リコーダー

 六時間目の音楽の授業が終わった。

 帰りのHR後、クラスメートたちは三々五々散っていく。


「あっくん。ちっとだけ部室に顔出さなきゃいけなくなっちゃったから、三〇分くらい待っててくれる?」

「おっけい。ここで小説でも読みながら待ってるわ」

「ごめんね~。すぐ終わらせてくるから」


 と、いうことで、俺は教室で待つことになった。

 人が捌けた教室は、落ち着く。なぜなら人のにおいがないから。

 吸血鬼もどきになって初日はひどかった。様々なにおいが混ざり合って、ただその空間にいるだけで気分が悪くなった。

 二日目の今日こそ多少マシにはなったものの、まだにおいがキツくて数回吐き気を催したほどだ。

 遥が心配してくれたが、あの件で、と端的に伝えたら、じっくり聞かせてもらうから、と少々怒気をはらんだ声音で言われた。遥は何に怒っているのだ。

 ともかく、やっと人がいなくなった教室でゆっくりできる。

 小説を取り出し、ページをめくる。図書室ではなくあえて人のいない教室で読む。それが風情。

 読書をはじめて二〇分あまり。


「お腹、空いてきたなぁ」


 ひとりごちる。

 なんだろう。妙に食欲が刺激される。このにおいはなんだ。

 鼻をひくつかせて周囲を探る。

 左となり。遥の席だ。


「おいおい。これってまさか」


 食欲ではなく吸血欲求。いや、吸血鬼にとって吸血は栄養を摂る行為だから、食欲でいいのか?

 においの元は、机の横にかけられているカバン。そこから先っぽだけ飛び出しているリコーダー。小学生の時に使うソプラノリコーダーではなく、アルトリコーダー。

 あかん。

 抑えろ、俺。それだけはやっちゃダメだ。人として。

 放課後の教室で女子のリコーダーを舐める。それは伝説的な変態行為であり、見つかれば糾弾されること必至。当然社会的に死ぬ。

 震える手でページをめくる。

 ほ、ほぉ。このシーンは伏線ですな。このヒロイン絶対主人公のこと好きだろ鈍感だなぁアハハ。

 さぁてまたこの主人公は難聴を発動させるのかな? んー?


「んー! んま~い! うましゅぐりゅう! ぺろぺろ!」


 六時間目が音楽でラッキーだったぜーい! まだ唾液が乾ききってねぇもんなぁ! はーうまい! 強烈な甘みではなく、例えるなら水飴のような、ほんのり優しい甘さ! こういうのがクセになるんだよなぁ!

 夢中でむしゃぶりつく。表面はとっくに舐め終わり、ワンチャン中に残ってないかと吸い出す。

 ぴゅひゅー。ぴゅひゅーと、リコーダーが鳴る。

 ぴゅひゅー。ぴゅひゅー。

 ガララ。

 ん?


「……うわぁ」


 教室の戸を引く音。俺の行為に引く声。

 終わり申した。拙者、終わり申したにござるよ。

 とりあえずリコーダーから口を離し、ティッシュで綺麗にし、ケースにしまい。

 社会的に死ぬ恐怖で涙目になりつつ、振り返る。


「ず、ずびばぜんでじだぁ。これには、海よりもマントルよりも深いワケが」

「ああー、うん。あれだよね。吸血? ってやつだよね。私のでまだ良かったよ。実質被害ゼロだから」


 そこには女神が立っていた。

 俺の変態的行為の目撃者が遥だと分かり、安堵のあまりくずおれる。


「遥が目の前にいることを今ほど感謝したことはない。ありがとう遥」

「こんなことで感謝されてもなー。すっごい微妙な気分になるなー」

「うん。感謝より先に謝罪だったわ。申し訳ございませんでした」


 二日連続での全力謝罪。


「そうするしかなかったんでしょ? 分かってるから大丈夫だよ。家で吸血鬼関連の話をちゃんとしてくれれば、私、怒ったりなんかしないから」

「ありがとうございますありがとうございます」

「ん。じゃ、スーパーに寄りつつ帰るとしますか」


 怒らなさすぎて逆に不安になる。もっと自分を大事にした方がいいぞ、と言いたかったが俺は口を挟める立場ではないため自重する。

 帰り道にあるスーパーであーだこーだ言いながら食材を買い集め、帰宅。

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