第53ターン 嫉妬教――エンヴィズム

 ……ぉ……ぃ……ァ……ぁ……。

「――んっ……?」

 大勢の人の声と騒めきが鼓膜に届いて、オルファリアは覚醒を促された。

(……ここ……何処……?)

 未だ焦点が合わぬ目をまばたきさせて、オルファリアは考える。

(クラッドさんに眠らされたこと……は憶えてるっ。お腹の空き具合からして、あまり時間は経ってないみたい? 二時間か……三時間? でも、場所があの空き家じゃない。足元が平らな石で……雨音が遠い。村の木造の家じゃなくて、石造りの場所で……な、何か熱気が――)

「――ふぇっ? え? ……ええぇぇっ!?」

 ようやく目の焦点が整ったオルファリアは、視界に飛び込んできた光景に驚愕した。

 無数の篝火が焚かれたこの空間は、過去に存在した古代文明の遺跡と思われる。整然と敷き詰められた大きな石畳に、空間の四方にて佇立する石柱群。苔むし、汚れ、破損した箇所も多いが、それでも漂う荘厳さが、かつては何かの神を祀った神殿だったのではないかと連想させた。

 その、オルファリアがマンティコアと一戦を交えた地下空洞よりも広大なこの場で、数十名の男性たちが歌い、踊り狂っている。しかも、全員が腰布を巻いただけの半裸だった。

 ……その中に、数時間前に食卓を共にした中年の禿げ頭をオルファリアは見付ける……。

「え? ……村長さん? え? 何で……!?」

 彼の方へ一歩踏み出し掛け、そこでやっとオルファリアは自分が拘束されていることを悟る。両手首を頭上へと引っ張り上げられ、そこに枷が嵌められているのだ。

 その枷に繫げられた鎖が、オルファリアの背後にそびえる巨像へ巻き付けられている。この古代神殿の本来の神の似姿だったはずの石像は、各所が削られ、砕かれ、首から上など全く別のものにすげ替えられていた。そして……新たに乗せられた、青年ようでもあり、乙女のようでもある頭部に、オルファリアは見覚えがある。彼女とて僧侶クレリックだ。我が主ナートリエルではないとはいえ、彼の女神と共にこの世界を見守る神の一柱を見間違うはずが無い――

(――均衡と調和の神・アーネル様!? ううん、でも、これは……!)

「……おおっ! 今宵の贄が目を覚ましたぞぉおおおおっ!!」

 頭上を仰いで目を見張るオルファリアに、村長が気付いて雄叫びを上げた。続けて雄叫びを上げる男共の中に、あの村に着いた当初にクラッドが交渉を持ち掛けていた男たちの姿も認め、オルファリアも流石に大体の事情を察する。

(この場に居る人たちは全員、あの村の男性! 彼らはアーネル様の信者で……ここの神殿で何かの儀式の真っ只中っ。だけど……だけど……!!)

 彼らの信仰は、ごく短時間見ただけでも通常の……ネルソンが信仰している均衡教アーネリズムと形態を異にし過ぎていた。そもそも、どんな教派でも真っ当な信仰ならば、数百年前に潰えたものだとしても、他神の祀られた聖域をこのように荒し、神像まで上書きするような真似はしない。

(何より、彼らはわたしをと言った! 生贄を捧げるような教え……そんなもの――)

「――神を正しき姿から歪め、邪神へと貶めるものに他ならない! あなたたちは均衡教アーネリズムじゃない……『嫉妬教エンヴィズム』ね!?」

 オルファリアの看破に、彼の村の村長はニヤリと嗤った。

(アーネル様の教えは二種類ある。一つはネルソンくんたち均衡教アーネリズム。人類は皆が平等だと説き、必要以上のものを自分のものとせず、余ったものはそれを必要とする他の人へ譲り渡す。また、人類以外へもそうあれと、自然を無闇に傷付けず、資源は本当に必要な分だけを譲り受けて、時には人の側からも自然に何かを返す――そんな均衡バランスが世界を安定させるという教え……)

 ……が、現実には人は皆平等というわけではない。ボルドントのように富める者も居れば、マリクのように清貧に喘ぐ者も居る。ほとんどのアーネル信者はそういった部分にも折り合いを付けていくのだが――折り合いを付けられない者たちも居るのだ。

(そのような人たちはこう言う。「アーネル様の仰る平等が達成出来ないのは、本来なら全ての者に均等に分配されるべき富を、一部の者たちが独占しているからだ」って。……そこまでの考えはまだいいけど……彼らは続けてこうも言うの。自分たちを一部の人たちが独占する富の本来の持ち主だと結論付けて、「我々がそれを奪い返すのは当然の権利だ」って!)

 その結果生まれるのは、自分たちより僅かでも幸せな者が居れば、羨み、妬み、その幸せを奪い取ろうとする略奪の教え。空腹の自分たちの前で食事をする者が居れば、その者を殴って食物を奪う。自分たちよりも立派な家に住む者が居れば、家人を虐殺して家を奪う。恋人も妻も居ない自分の前で美しい伴侶を連れた男が居れば、男を惨殺して伴侶の女を強姦する……。

 そんな、アーネルの教えを自分たちに都合良く解釈し、歪めて実践する狂信者たち……彼らの教派を正しき均衡教アーネリズムとは区別して嫉妬教エンヴィズムと呼ぶのだ。

(そういう歪曲された神の教えは他の教派にも……恥ずかしながらナートリエル様の信仰にも存在するけど――嫉妬教エンヴィズムはそれらの中でも反社会性が高過ぎる!!)

 故にこそ、嫉妬教エンヴィズムはほぼ全ての国家で信仰自体が罪とされており、信者は発見次第捕縛……緊急性が高い場合は抹殺・殲滅が許可されているほどなのだと、オルファリアは思い出した。

(あの村は嫉妬教徒エンヴィアンが隠れ住む村だったんだ! わたしの地図にあの村が載ってなかったのは古かったからじゃなくて、元から真っ当な村じゃなかったから……! そして、クラッドさんが受けてた依頼は、多分あの村の壊滅!! その為に、一夜の宿を借りるふりをしてあの村へと潜入したんだ……!! ――え? でも、それなら……クラッドさんは?)

 この場にはクラッドの姿は無い。彼は何故、オルファリアを眠らせたのか? オルファリアが眠っている間にどうなったのか? ……彼女の脳裏に不安の暗雲が立ち込める……。

 オルファリアの表情の変化に、村長は彼女の内心を読み取った様子で嘲笑った。

「君の恋人は、今頃は女共とお楽しみの真っ最中ですよ。まあ、多少暴れてくれましたからな。両腕、両脚は叩き落としてやりましたがね」

「――え……?」

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