第65ターン 真のヒーローはもっと遅れてやって来る!?

 そして――響き渡った眷属アポストルの悲鳴は、その外見に相応しく、この世のものとは思えぬ代物であった。

「…………えっっ……!?」

 想定外の事態に、オルファリアの目が限界まで見開かれる。

(な……何が起きたのっ……!?)

 困惑の中、オルファリアは起こった出来事を反芻する。……眷属アポストルの指先が彼女の乳房へと触れるか触れないか、そうなった刹那――直前のあの悲鳴を上げ、眷属アポストルが己の手を大慌てで引き戻したのだ。それどころか、飛び退いて姿勢まで崩し、腫れ上がった尻から地に倒れ込む。意味不明で滑稽な反応……とは、オルファリアは思わない。彼女の鼻を突き刺す猛烈な異臭の存在があったからだ。

「……ひ、酷い……!!」

 思わず同情的な声がオルファリアの喉から滑り出る。眷属アポストルの、オルファリアへ触れようとした右腕は、指先から手首の辺りまで半ば溶け落ちていた。皮膚下の筋線維どころか、骨まで垣間見えている。恐るべき超高熱に瞬間的に炙られたような様相……。けれど、オルファリアには何故そのような結果が引き起こされたのか、一切見当が付かない。

 だが……眷属アポストルの方はそれをオルファリアからの攻撃だと判断したらしかった。猿面を憤怒の色に染め、よろよろと身を起こすなり、尻から伸びる触手を全て激しくしならせる。それは、四方八方からオルファリア目掛けて轟雷の如く荒れ狂った――

「きゃっ!! ……ぁ…………えっ……?」

 反射的に目を閉じ、尻餅さえついたオルファリアだが――いつまで経っても何の衝撃も無いことに恐る恐る瞼を開く。彼女の鳶色の眼が目撃したのは……彼女自身へ殺到した眷属アポストルの尾の群れが、その身に接触する寸前に何処からか閃いた稲光の如き輝きに弾かれ、かれ、千切れ飛ぶ様。瞬く間に尻尾を一本残らず失った眷属アポストルが、それによる激痛で蹲り、悶え苦しむ。

 ディアスとロレンスも、考えもしなかった大逆転劇にポカンとしていた。

「……オ、オルファリアには、本当に打開策が……あったんだな……」

「……ま、まずいっ。安心したらどっと疲労と痛みが……」

 緊張の糸が切れたようにぐったりとする二人に、しかしオルファリアの方も彼ら以上に唖然としていた。

(い、いえっ、これはわたしも完璧に想定の外の状況で! えっ? 何っ? 本当にどういうことなのっ!?)

 オルファリアは怖々と眷属アポストルへ這い寄ろうとするが、それに気が付いた途端に眷属アポストルの方が地面を転げ回って彼女から距離を取った。その双眸からは涙さえ零れており、オルファリアは完全に怯えられてしまっている。

 ……何がどうなっているのか、全く以って解らない、そういう中――ヒステリックな悲鳴が古代の神殿にこだました。

「ああぁぁああああ――――!? 偉大なるアーネル様の使徒アポストルの方に、何てことぉぉ――!?」

「――うるせぇ、黙れ」

「あぅぐっ!?」

 声の方へ顔を向け、オルファリアはますます訳が解らなくなった。この神殿の入口を潜った辺り、そこでキンキンと耳障りな大声を上げたのは、オルファリアが数時間前の夕食で席を共にした嫉妬教徒エンヴィアンのもう一人――村長の妻だと彼女が思い込んでいた女性。その女性は恰幅の良い肢体を簀巻きにされており、横腹付近に蹴撃を喰らって悶えている。

 ……そして、彼女に蹴りを打ち込んだ人物こそは――

「……ク……クラッドさんっっ!?」

「――ああ、そうだともよ。オマエの愛しいダーリン様だぜ? はっ、何てな」

 朗々と声を上げ、不敵に唇の端を吊り上げるクラッド・イェーガー。……両腕と両脚を切り落としてやったと邪教の村の村長は勝ち誇っていたが……遺跡の石畳をしかと踏み締める左右の脚も、嫉妬教徒エンヴィアンの中年女を拘束した縄を握る左腕も、オルファリアへと親しげに上げられた右腕も、どう見ても彼の胴体に繫がったままである。

 それどころか傷らしい傷も負っていないクラッドに、オルファリアの混乱は極致に達しようとしていた。

(い、一体……どうなってるの~~~~~~~~~~っっ!?)

 目を白黒させるオルファリアと同様に、ディアスとロレンスも目を白黒させるが、彼らの目には同時に強い怒りの炎も揺らめく。

「おまっ……クラッド! オルファリアの一大事に何処ほっつき歩いてやがった!?」

「彼女がどれだけ怖くて大変な目に遭ったか……!!」

「……あぁん? ……ああ。誰かと思えば、カダーウィンで見掛けた雑魚共じゃねぇか。何でオマエらがここに居るんだ? ……いや、状況から見て、この場の嫉妬教徒エンヴィアン共を片付けたのはオマエらか? はっ、余計な手間を省いてオレを楽にしてくれたことは褒めてやるぜ。ほら、礼だ」

「んぶっ!?」「うぎゃっ!?」「ぐはっ!?」

 中年女性の嫉妬教徒エンヴィアンをその場に転がし、オルファリアの許へと悠々と歩いてくるクラッド。……彼は、ピリポ、ディアス、ロレンスの脇を通り抜け様、三人の頭へ液体の入った瓶を投げ付けた。三様の呻き声が響いたものの……砕けた瓶の中身を浴びたディアスたちの身体から、見る見ると傷が消えていく……。等級レベル【Ⅱ】や【Ⅲ】の冒険者では、到底手が出ないほど高価な上級の治療薬ハイ・ポーション。それを捨てるが如く使っていくクラッドに、オルファリアはもう愕然とし過ぎて声も出せなかった。

 オルファリアの前に立ったクラッドは、膝を立てて座り込んだ姿勢の彼女へ、肩をすくめて感想を述べる。

「なかなか眼福な眺めだが、年頃の女の身の僧侶クレリックがンな格好だと、ナートリエル様のお叱りを喰らうんじゃねぇか? もう少し恥じらいを持った方がいいと思うぜ?」

「――ひゃっ、ひゃああああっ!?」

 クラッドの忠告に、ようやく自分が全裸であったことを思い出したオルファリア。焦りつつもすぐ傍に落ちていた貫頭衣型の法衣を我が身へと押し当て、大事な所はひた隠す。

(で、でも、とっくに問答無用で見られちゃってたよぅ……)

 ディアス、ロレンス、ピリポに続き、クラッドにまではしたない姿を見られ、オルファリアは炉にくべられた石炭のように熱を放出していた……。

 そんなオルファリアの様子に余計に笑みを深くして、クラッドは楽しげに口にする。

「さぁて、そろそろ事件の解決編と行こうじゃねぇか――」

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