残り湯ゴクゴク

「遥。先風呂入ってくれ。残りの洗い物は俺がやっとくから」

「はーい」


 台所にいた遥とバトンタッチ。泡立っているスポンジを受け取る。


「ふぅ」


 疲れた。夕ご飯でここまで味が感じられなかったことは未だかつてない。

 俺と朔夜が何をしたか洗いざらい吐かされ、キスの件やニーソの件、朔夜が下着で動き回っている件等を踏まえ、俺と朔夜が一線を超えないか監視するべく急遽遥がうちに泊まることになったのだ。


「ったく。朔夜が不用意にあんなこと言うから」


 ソファに寝そべり、俺のシャツを着ながらテレビを見ている朔夜に愚痴をこぼす。


「全く面倒くさいのう。付き合ってるわけでもないのにぐちぐちと。姑か」

「遥はうちの母さんがいない間、俺の代理母みたいに今まで振る舞ってきたから姑と言っても過言ではないかもしれない」

「我はアキヒロの主人じゃぞ。アキヒロと何をしようが関与される謂われはない。それこそ一線を超えようがな」

「いやダメでしょ」

「なぜダメなのじゃ?」

「なぜって……」


 言いよどむ俺を見て不敵な笑みを浮かべた朔夜は、ソファから移動し、オープンキッチンにいた俺の対面へじりじりと移動してくる。

 わざわざイスの上に膝をつき、身を乗り出して俺の目の前へ迫ってきた。

 サイズの合わないぶかぶかの俺のシャツを着ているため、手を突いて身を乗り出されると、胸元がはっきり見えてしまう。

 小さいながらも存在する双丘に一瞬目を奪われるもすぐ逸らし、朔夜の目を見つめる。


「フフ、我が本気で誘惑すればぬしなぞ一発で獣と化すじゃろう。ぬしは我の眷属。従僕じゃ。そのことをゆめゆめ忘れぬよう。ほれ、舌を出してみい。我が直々にぬしを鍛えてやろう」


 幼い造形の面のはずなのに、僅かに吊り上げられた唇、朱い舌、目立った八重歯、長いまつげ、妖しげに光っているように見える瞳。それらによって極めて艶めかしく見える。

 蠱惑。魅了。吸血鬼としての能力ではないだろう。だから抗えるはず。

 なのになんだ。朔夜を構成する要素一つ一つがひどく魅力的に見えて、指先さえ動かせない。

 汗が伝う。のどが鳴る。

 朔夜の吐息を感じた瞬間、リビングのドアが音を立て、勢いよく開いた。


「ん~? 何してるのかな、二人とも」


 おかしな空気を引き裂いた声に、思わずのけぞった。


「は、遥。随分早かったじゃないか」


 パジャマに身を包んでいるものの、髪は乾ききっておらず、急いで来たことがうかがえた。


「ちょっと嫌な予感がしてね。ほら、私のカンって昔からよく当たるでしょ? 今回もビンゴ」

「いやいやいや、ビンゴじゃないから。リーチですらないから。朔夜が目にゴミが入ったってんで見てただけで」

「あっくん。それはテンプレート過ぎる理由で逆に怪しいよ」

「っ!」


 隠し事ができねぇ! 


「アキヒロよ。もうゴミは取れた。残りの洗い物は我が片しておくゆえ、ぬしは湯船に浸かってこい」

「! おう、そうさせてもらう! じゃ、遥、そういうことで!」


 朔夜の出した助け船にすかさず乗り込み、退散する。


「やっぱり今日泊まって正解だったなぁ」


 すれ違いざまに遥が怒気を放ちながらそんなことを呟いていた。

 油断大敵。今夜は朔夜とのやりとりに十分注意しなければ。

 脱衣所に駆け込み、後ろ手でドアを閉める。

 一人になった途端、ドッと疲れが湧いてきた。

 朔夜が来てからというもの、非日常の連続で体力並びに精神力がごりっごり削られる。ゆっくり湯に浸かって疲れをとることにしよう。

 服を脱ぎ、風呂へ入った瞬間。


「こ、このにおいはっ!」


 遥の残り湯ぅ!

 そうかそうかそうなのか。理解した。

 これはいわばだし汁。湯によって析出した遥の体液のプール。

 リコーダーぺろぺろが吸血鬼によって生まれたものならば、女の子の残り湯ゴクゴクもまた、吸血鬼から生まれたのだろう。それが分かってしまった。だって、こんなものを前にして、飲まずにいれるものかっ!

 浴槽に手をつき、顔面と湯面が接触しそうになる寸前、俺は静止した。

 僅かに残った理性が警告を発する。

 人としてそれはやっちゃいけないだろうと。見てみろ、湯面に写った自分の顔を。女子の、しかも遥の残り湯に舌なめずりしているだらしない顔を、と。

 それに対し、もう一人の俺が反論した。

 それは人としての倫理観だ、と。今の俺はまごうことなき吸血鬼。人は腹が減ったら飯を食う。これはそれと同じだ、と。

 そもそもここには俺一人しかいない。タガが外れるのは自然の摂理というものだろう。


「いっただきま~すっ!」


 ゴクゴクゴクゴクゴクゴク。

 美味い。相変わらず美味い。だけど薄い。

 これは、あれだ。ぎりぎり甘みを感じられるように作られた飲料、いろ○すだ。女の子の残り湯はい○はす。

 喉が乾いてたのも手伝って、延々飲んでられる。

 浴槽一杯のいろは○。なんてお得なんだ! 遥には毎日うちの風呂に入っていただきたい!

 ゴクゴクゴクゴク。


「朔夜ちゃんっ! ダメだって!」

「ふっふ~ん。我は人間ごときに止められぬわい! それに、ぬしの反応が面白いから余計したくなっちゃうんじゃなぁ」

「このいじめっ子!」

「なんとでも言うがよい~」


 背中越しに聞こえてくる会話。そして、浴室が開く音。


「アキヒロ~。我と裸の付き合いでもどうじゃ……っと、食事中だったか。これは失礼」


 ゴクゴクゴク、ゴックン。

 無言で振り返る。

 そこには、今まさに退室せんと背を向けた全裸の朔夜と、ひきつった笑みを浮かべる遥がいた。


「うわぁ……事情は知ってるけど……目の当たりにするとやっぱり……」


 穴があったら入りたい。むしろ自分で掘って頭だけでも突っ込みたい。

 本人の目の前で残り湯をすする。こんなの正気を保っていられるはずもない。


「は、はは、はははは。あーっはっはっは!」


 浴槽にダイブ。もうこのまま窒息していいや。

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