第21ターン マリク神父とその教会の危機

 ……とはいえ、今日カダーウィンに着いたばかりで土地勘が無いオルファリアに託されたのは、配達先が解り易い手紙だけだった。

「……マリク・ジャスミンさん……ですか?」

「そう、この街の献身教ナートリズムの教会を任されてる司祭様ね」

 行き先を記した地図をオルファリアに渡し、メイリンは簡単な説明をする。

「見た目は少し頼りなさそうな男性だけど、いい人よ。オルファリアさんと同じ献身教ナートリズム僧侶クレリックだし、色々と相談にも乗ってくれるんじゃないかしら? それじゃあ、頑張って」

 メイリンに送り出されたオルファリアは、地図を頼りにカダーウィンの街を歩く。

「……メイリンさん、いい人だったな……」

(だからこそ、年齢について騙しちゃったことは心苦しいけど……)

「……せめて、受けたお仕事はしっかりこなさないとっ。ええと、献身教ナートリズムの教会……だから、その聖印ホーリーシンボルを掲げてる建物のはず…………あれ?」

 献身教ナートリズム聖印ホーリーシンボルは木の葉や花弁を模る。これは、着る物すら惜しまず、恥部を木の葉や花弁で隠す状態になっても他者へ献身すべし、という献身教ナートリズムの理想を表すのだが……理想は理想だ。実際にそこまで我が身を削る者は、献身教ナートリズム僧侶クレリックでも限られる。

(……だけど、マリク・ジャスミンさんはそんな稀有な人なのかも……?)

 オルファリアがそう思ってしまったのも致し方ない。

 木の葉を模る聖印ホーリーシンボルを屋根に掲げた一戸建て。そこまで大きくはなく、造りも古いが、白い壁は丁寧に掃除がされている。なかなか広い庭は根気よく雑草が抜かれ、小さい菜園も造られ、派手さは無いが綺麗に整えられていた。

 ……その庭に、パンツ一丁の男性が俯せに倒れ伏している。

 彼のすぐ横では、オルファリアと同様の修道服……献身教ナートリズムの修道服を着た、彼女よりも一つか二つ年下と思しき女の子が、「神父様死んじゃ駄目~!」と泣いていた。

「――は!? そ、その……大丈夫ですかっ!?」

 予想外の光景に凍結していたオルファリアは、何とか己を解凍してそこへと駆け寄った――


「――みっともないところをお見せして、申し訳ありませんでした……」

「……い、いえ……」

 頭を下げるパンツ一丁……今は毛布も羽織った男性に、オルファリアは頭を下げ返す。

 やはり、彼こそがマリク――この教会を任されている献身教ナートリズムの司祭だという。三〇歳をやや過ぎたくらい、眼鏡の奥の瞳は優しげで対面する者に安心感を与える。

 ……反面、身長は高いが体格はガリガリで、見る者に不安を覚えさせた。

(目を離したら餓死してそう……。実際、ここ数日間水しか飲んでなかったそうだし……)

 見かねたオルファリアは、カダーウィンまでの旅の保存食で余った堅パンを提供したのだが……マリクはそれを共に居た修道女シスター見習いの少女へ譲ろうとした。彼女……ティスに叱られ、やっと自身が口にしたのだが、筋金入りの献身教ナートリズム僧侶クレリックという感じである。

「それで……その、何故こんなことになってるんですか……?」

 同じ献身教徒ナートリアンとして、オルファリアは少し踏み込む。というのも、この献身教ナートリズムの教会は異常だったのだ。本当に必要最低限、切り詰められるだけ切り詰めたものしか……ない。この会話に使っている礼拝堂にも椅子の類いが一切無く、床にござを敷いて話している有様。マリクの服も一着しかなく、今日はそれを汚して洗濯したからこその半裸だという。

 祭壇上の、要所を薄布で隠したのみの乙女の彫像……ナートリエルの聖像も、何処か申し訳なさそうにしているとオルファリアには感じられた。

「……これも全部ボルドントのせいよ! アイツがこの教会を奪う為に卑怯な真似を――」

「――ティス、それ以上はいけません。彼は法を犯してはいないのですから……」

 柑橘類の如き鮮やかな色のツインテールを振り乱して叫ぶティスを、マリクがやんわりと、けれど切々と止める。首を傾げるオルファリアへ、マリクは困り顔で口を開いた。

「恥ずかしながら、この教会には借金があります。その証文を握っているのがボルドントという人で、彼は借金を返せないなら、この教会の土地を寄越せと言っていまして――」

「アイツの商会の新店舗の場所として、この近辺に目が付けられたのよ! それで元々住んでいた人たちを、あの手この手で追い出して……。この教会の借金もその為のでっち上げだわ! マリク様の前の前の前の神父様がボルドントの祖父さんから借りたとか!!」

 リスのように愛らしい顔を怒りに歪め、マリクほどではないが瘦せ気味の身体を憤りに震えさせて補足したティス。その内容にオルファリアも絶句する。

「……仮にその借金が本当でも、今のこの教会が……マリクさんが負担する義務は無いんじゃないですか? 背負うべきはあくまでも当時の神父様なんですから……」

「……当時の司祭様は既に亡くなっておられます。その方の孫夫婦という方々がこの街にまだ住んでおられるのですが……ご病気で働けない身でして。そちらへこの借金を押し付けることとなれば、それこそどうなるか……」

 苦渋の顔のマリクに、オルファリアも理解する。これは、件の司祭の孫夫婦が人質にされた形だ。マリクたちには本来関わりの薄い相手でも、弱者救済の女神・ナートリエルの信徒たるマリクは彼らを見捨てられない。献身教ナートリズム僧侶クレリックの弱点を突かれた形だ……。

「……とにかく、教会を守る為には借金を返すしかありません。その為に八方に手を尽くしているわけです。そういえば……オルファリアさんはどうしてこの教会に?」

「――あ! はい、実はマリクさん宛てのお手紙を預かってまして……」

 冒険者ギルドから託された手紙を、オルファリアはマリクへ渡す。……彼女にも、その手紙が何なのかが解ってしまった。

(……マリクさんが心当たりの人に送った、お金の無心のお手紙の返信なんだ……)

 ……そして、その手紙の束を「ありがとうございます」と受け取ったマリクの表情から、元よりそれが駄目で元々の試みであったことが否応なしに解る……。

 マリクの頼みに先方が応じていたのなら、返されるのはあんな薄い手紙だけはあるまい……。

(…………。うん……決めたっ)

「……あの、そのボルドントという人とは、何処に行けば会えますか?」

「……え?」

 オルファリアの質問に、マリクは面喰らった様子で眼鏡をずり落とした。

「やっぱり、こんなことはおかしいです。わたし、ボルドントという人を説得します! 借金について、考え直してもらえるように……!」

「い、いえ、しかし……今日会ったばかりの、無関係な人を巻き込むわけには……」

 遠慮し、戸惑うマリクへ、オルファリアは断言する。

「わたしも献身教ナートリズム僧侶クレリックです。同胞の危機に立ち上がらなかったら、ナートリエル様に顔向け出来ませんから!」

 オルファリアにもまた、弱者救済の理念は骨の髄にまで刻まれていたのである――

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