第59ターン 魔猿

「……オルファリア……? どうしたんだよ、そんな強張った顔して?」

「……まさか!? あのマンティコアの時と同じ……まだ敵が居るのか!?」

「解りません……だから、今調べます――」

 ディアスとロレンスへ答え、オルファリアは両手を胸の前で組み合わせた。

(仮に伏兵が居るとしても。それが嫉妬教エンヴィズムに、献身教徒わたしたちにとっての邪教に属する者なら、この魔法に反応するはず……)


 我らが主へ

 偉大なる献身と慈愛の女神・ナートリエル様へ求め訴えます

 邪悪を見逃さぬそのご慧眼を

 一時わたしにお貸し下さい


「……《汝、邪悪なりセンス・イビル》!」

 僧侶クレリックが自らの信仰する教義において、邪悪・不浄とされる存在を看破・発見する為の魔法だ。オルファリアの場合、献身教ナートリズムの教えが基準となる――

(……ピリポくんが微妙に反応するは、何でかな……? ――ええと、点在して動かない反応は、皆が倒した嫉妬教徒エンヴィアンだよね。この遺跡自体も、嫉妬教徒エンヴィアンの儀式場にされてたせいか希薄にだけど反応してる。……え? な、何、この強い反応!? ビリビリくる……!!)

「反応の場所は――上っ!?」

「~~~~~~~~ッッ!」

「――ちょっ、皆、気を付けて! 天井付近に何か居る!!」

 オルファリアの感知魔法に反応があった瞬間、シルフからも笛の音のような警告が上がる。耳を澄ませていたピリポも叫んだ。冒険者たちの慌てる様に、火傷に塗れた村長が嗤う。

「はっ、はっ、はっ、遅いですな! 我々の仇は『あの方』が取って下さる……うぅっ」

 限界だったのか、そのまま昏倒する村長。――彼とオルファリアたちの中間地点に重々しい落下音が轟いたのは直後だった。

『それ』に向けて真っ先に動いたのはシルフ。メイリンの命に忠実に、ディアスたちを脅かす存在を排除しに掛かったが――渦巻く旋風を裂き、何かが半透明の裸体を殴打した。風の精霊エレメンタルの姿が陽炎のように揺らぎ、霞んで……悲痛な泣き声と共に空気へ溶ける。

「……っっ!? シルフが一撃だと!?」「何だよ、こいつ!?」

 オルファリアを庇って前に出たロレンスとディアスが目を見開く。

 大きさはマンティコアと同等だろう。獅子がベースだった向こうに対し、こちらは猿に似ていた。ただ、全身に毛が一本たりとも無い。生白い皮膚の下で多大な筋肉が蠢くのが見て取れ、生理的嫌悪感を搔き立てる。だが、何よりも特徴的なのは尻と尻尾だろう。末期の腫瘍の如く腫れ上がった臀部より、無数のウミウシを連結したような尻尾……否、触手が、ぱっと見では数え切れぬほど伸びている。

「……!? お、おい、ピリポ! あれは何という魔物モンスターだ!? 僕には全く見当も付かない!!」

「あ……い……う……? ……駄目だっ、ごめん、おいらも解らない! こんな魔物モンスター、実際に見たことはもちろん、書物で読んだことも話で聞いたことも無いよ!!」

 珍しくもピリポに助言を求めたロレンスに、求められたピリポも困惑の声を返した。

「……はっ! こちとらまだまだ駆け出しだぜ。魔物モンスターの正体が解らねえとか、ほんとならそれが当たり前だろ! ビビッてられるか!!」

 声を張り上げ、ディアスが謎の魔物モンスターへと啖呵を切った。無毛症の猿のような鼻っ面に、剣先を思い切り突き出す。肉厚の剣刃は猿面に深々と喰い込んで、それはやけに普通の生物っぽい真っ赤な鮮血を噴き上げさせた。

「……何だよ、簡単に刺さるじゃねえかっ。マンティコアよりも軟らかいくらいだぜ――」

 肩透かしを喰らった顔でディアスがうそぶいたのと同時――唐突に、彼の姿がオルファリアたちの視界から消え失せた。数瞬後、遥か遠い石柱の群れが大音量を立てて薙ぎ倒される。

「「「………………っ!?」」」

 ……その石柱群と直前までディアスが立っていた地点とを結ぶ直線上に、彼の愛剣が甲高い音を立てて落下したのを確認し、ディアスの仲間たちは彼の身に起こったことを理解する。

「……オルファリア、ピリポ、像の陰へ! 全力でいく!!」

 平均よりも小柄とはいえ、一五歳の少年を視認出来ぬ速度で弾き飛ばした異形の大猿へと、ロレンスは指輪を嵌めた左手を突き出した。

「――《燃えろ火の玉ファイアボール》ッッッッ!!」

 嫉妬教エンヴィズムの村の村長へ放ったものの比ではない、オルファリアなら丸々呑み込めそうなほどの大火球が生じ、発射される。オルファリアとピリポがアーネルに改造された石像の陰へと滑り込むのと時同じくして、異様なる猿魔へ着弾し、破裂した――

「…………なっ!?」

 ――否、。猿の胸板へ触れるや否や、轟々と燃えていた火の玉は瞬く間に小さくなり……微かな火の粉を散らして消失した。不自然なほどに白い猿の皮膚には小さな火傷一つ無く……渾身の魔法の不発に呆気に取られたロレンスが、寸刻のディアスの如く搔き消える。

 ……別方向の石柱群が、音高く崩れ去った。

「な、何!? ロレンスが魔法を失敗したの!? それにしては途中まで――」

 焦りと戸惑いが滲むピリポの声に被さるように、不気味な猿が咆哮する。……それは単なる鳴き声ではなく、確かに意味のある言葉を為していた……。


 我らが主へ

 偉大なる平等と奪還の祖神・アーネル様へ求め訴えます

 痛みを退ける温かきその御手を

 一時我にお貸し下さい


 魔猿の手に淡い光が灯る。それが猿自身の顔面へ翳されると、ディアスがそこに刻んだ刺傷が見る見る癒え、跡形も無く塞がってしまった。

「……僧侶クレリックの魔法の《手当てハンド・ヒーリング》!? 僧侶クレリックと同様の魔法を使いこなして、他者からの魔法は打ち消される……? まさか……まさかあれって……『眷属アポストル』……!?」

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