シナリオ2 カダーウィン~トラブルだらけの辺境の街

第17ターン これより彼女の回顧録

 その村の名前を記憶している者は少ない……。

 大陸の辺境の田舎も田舎の村で、わざわざ訪れる理由も少ないからである。

 ただ、そんな村にも、極めて小さいながら献身教ナートリズムの教会があった。

 その教会には、そこを任された女の司祭と、少し前にの誕生日を迎えたその女司祭の娘が住んでいる。女司祭の名前はコトネリア、娘の名はといった。

 ……ただし、数日後にはそれはになるのだが――


 西からの陽射しが、カーテンの隙間より細く射し込んでくる。

 簡素な丸椅子に座って舟を漕いでいたオルファリアは、鈍い落下音で浅い眠りを破られた。

「……ふぇっ? ――お、お母さん!?」

 目の前の、丁寧に掃除された木の床の上に俯せの女性の姿。すぐ横の木組みの寝台から転落したことは一目で解るが……問題はその原因だ。豊満な、一〇〇cmを超えているはずの乳房の、その狭間を押さえて激しく震えている。

「お母さん、また痛むの!? すぐに痛み止めの魔法を使うから!」

 オルファリアは自らが、そして眼前の母・コトネリアも仕える女神ナートリエルへ祈りを捧げる――


 我らが主へ

 偉大なる献身と慈愛の女神・ナートリエル様へ求め訴えます

 その温かな息吹で

 苦しみと痛みをお和らげ下さい……


「……《痛いの痛いの飛んでいけペインキラー》……!」

 室内にもかかわらず、春を思わせる微風が吹いてオルファリアの修道服の裾を揺らした……そんな感覚があった。直後、乱れていたコトネリアの呼吸が落ち着き、震えも収まっていく。瞑られていた瞼が開き、娘と同じ鳶色の眼差しがそのオルファリアを捉えた。

「……ぅ……? ……ああ、そっか。ごめんね、オルファリア。また発作が出てたのね……」

「いいの、お母さん。さ、ベッドへ戻ろう?」

 か細い声で詫びるコトネリアへ首を横に振り、オルファリアは彼女へ肩を貸す。歳相応の、一四〇cm台の半ばしかないオルファリアでは、成人女性として平均的な身長のコトネリアを支え切れないのが普通なのだろうが……娘は薄手の寝間着に包まれた母の身体を易々と支えてみせた。……それだけコトネリアの体重が落ちているという証拠である。

 ベッドのシーツへ肢体を沈ませたコトネリアを、オルファリアの苦悩の瞳が見下ろす。元は絹糸の如き光沢を帯びていた長い黒髪は艶を失い、オルファリアと姉妹に間違われたことも数知れない美貌は頬をこけさせてしまっていた。村の同年代の少女たちから「発育が良過ぎ」と羨望を受けるオルファリアをして足元にも及ばない恵まれたプロポーションも、元と比べれば大分崩れてしまっている。……そして、何より――

「……、また出てるよ? ……ひび、ますます大きくなってるみたい……」

 コトネリアの側頭部から伸びた山羊のような角、そこに稲妻の如く走る亀裂をオルファリアは指先で撫でる。

「……ああ、もう……ごめんね。気を抜くと出ちゃうみたい……」

「うん……でも、もしも誰かに見られたら大変だから……」

 力無く笑うコトネリアへ、申し訳なさそうにオルファリアが告げる。

 半端者のオルファリアとは違い、コトネリアは魔界で生まれた純血のサキュバスだ。若々しい見た目とは裏腹に、生きてきた年月はエルフの寿命にも劣らないという。それが何故、献身教ナートリズムに入信し、ナートリエルへ仕えるようになったのか? 正体を隠して人々と共存するようになったのか……? オルファリアも詳しくは知らない。

(それでも、本来の種族が何であれ、お母さんが献身教ナートリズム僧侶クレリックとして恥ずかしくない行いをしてきたことはわたしも知ってる……!)

 村で高熱を出した子供が居れば、一晩中付き添って治療の魔法を掛け続けていた。隣の村で骨折した老人が出れば、治す為に即座に飛び出していたのである。だからこそ、この村の住人ばかりでなく、近隣の村の人々もコトネリアを慕い、頼りにしていた。

(そんなお母さんがこんな風に最期を迎えるなんて……惨いです、ナートリエル様!!)

 コトネリアの今の容体はによるものだ。それも、通常の呪いなど効かない悪魔サキュバスにさえ通じる、。……の呪詛であった。

 ……僧侶クレリックとして未熟なオルファリアでは、それの解呪は出来ない。呪いが及ぼす痛みの緩和が関の山だ。そしてコトネリアにも、オルファリアよりも遥かに優れた僧侶クレリックであるはずの彼女でも、この呪いを除去することは叶わなかったのである……。

(改心して、悪魔デーモンではなく僧侶クレリックとして生きてきたお母さんに、こんなの酷過ぎる……)

 母の僧侶クレリックとしての半生が否定されたようで……オルファリアは目に涙を滲ませた。

(この呪いをお母さんに掛けた奴を、わたしは許さない! 見付け出して絶対――)

「……駄目、オルファリア」

 ――が、黒い感情が渦巻き掛けたオルファリアの頭を、コトネリアの厳しい声が叩く。

呪いこれは私の自業自得。まだ私が悪魔デーモンとして、その所業に何の疑問も覚えなかった頃に受けたもの。……因果応報だから。貴方は私みたいになっては駄目よ」

「……ぅ……ぁ………………ぅ、うん……」

 コトネリアの瞳の中の強い光に呑まれ、オルファリアは俯いた。

「貴方も私と同じサキュバス……だけど、。サキュバスとしての力は本当にどうしようもない時以外は使わないで……人として生きなさい、オルファリア。……そして、幸せになって……」

 噛み含めるように諭すコトネリアに、オルファリアはポツリと返す。

「……出来るのかな、わたしに……?」

「大丈夫よ。貴方は彼の――の血を引いてるんだから」

「……お父さん……」

 花が咲くように微笑んだコトネリアに、オルファリアは問い返した。

「ねえ、わたしのお父さん、どんな人だったの? お母さんと同じ冒険者だったんだよね?」

「そうよ。貴方が生まれる前、私がカダーウィンで冒険者をやっていた頃の仲間でね。とても素敵な男性だったのよ――」

 オルファリアの父親について語るコトネリアは、恋する乙女のような顔をしていて。

 オルファリアはそんな母の言葉を、一言一句違えずに頭に刻み付けていくのだった……。


 コトネリアは一人でオルファリアを産み、育てた。

 そこに夫に当たる男性の影は一切無く、オルファリアも父を面影でさえ知らない。

 そうせざるを得ない理由が、コトネリアとオルファリアの父親にはあったのだろう……。

 それは最期までそうで……結局コトネリアは、オルファリアへ父親に関する決定的な情報は与えなかった。

 それでも、オルファリアは決意していたのである――

 数日後、コトネリアが息を引き取り、その弔いが終わったさらに数日後、オルファリアの姿は故郷の村には無かったのだった……。

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