第79ターン クラッドとコトネリア

「――。……それだけは絶対に無ぇ」

 オルファリアが想定していたものとは真逆の答えが、クラッドの口より発せられた……。

「………………え?」

 鳶色の二つの瞳をどちらも真ん丸くし、数十秒間凝固したオルファリアは――その金縛りが解けた途端、篠突く雨のようにまくし立てた。

「――だ、だって! お母さんがカダーウィンに居た最後の一年間、わたしを妊娠したはずの期間の中で、お母さんと一番長く居た男の人って……クラッドさんなんですよね!? 肉体関係もあったって……! それなのに、何で絶対に無いって断言が……!?」

「……何処のどいつからその話を聞いたのかは知らねぇが……そいつも、オルファリアもだ、一つ大きな誤解をしてんだよ……」

 唇の両端をここまでが限界というくらいまで下げ、金の双眸を半眼にし、クラッドは黒歴史を紐解くかのような表情で告白する。


「オレとコトネリアさんの間には……。ただの一度もだ。……だから、オレがオマエの父親である可能性は絶対にあり得ねぇんだよ、オルファリア……」


「……う、嘘……?」

 今日一番呆然とした顔で、オルファリアが虚ろに漏らす。……クラッドの女性関係における悪い噂を、この段階になっても知る由も無いオルファリアであるが――それでも、自分自身が手籠めにされる寸前まで行ったのだ。クラッドが女性に対して手が早いことは悟れるし、過去に関係を結んだ女性が一人や二人ではないということも推測出来る。

(そ、そんなクラッドさんが、お母さんとは一度も、その……シたことが無いなんて――)

「――と、とても信じられません……!」

 オルファリアがどうにか吐いた疑いの言葉に、クラッドは黒髪を数度搔き……述べる。

「……さっきの見たろ? オマエがサキュバスだって解った途端――」

「――あ……」

 情けなさそうな声音のクラッドに、オルファリアは自身の唇を両手で隠した。……今まさに自分が貫こうとした相手がサキュバスだと気付いた瞬間、怯え、萎えてしまったクラッド……。オルファリア相手にそれなら、コトネリア相手にも、きっと……。

「……。何度か、コトネリアさんから誘われたことは、あったんだよ。オレの方から口説いたのだって、一度や二度じゃねぇ。けど、その度に……ここぞって場面で……役立たずだったんだよ、オレの相棒は……」

 己の股間を一瞥し、自虐を零すクラッド……。

「……その度に、コトネリアさんは『仕方ないよ』って、『大丈夫だから』って、言ってくれたんだけどな……。やっぱ、笑顔に影があったんだよ。……傷付けてたんだよな……オレが……」

 そこまで聞いて、オルファリアは察してしまう。クラッドが女性に対して『ああ』だったのは、そのトラウマの裏返しだったのだろうと。……一番好きだった女性と、どれだけ頑張ってもそういう行為に及べなかった事実に対する、代替行為……。

(……お母さんがカダーウィンから居なくなる前と後で、人柄が一八〇度変わったボルドントさんと、ある意味同じ……)

 コトネリアの日記にだって、書いてあったではないか。クラッドは、『何事にも真面目過ぎる分、失敗した時にそれを引きずり過ぎる』と。コトネリアとの関係を、その中であった自分の失敗をずっとずっと引きずって……それで構築されたのが〝辺境の暴君いまのクラッド〟であったのだ。……それが、今、コトネリアの娘オルファリアと出会ったことで……揺らいでいる。虚勢が剝がれていっているようにオルファリアには感じられた……。

「……あ、あの……クラッドさん――ぅわっ!?」

 何か、言わなければならない。コトネリアの娘として――そんなオルファリアの焦燥混じりの呼び掛けを遮ったのは、クラッドの袖無しの外套であった。投げ渡される寸前、クラッドが乾燥の魔法を使ったようで、水気は一切感じられない。同じように、脱いでいた下着やシャツ、ズボンも魔法で乾かして、クラッドは手早くそれらを身に着けていく。……魔法を使えぬほど疲れ切っているというクラッドの先の主張は、オルファリアと事に及ぶ為の方便であったのだ。

 それを行動で撤回したクラッドは……だけれど、無視出来ない疲労があるのは本当なのかもしれない。瓦礫に繁茂した苔の上に、ゴロリと寝転がる。……オルファリアには背を向けて。

 クラッドと、渡された彼の外套との間で視線を行き来させるオルファリアへ、感情を殺した声で〝辺境の暴君〟は言う。

「……少し、寝る。起きたら、飛行の魔法で上まで戻るぞ。オマエも寝とけ、オルファリア」

「……あ、え、その……?」

「……もう手は出さねぇから安心して寝ろ。コトネリアさんに顔向け出来ねぇ真似は……何があろうと絶対にしねぇから。……悪かったな、本当に……」

「……ぁ……ぅ……ぃ、いえ……」

 自分の口から出た声が、酷く落ち込んだ響きを帯びていたことに、オルファリア自身が困惑する。

「そのコートは好きに使え。オマエに風邪でも引かれたら、それもコトネリアさんに顔向けが出来ねぇからな……」

「………………はい……ありがとう、ございます……」

 小さく礼を述べ、オルファリアは角と翼と尻尾を引っ込めた裸身を、クラッドのコートへと包まらせて横になった。空中を漂う《光あれホーリーライト》を、そっと解除する。

 ……しかし、瞼は閉じず……オルファリアは遥か上まで続く暗闇をじっ……と見詰めていた。悪魔デーモンである彼女の視界は、闇では遮られない。それでも、流石にディアスやロレンス、ピリポが居るだろうこの大穴の上の様子までは窺えなかった。

 数分間、それを続けて……。

(……クラッドさん、もう寝ちゃったかな……?)

「……ぁ――」


「――コトネリアさん……」


 ……オルファリアが紡ぎ掛けた台詞は、きっと彼女がまだ起きていることに気付いていないクラッドの独白によって押し留められた。


「……オレ…………強くなったのに、なぁ……っ……」


「……………………」

 微かに湿り気を纏うクラッドの囁きを、オルファリアは聞かなかったことにして……やっと、その鳶色の瞳を瞼で閉ざしたのであった……。

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