キーホルダー

「おまたせ」

「早かったね。まだ五分くらいしか経ってないよ。何してたの?」

「これ買ってきた。なんつーか、今日の記念みたいなもんだ」


 渡したのは、デフォルメされた小さなイルカのキーホルダー。


「これって……」


 遥はキーホルダーの紐部分をつまみ上げ、目の位置に持ってきて、じっと見つめていた。


「思い出したんだ。はじめて一緒に水族館来た時のこと」


 両親も合わせて六人で水族館に来た時。その帰り際、遥が、このキーホルダーを欲しいとゴネたのだ。小学校低学年くらいだったろうか。

 放任主義だが、金銭感覚については厳しい彼方さんは、ダメだと言った。水族館に来る前、デパートで遥が欲しがったぬいぐるみを買ったためだ。

 もうデパートで好きなもの買ったでしょ、だからダメよ、と彼方さんが諭したが、遥は中々折れなかった。最後は泣き疲れたところを俺が手を引いて連れ出したことで解決した。遥はそれ以来、水族館に来てもあのキーホルダーを欲しいとは言わなくなった。怒られたことがトラウマになったのかもしれない。

 いつか、大きくなって、自分でお金が自由に使えるようになったら、買ってあげよう。そう思っていたのに、すっかり忘れてしまっていた。


「よく、覚えてたね、そんなこと」

「そりゃな。泣き虫だったろ、遥。だから遥が泣いてるシーンはいくつも浮かぶけど、とりわけ激しく泣いてたから、印象に残ってたんだと思う。ここ数日、遥との思い出に浸ることが多かったからかな、思い出せたのは」

「ああー、泣き虫だったねー私。そんなに昔のこと覚えてるなんて、記憶力いいね」

「すぐ気づいたってことは遥も覚えてたんだろうが」

「まーね。……あの時、あっくんがすごく優しく慰めてくれて、手を引いてくれたからかな」

「なんだその小声は。もっとハキハキ話せ」

「うっさいバーカ」


 肩で二の腕を小突かれる。暴言吐いてるはずなのに、声はどことなく嬉しそうだった。


「理不尽な罵倒はやめていただきたい」

「理不尽じゃないと思うけど」

「見解の相違ですな」

「もうこのやりとりはいいからっ。ありがとね、あっくん。実を言うと、すごく嬉しいんだ。キーホルダー、大事に使わせてもらうね。スクールバッグにつけようかな」


 キーホルダーをためつすがめつ観察しながら、どこにつけようか検討し出す遥。


「喜んでもらえたようでなにより。実は俺も買った」

「あっくんも?」

「こいつのつぶらな瞳が気に入ったんだよ」

「じゃああっくんもスクールバッグにつけようよ。久しぶりにやらない? おそろい」


 遥がいたずらを思いついた子どものようにキーホルダーを指にひっかけてくるくる回しながら唇の端をつり上げた。


「んなことやったら付き合ってるのかって疑われるだろ、と思ったけど既に思いっきり疑われてるから今更か。やーいおまえらペアルックーとかからかわれても、幼なじみとしてだからっつって押し通そう」

「いいね、それ。そうしようそうしよう」


 その話から発展して、原田や小野、加藤や甲斐さんは本当に自分たちをくっつけようとするのが好きだとか、今度六人で旅行はどうだとか、原田の新曲の感想だとか、最近古典でつまづいてるだとか、そんな学校生活のあれこれを、ひたすらダラダラと話散らす。

 ああ、これだよ。これなんだよなぁ。この時間が、楽しいんだ。突き抜けるような楽しさじゃなけど、安心感、安定感のある、エネルギーを使わない、そんな、ゆるい幸せ。

 スーパーのタイムセールがちょうどはじまったタイミングで入店し、遥と二人で獣と化したおばちゃんたちとの戦いを繰り広げたのち、帰宅する。


「「ただいま~」」


 俺たちが玄関をくぐると、即座にドタドタとやかましく足を踏みならしながら朔夜が駆けてきた。


「おかえりなのじゃおまえたち! よう帰った! よう帰った!」


 駆けてきた勢いそのままに俺の腰にすがりついてくる。


「熱烈な出迎えありがとう。なんだ、寂しかったのか?」

「寂しかった! だって、明日にはアキヒロの両親、帰ってくるんでしょ? あたし、出て行かなきゃ」


 両親が出張にでてから、今日で一〇日目。明日には、帰ってくる。


「……俺が、両親を説得して、お前をここに置いてもらうように頼むよ」

「そこまでの迷惑は、かけられないよ。大丈夫。あたしは元々一人で生きてきたんだもの。出て行く時、今までかかった食費とか置いてくから安心してね」

「いいよ、そんなの。俺のこづかいで賄うから。てか、今まで生活費はどうしてたんだ?」

「吸血鬼協会から口座に振り込まれてるから、それで」

「でも今まで遊園地やその他色々な娯楽施設に行けないほどだから、その支給されるお金って、微々たるものなんだろ? ロクなものも食べてなかったっぽいし。俺の主にそんなことさせられない」


