第40ターン メイとガス

 朝のオルファリアとクラッドの一件を除けば、その日の冒険者ギルド・カダーウィン支部は大きな問題も無く平穏だった。メイリンも、陽が沈み切る頃には業務を完了する。

「それじゃ、お疲れ様! 後はお願いね」

「お疲れ様、メイリン」「お疲れーっす」

 とはいえ、冒険者ギルドにはいつ、どんな急を要するトラブルが舞い込むか解らない。支部に泊まり込む当直職員たちに労いの言葉を掛け、メイリンは女性用の更衣室へ入った。

 メイド風の女性職員制服を脱ぎ、メイリンは鏡と向かい合う。胸もお尻も肉付きは薄いが、細い腰や首筋が繊細なラインを描き、触れたら壊れそうな儚い麗しさを演出していた。それを飾るのは、クローバーの刺繍の清楚な白のブラジャーとショーツ、ガーターベルトとガーターストッキングの一揃えである。

 一度だけ複雑そうに溜息を吐くと、メイリンはそれの上に若草色のワンピースを纏った。

 着替えたメイリンは髪を櫛で整え、冒険者ギルド・カダーウィン支部の奥へ足を運ぶ。辿り着いたのは支部長用の執務室。扉をノックし、低い了承の声と同時に入室する。

 部屋の奥の重厚な机に就き、ガストムが書類にペンを走らせていた。だが、入ってきたのがメイリンと解ると顔を上げ、ペンも書類も脇に退かす。彼の律義な反応に、メイリンの顔には少し嬉しげな微笑が浮かんだ。

「ごめん、ガス。ちょっとお願いがあるんだけど」

「……メイリン……職場でその呼び方は――」

「あたしはもう仕事終わってるもの。プライベートでをどう呼ぼうと、責められる理由は無いわ。……それに、今の時間にここまで来る人はどうせ居ないわよ」

 焦りを滲ませるガストムへそう告げ、メイリンは彼のすぐ横まで行く。お尻を執務机に預け、座るガストムを見詰めた。

「……あのね。今夜、家に帰るのが遅くなる……ううん、もしかしたら帰れないかもしれないの。だから、アニエのことをお願いしたいのよ。……ちょっと……故郷絡みで……」

「――何だとっっ!?」

 顔色を変え、立ち上がり掛けたガストムを、メイリンはやんわりと手で制す。

「故郷のことといっても、事後処理の一環よ。難しいことじゃないわ。……うん、難しいことじゃない……。だからガスは安心して待ってて」

「……しかしだな――」

「――あら、あたしの実力をお忘れ? そりゃあ、元・等級レベル【ⅩⅤ】のあなたと比べれば低いけど……あたしも元々は〝金色の妖精姫〟と呼ばれた熟練の冒険者なんだから」

 不安げなガストムへ突き付けたメイリンの左手の甲に【Ⅹ】の刻印が浮かぶ。それをじっと見据え……ガストムは嘆息気味に折れた。

「……そうだな。俺の迂闊が無ければ、お前は今頃クラッドにも比肩する、この街最強の冒険者となっていたはずだ……」

「……。もうっ、そんな顔しないでよ! あたしだって拒まなかったんだから……」

 クラッドの名が挙がった一瞬、メイリンの顔に影が差したが、直後にやや照れた風に返事をした彼女の表情からは、暗いものは一切合財消えていた。

「……思えば、アニエが生まれてもう三年が過ぎたのよね。あなたと出会ってからなら七年。長かったような短かったような、あたしの今までの人生で一番幸せな日々……」

「もう、そんなになるか……」

 メイリンとガストムの関係は、オルファリアが推測したものよりさらに深いものであった。二人の間にはも居り、事実婚の夫婦と言える。

(だけど……最初の頃は全然仲良くなかったのよね)

 七年前、冒険者になったばかりのメイリンと、冒険者ギルド・カダーウィン支部の幹部職員だったガストムは、会えば口喧嘩ばかりしていた。少し前まで〝辺境の英雄〟と呼ばれる高位冒険者だったガストムから見れば、メイリンは危なっかしい新人冒険者であり、メイリンから見れば、ガストムは口うるさい先輩だったのである。その関係は、よくあるエルフとドワーフのものと何ら変わらなかったはずだ。

(でも……何度も衝突して……いつの間にか気心の知れた相手になって……並んで手を繫ぐのが当たり前の人になって……唇を重ねて、自分の全てを捧げたい男性ひとになって――)

 ――ガストムの子を宿したと解った時、メイリンは間違いなく世界で一番幸せな女性であった。出産と子育ての為、冒険に出ることは難しくなり、冒険者を半引退状態になってしまったが、そのことをメイリンが後悔したことは一度も無い。アニエの将来の為に、少しでもお金を稼いでおこうと始めた冒険者ギルドの職員の仕事もやり甲斐を感じている。

(あたしは今でも充分、幸せなんだけどな……)

 ……自分もガストムも共に働きに出ている為、昼間は娘を余所に預けておかねばならないのがメイリンとしては心苦しいが……託児を請け負ってくれている彼女のかつての冒険仲間たる僧侶クレリックの老婆は、アニエのことを実の孫のように可愛がってくれていた。

 他、お堅いガストムが仕事中とプライベートを分ける為――同時に、『ドワーフなどと関係を持ったアバズレ』と、メイリンが同胞のエルフから白い目で見られぬように、普段はお互いに節度と距離感を保って振る舞うように言い含められていることなど、メイリンの側には微かな不満点はあるのだが……総合してみれば些細なことである。

 ガストムが居て、彼との娘が居る生活は、、メイリンには最大級に幸福なものであったから。

(……なのに、あなたときたら――)

 ガストムの方は、メイリンが冒険者として大成出来なかった原因が自分にあるとして、今も悔やんでいるらしい。……そればかりか、ドワーフとエルフの伝統的な種族対立で堂々と夫婦を名乗れない自分たちの関係まで、己に非があるように思っている節がある。

(しょうがない人よね、ほんとっ)

 故にこそ、メイリンは自らの口ではっきりと、こう言ってやるのだ。

「――愛してるわ、ガス。アニエと並んで、この世で一番愛してる」

 これ以上なく直球に愛を囁かれ、ガストムは頬を搔いた。褐色の顔が、僅かに赤い。

「……俺もだ。俺もこの世で誰よりも、メイ、お前とアニエを愛している……」

 照れながら、それでもしかと返す愛しい人へ、メイリンは自分から唇を重ねた――

(――本当に愛してる、心から……! それは絶対!! だけど……ごめん、ガス)

 ……メイリンの胸の内では、心臓が茨の蔦に雁字搦めにされた如く、痛んでいた……。

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