胸の内

 そこにはうちの母とのメッセージのやりとりが。


遥『おじさんおばさんがいない間、私が月瀬家の実権を握ってもいいですか?』


 どんな要求だよ。実権て。


つきママ『じゃんじゃん握っちゃって~。ついでにアキヒロのナニも握っちゃっていいのよ~?』


 下ネタかよ。ってか軽すぎだろう母よ。母親は俺より遥の方を信頼してる節あるから快諾するだろうとは思っていたが。


「ふむ。アキヒロのご両親の言なら、従わざるを得まい。アキヒロを好き勝手するのはアキヒロが自立して家を出てからじゃな」

「それは難しいんじゃないかな。あっくんの進路、私と被ってるし、きっと職場も一緒になるし」


 遥がムキになって食い下がる。進路は確かに同じだけど職場は保証しかねる。


「じゃが同棲するわけではあるまい?」

「するもん!」


 遥が顔をリンゴの如く赤く染めながら、力強く言い放った。

 これは予想できなかったのか、朔夜は面食らって一歩あとずさる。


「なっ!? ほ、本気!?」

「本気!」

「じゃ、じゃあわたくしはずっとアキヒロとそういうことできないってことじゃない! 嫌よそんなの!」


 朔夜の口調が素に戻っている。前にも一回だけあったな。それだけ動揺している、ということだろうか。無理もない。かくいう俺も遥の爆弾発言で足の震えならず全身の震えが止まらない。舌まで震えている。フッ、まさか、舌を己の意のままに操る俺の舌を震わせるなんて、やるじゃないか遥よ。


「……朔夜ちゃん。新しい味が知りたい、ってだけの理由じゃないね?」

「そ、そんなことないわよ。他意はないわ」


 俺の方をチラッと数瞬見た後、やや頬を紅潮させながらそう言う。


「もうそれ言ってるようなものだから」

「ぐっ……ハルカのばかぁ!」


 あ。朔夜が負けた。

 朔夜は耳まで赤らめながら半泣きで二階へ駆け上っていった。

 ドアが開閉する音。出所から察するに俺の部屋に引きこもったな。


「あの不遜な朔夜が言い合いで負けるなんて。さっきの、どういう意味だったんだ? ぼやかした言葉ばっかりでいまいち要領を得ないんだが」

「あっくんが知る必要はないんじゃないかな?」

「なんで!?」


 遥はそれ以上話したくなさそうだった。朔夜が去っていった方を見ながらもじもじして気まずそうにしている。


「ちょっと大人げなかったかな。あの様子を見るに、そっち方面にはかなり疎そうだったし。後で夕食届けがてら謝らないと」


 遥はそう呟くと、急ぎ足でキッチンへ向かい、料理の準備をはじめた。

 俺だけ蚊帳の外感半端ない。いつもは遥の料理の手伝いをするところだけど……。

 リビングを出て二階の自室へ。

 ノックをしても返事がない。


「入るぞ」


 電気はついていない。カーテンはしめきられている。

 闇に浮かぶ紅い瞳。

 俺はあっという間に押し倒された。


「アキヒロ、黙ってあたしの話を聞きなさい」


 黙って頷く。


「あたしは、吸血鬼界で名家と言われている家の出、って言ったけど……実は、没落寸前なの。才能のない、あたしのせいで。あたしの力じゃ、届かないの。だから、追い出された。わたしの家は、才能が全て。それがないものは、捨てられる。追い出されて、気付いた。あたしには吸血しかないって。自分がダメなら、才能あふれる者を眷属にして、吸血業界に引き込もうと思った。あたしはプレイヤーとして役に立たない。吸血業界に寄与するために、新たなスターを見つけようって、思った。探した。必死に探した。でも、あたし以上の実力、才覚のある者は見つからなかった。二〇年間探して、やっと見つけたのが、あなた」


 ぽたぽた、と、雫が俺の頬に落ちる。

 においで分かった。この液体が、何なのか。


「あなたは、人間界で生きるって言ったけど……少しでいい。あたしに、力を貸して欲しい。これは、命令じゃなくて、お願い」

「なんで、命令じゃないんだ? 朔夜は俺の主なんだから、強制的に言うこと聞かせられるんじゃないのか?」

「ううん。主従関係なんて、本当はないの。体液の交換によって、眷属が、吸血鬼の体液提供者に体質が似る、ってだけ。強制力も何も無い。だから、お願いなの」

「騙し続ければ良かったのに、なんで種明かししたんだよ」

「それは……忍びなくなったから。ここ数日、アキヒロはあたしによくしてくれた。あたしの要求を聞いてくれて、受け入れてくれた、寝る場所。食べ物。話し相手。屋敷にいた頃は稽古詰め、旅をしていた頃は孤独。楽しみなんてなかった。だから、アキヒロの家に来てからの生活がすごく新鮮で、ワクワクしたの。だから余計、申し訳なくなっちゃって。あと、ハルカのこと。ハルカとアキヒロは、本当に仲が良いのね。あたしも幼なじみ、いたらよかったなって思った。あなたたちの関係が羨ましかった。ハルカと接して、分かった。ハルカがいる限り、アキヒロがあたしのモノになることは、ないんだって」


 俺の胸元を押さえていた朔夜の手が、緩む。代わりに小さな額が押し当てられた。


「ほんの少しでいいの。ハルカに向けているものを、あたしに向けて。お願い。おねが、い」


 胸元にじんわりと熱いものが広がっていく。湿り気を帯びたそれは、まるで朔夜の情熱を反映しているかのようだ。

 朔夜は、見返したいんだ。認めてもらいたいんだ。救いたいんだ。

 諦めたんだ。俺に託そうとしてるんだ。俺に、希望を見いだしているんだ。


「やってやろうじゃねえか」


 自然の口をついてでた。

 理性じゃない。ほぼ本能。泣いてる女の子がいたらほっとけない。力にならなきゃ男じゃねえ! みたいな。


「へ?」

「貸すよ。俺の、ナメニストとしての力。吸血鬼界に轟かせてやる。月読アキヒロの名をな」

「アキヒロ……!」


 朔夜が、俺に馬乗りになったまま、胸元に強く顔をうずめてくる。


「貸すだけだ。吸血鬼として、人間として、半々で生きていく。本業人間で副業吸血鬼って感じでやっていくつもりだ。実際に吸血鬼として生きていくってどういうものなのかまだイメージできないんだけど、どんなことだろうがやってやる。男に二言はない」

「スンッ。アキヒロォ。ずびびぃ」

「俺のシャツで鼻をかむな! 流石にこの体液は摂取したくない!」

「あっくん、朔夜ちゃん、ご飯できたよ~」


 ああもうなんでいつもいつも絶妙なタイミングで来るんだこの幼なじみは! カンが鋭すぎるにもほどがあるだろう。


「あー、遥。これについてなんだが」

「いいよ。二人の顔見たらなんとなく分かったから。落ち着いたら下来てね。さて、私はEステでも見てよー」


 遥はすぐにUターン。こういうところの察しの良さはありがたい。

 朔夜が泣きやむまで、その艶やかな黒髪を撫でた。

 普段は大人っぽく思える時もあるけど、今は年相応、いや、年下の子どものように思える。

 尊大な態度、言動は、自分を奮い立たせるため、不安を隠すためだったんだな。

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