 朔夜は俺の腹に顔を押しつけ、顔が見えないようにしながら、もごもごと断りの文句を入れた。


「主だから、巻き込んだ側だから、だよ。これはあたしの矜持。実家から追い出されたあたしの最後の矜持なの。だからあたしは、出て行く。でも、一人旅していた頃とは、心持ちが全然違うの。だって、アキヒロが、あたしと一緒に吸血鬼として生きるって言ってくれたから」


 決然とした朔夜の言葉。しかと、受け取った。


「分かった。俺んちの近くにいくつか家賃の安い物件があるはず。ボロいけど、できれば近くに住んでくれるとありがたい」

「うんっ。そうする。必ず吸血鬼界にアキヒロの名前を轟かせて、有名になって、いつか豪邸に住む!」


 しがみついていた朔夜は身体を離し、俺の前で胸を張って、ニッと笑ってみせた。


「おう!」


 拳と拳を合わせる。

 一緒に住めなくなるのは、少々、いや大分寂しくなるけど、俺たちの間には絆がある。朔夜が俺んちの近くに住むなら、頻繁に顔を出してやらないとな。

 パン、と柏手を打ったのは、静観していた遥。


「さっ。話がまとまったところで、夕ご飯にしよう。今日は朔夜ちゃんの月瀬家滞在最終日だから、豪華にいこう!」

「張り切ってんな」

「そりゃあ私は月瀬家臨時代表ですから」

「そういやそうだったな」


 和やかな雰囲気のまま俺たちはリビングに移動し、夕食を作りはじめた。手伝おうとする朔夜を、今夜の主役なんだからと断り、遥と二人で作る。

 朔夜は俺たちの品目数の多い料理を喜んでくれた。和洋中ぐちゃぐちゃだけど、それが逆にお気に召したようだった。

 食卓の席で今日の外出の話になった。

 朔夜は水族館にも行ったことがなかったようで、またいつか行こうという話になり、その話の直後に当然、イルカショーの後にあった出来事が話にあがる。


「それでさ、遥がいきなり求愛されたんだよな。驚いたよ。噂の王子様系イケメン転校生が遥に一目惚れするなんて」

「それで、遥はなんと答えたのじゃ?」


 朔夜は身を乗り出して俺たちの話を聞いていた。年相応(?)に恋バナに興味があるらしい。


「うーん、一度は断る姿勢を見せたんだけど、食い下がられちゃってねー」


 たははと困ったように笑う遥。昔から押しに弱いからな。押しの強い人間に対してはっきり断るのが難しいのかもしれない。


「ハルカは、どうしたいのじゃ? その男と付き合う気はないのか?」


 朔夜がツッコんだ質問をする。遥は俺と同じく、以前から恋人を作らない派だったはず(俺の場合は、作れない、が正しいかも)。

 だから断る、の一択だろう。


「…………」


 遥が即答しないことに、思わず面食らってしまった。


「お、もしかしてこれは脈ありかのう!?」

「さあ。どうだろうね。……あっくん、私が、照夫くんと付き合う、って言ったらどうする?」


 つつ、と視線を俺の瞳に向け、そう問うてきた。


「どうするっつったって、そんなの、どうもできないだろ。遥自身の問題だし、俺に何か決定権があるわけじゃないし」


 ただ、モヤモヤする。それを伝えるのは、なぜかためらわれた。


「私が聞きたいのは、そういうことじゃなくてね」


 遥が口ごもりながら、何事かを伝えようと口を開きかけた時。

 俺の隣に座っていた朔夜がすごい力で腕を引っ張ったため、体勢を崩してしまった。


「おわっ! んだよ朔夜」

「照夫、と言ったか?」

「ああ。その転校生の名前だよ」

「前に、転校生は長身で金髪碧眼と言ったな? そのテルオとやら、名字がアマハラ、ではなかろうな?」


 朔夜の必死な形相。気迫が肌を通して伝わるほど、鬼気迫った雰囲気をまとっていた。


「よく知ってるな。フルネームは天原照夫だ」

「それだけの共通性、間違いあるまい」


 朔夜はイスにどっかりと身をしずめ、手で目元を覆った。ただならぬ雰囲気に俺や遥は固唾を飲んで朔夜の言葉を待った。


「そやつは、吸血芸能界において、我が家、『月読家』と天下を二分する『天原家』、その跡継ぎじゃ。よりにもよってやつに目をつけられるとは」

「ということは、あいつは吸血鬼か!」

「そうじゃ。我と同じ純血の。やつとは家柄上、幼き頃から面識がある。落ちこぼれの我とは違い、たぐいまれなる才能を持っておった。吸血鬼界では舐めの月読家、吸いの天原家と言われておるのじゃが、やつはまさに天原家の体現者。天原流吸血術を齢一〇歳で免許皆伝。さらに我ら月読家の吸血術の録画映像を見て、一部を完全にコピーするという離れ業もやってのけた麒麟児。当然、吸血鬼界からの期待も大きく、多くの権限を持たされておる。気をつけろ、遥、アキヒロ。やつは強欲な男じゃ。その才能と権力で、欲しいと思ったものは全て手に入れてきたと聞く。吸血鬼界の人間界への影響力を鑑みれば、権力を使って無理矢理に遥をモノにしようとしてもおかしくはない」

「ははっ、流石にそれは」


 俺は途中で口をつぐんだ。朔夜の表情が今まで見たことないことくらい真剣なものだったからだ。

 もし、もしそんなことが可能なら。

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