔夜も後で来るんだろ? 学校の場所分かるか?」

「バカにするな。我だってスマホくらい使えるわい。朝ご飯を食べたら向かう。陰ながらぬしらを応援するからな」

「おう。見ててくれ」

「ありがとね、朔夜ちゃん」


 朔夜に手を振り、俺と遥は通学路へ。

 昨日、あれだけストレートに遥に好意を示した照夫。今日何もしないのは考えられない。仕掛けてくるとしたらいつだ。合同体育の時間が有力か。

 下駄箱、一年生フロアを過ぎ、二年生フロアへ。

 教室に入る前からなんとなく察した。俺たちの教室の出入り口に人だかりができている。そのほとんどは、女子。

 人混みをかきわけ、教室に入ると案の定そこには他クラス所属のはずの照夫がいた。

 照夫は原田や小野、加藤や甲斐さんと何事か言い合っているようだ。流れている空気は穏やかじゃない。

 照夫が、俺たちの入室に気づいた。


「おはよう! 愛しのハルカ、それに、アキヒロ。この人たちに聞いたのだが、君たちはほぼ恋人同士の仲なんだって?」

「違うって何度もっ!」


 いつもの調子で反射的に答えてしまった後に気づいた。

 もしかしてあいつらが、助け船を出してくれたんじゃないか? ここで俺がイエスと答えることで、照夫が諦められるように、と。


「そうかそうか! ならボクにも可能性があるってことだね! でも一緒に登校していることだったり、この愉快な人たちの言うことだったり、どうやらアキヒロとハルカは恋人同士ではないにしろ、特別親しい間柄のようだね。アキヒロ、キミに認めてもらうことが先決のようだ。ボクはキミに決闘を申し込みたい。ボクが勝ったら、キミにはハルカから手を引いてもらいたいんだ。逆にキミが勝ったら、ボクはハルカに金輪際近づかないと約束しよう。どうだい?」


 照夫はまるでこれから楽しい遊びをする子どものようにキラキラした瞳でそんなことを言った。

 照夫の発言に、クラス内が喧噪に包まれる。内だけでなく外、廊下からもざわめきが聞こえてきた。

 照夫の自信に満ちた目。自分が負けるなど一ミリも考えていそうにない。だからこそできた提案なんだろう。


「あっくん。私、言うよ。照夫くんに。付き合う気はないって」


 遥が小声で俺にそう打ち明けてきた。その瞳は不安げに揺れている。

 遥がそう言ったところで、照夫がアタックをやめるとは限らない。権力を行使してくる可能性も残る。だが、照夫との勝負に勝てば、全ての不安要素を取り除くことができる。その代わり、負ければ俺は遥と接触できなくなる。まさにハイリスクハイリターン。

 どちらをとるか。俺の心は既に決まっていた。

 一歩進んで、照夫に話しかけようとした遥を手で制し、俺は照夫の目の前に立った。

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