第51ターン クラッド暴走?

 とっくに太陽は西の地平に沈んでいるはずだが、さらに厚さを増した雨雲が、オルファリアにそれを確認させることを阻んでいた。

 降りしきる雨が屋根を叩く音を聞きつつ、オルファリアとクラッドは、この村の長……額が頭の天辺を越えてなお後退中の中年男性とテーブルを挟んで向かい合っている。

 村長の妻であるという恰幅の良い中年女性が、湯気を上げるシチューが入った深皿を今宵の客人たちの前に置いた。ミルクと香辛料の香りがオルファリアの胃を刺激する。

 同じ料理を夫と自分の席の前にも置き、いくつかのパンが入った籠をテーブルの中央に鎮座させ、オルファリアとクラッド、この村の村長夫婦がテーブルを囲んだ。

「――さあ、遠慮せずお召し上がり下さい」

「は、はいっ、頂きます……あ――」

 村長に笑顔で促され、首肯したオルファリアだが――彼女は僧侶クレリック。食事の前には敬愛する女神ナートリエルへ祈りを捧げなければならない。

「あの、すみません。わたしは少し――」

「――ほら、早く食えよ、オルファリア。このパン、フカフカで旨ぇぞ?」

「クラッドさんっ!?」

 遠慮無しに籠からパンを二つ、三つと摑んで頬張っているクラッドに、オルファリアは悲鳴を上げた。魔術師ウィザードである彼には食前に祈りを捧げる戒律など無いとはいえ……流石に無礼かつ行儀が悪過ぎる。村長夫妻の分のパンまで無くなってしまいそうだった。

「『遠慮せず』とは言われましたけど、社交辞令も多分に含まれていると思うんですっ。少しは自重して下さい……!」

「ほれ、オルファリア、あーん」

「……むぎゅっ!?」

 小声で注意するオルファリアの小さな口に、クラッドが千切ったパンを差し入れた。一度口に含んだ食物を吐き出すなど、招かれた食卓で行うわけにもいかず……オルファリアは渋々とそれを噛んで、飲み込むしかない。

(まだお祈りも済んでなかったのに……うぅ)

 クラッドによって無理矢理にとはいえ、一度始めてしまった食事を中断してナートリエルへ祈るのも、村長夫妻への礼を欠く。諦めてオルファリアは匙を手に取るしかなかった。

(ナートリエル様には後で懺悔しないと……)

 オルファリアの嘆きを知ってか知らずか、クラッドは村長夫婦と朗らかに会話している。

「随分仲がよろしいのですな。あーん、と食べさせ合うなど、実際に見たのは初めてですよ」

「ええ、オレたちラブラブのカップルなんで」

「……んくっ!?」

 村長の茶化すような弁に、「そんな風に見えたんですか……?」と複雑なオルファリアだったが、応じたクラッドの台詞に、口に含んでいたシチューが気管に入り掛ける。

「あらあら! 大丈夫?」

「平気か、オルファリア? ああ、ご心配なく、奥さん。ハニーはオレが看ますんで」

(誰がハニーですか!?)

 村長の妻を手で制し、こちらの背中を馴れ馴れしくさするクラッドに、オルファリアは胸中でツッコミを入れる。けほけほと咳き込みながら、彼女は彼に囁いた。

「ク……クラッドさん……けほっ……唐突に何を言い出してるんですか……!?」

「実際の関係を説明するのも面倒臭ぇだろ。どうせ一晩だけの付き合いだ。向こうの思いたいように思わせとけ」

 囁き返したクラッドのその考えは、決して誤りではない。本当のこと……クラッドの冒険をオルファリアが手伝う為の臨時パーティと説明しても、村長たちにとってきっと面白い話ではない。むしろ……クラッドほどの冒険者が助っ人を必要とするレベルの脅威がこの近辺に発生していると、この村の人々へ不安をもたらすかもしれないのだ。それならば、オルファリアとクラッドが恋人同士だと勘違いさせて、村人たちの意識をそちらへ逸らした方が無難である。

 ……とはいえ、そうするとなると相応の距離感を装う必要もあって……。

「オルファリア。オレもオマエから食べさせてほしいぜ? シチューが温かい内に……な?」

「………………」

 調子に乗っている様子のクラッドにオルファリアはジト目になりつつも、胸の内を諦観にて満たし、匙でシチューを掬い上げた。

(完全にクラッドさんのペースに乗せられてる気がするけど……一度『わたしとクラッドさんは恋人同士』ってなった流れを、今さら変えられそうもないし……)

「……あ、あーん……?」

 けれども、男性相手にこのような真似をした経験など当然無いオルファリア。思った以上の恥ずかしさにごく自然に赤面してしまう。その上……クラッドに差し出してから気付いたが、自分の分のシチューを自分の使っていた匙で掬っていた。「あっ」とオルファリアが呟いた時には、それはクラッドの口の中に消えている……。

「肉も野菜もゴロゴロ入ってて、どれも良く煮えてるな。牛乳の風味も濃厚で、悪くねぇ」

「……ソ、ソウデスネ……」

 クラッドによる味の評論など、彼との間接キスに動揺するオルファリアにはどうでもいい。

(お、お、落ち着くの、わたし! 冒険者なんてやってれば、仲間と食器を使い回す程度日常茶飯事になるからっ。大体、クラッドさんが本当にわたしのお父さんだったら、父娘で同じ匙で「あーん」なんて大した話じゃないもん、きっと!!)

 ……一般的なオルファリアくらいの歳の娘は、父親と「あーん」などまずやらないだろうが……健全な父娘関係には疎いオルファリアは、悶々と思考を巡らせるしかない。

「オルファリア、もう一回頼むぜ? ただ、少し熱かったから、今度は『ふーふー』冷ましてくれよ?」

「……クラッドさんの仰せのままに……」

 恋人同士というより、ご主人様にお仕えするメイドのような心持ちでオルファリアがクラッドに応じる。知恵熱と羞恥の熱で、色々と振り切ってしまったようだ。

 何にせよ、傍目にはイチャイチャしているように見えるオルファリアとクラッドを、この村の村長夫妻は微笑ましそうに見守るのだった。……少なくとも表面上は……。

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