第16ターン 夜が明けて……

 ――オルファリアたちが洞窟を出ると、東からの日光が目を眩ませた。

「……って、待てよ! あれ、朝日か!? 丸一日以上洞窟にもぐってたのかよ……」

「まずいな……下手をすると、僕たちは全滅したと思われているかもしれない……」

「いや……危うく全滅し掛けたのは事実だけどねー……」

 げっそりとしたディアス、ロレンス、ピリポが口々に言う。けれど、そこには安堵の響きがあった。今回の冒険も全員で生還出来たのだと。

 それを最後尾から、オルファリアは頬を緩めて眺めていた。

「……それにしても、運が良かったよね、おいらたち。なんて……」

「へっ、これも俺の日頃の行いの良さのおかげだよな!」

「ディアス、それは無い。ピリポも言わずもがなだ。それはむしろ……オルファリアだろう。僕ら三人が意識を失い、その後の顛末を見届けたのが彼女であることからも……」

 ピリポ、ディアスの向こうから穏やかな言葉を投げ掛けてくるハーフエルフの青年へとやや引き攣った微笑を返しつつ、オルファリアの胸中は嵐の海のように波立っていた。

(ううぅぅっ!? ごめんなさい、ごめんなさい! それは全部、嘘なんです!!)

 ……あの後、さらにいくらかの時間が経過して我に返ったオルファリアの前には――ミイラのような有様で倒れたマンティコアが居た。サキュバスの本能に支配されたオルファリアに、らしい……。息はあったが、声一つ上げられないほどにしおしおのぷーであった。……特に股間のオスの証などは……。

(わ、わたし、なんてふしだらなことを!? ナートリエル様、懺悔します! お許し下さい、お許し下さいぃぃ~~~~!!)

 とはいえ、それは正気に返ったオルファリアには僥倖でもあったのだ。髪の先まで生乾きの白濁液に塗れ、吐く息すら生臭い我が身を《浄め給えクリアランス》……浄化の魔法で清めた後、仲間たち三人を《手当てハンド・ヒーリング》して――目を覚ました彼らには前述の偽りの顛末を教えたのである。精力の尽き果てたマンティコアの死んだふりは秀逸で、周囲には実際に彼の魔獣が粉砕した小鬼の屍も散乱していた。ディアスもロレンスもピリポも、それを目の当たりにしてはオルファリアの説明に疑いを持たなかったのである。

(そうしないと、わたしがサキュバスだって皆に説明しなきゃいけなくなるから。……それは、出来ないもん……)

 内心で言い訳するオルファリアの表情に、素知らぬ顔で皆の中に混じる悪魔じぶんに対する嫌悪感が滲む。苦しげな彼女に、ディアスが申し訳なさそうな声を向けた。

「……そういや、本当に疲労は大丈夫なのか、オルファリア? 俺たちがゴブリンゾンビ共やマンティコアから受けた傷、一人で治してくれたんだろ……?」

「あ……へ、平気です、ディアスくん。わたし、精魂アニマの回復は早い質ですから」

(じ、実際には、マンティコアから奪った精魂アニマを利用して治療したから、自前の精魂アニマは減ってないんですけど……あぅぅっ……!!)

 ディアスに自分は元気とアピールする裏側で、オルファリアは如何にしてマンティコアから精魂アニマを奪ったのか、その方法を思い出して悶絶する。

(う、薄っすらとだけど、憶えてるよぅ……! あ、あんなモノを舐めて、キスして……出てきた白いモノを……ああああああああっっ!?)

 それは『生命のエキス』。元来は新生命誕生の為に使われるものだ。精魂アニマはこれ以上ないほど含まれている。それをサキュバスたるオルファリアが己の体内に取り込めば、精魂アニマも滞りなく自らへと取り込めるというわけであった。

 の味も舌触りも、温度だってオルファリアは憶えている。それが胃の腑へと流れ落ちていく感触に、極上の美酒を飲んだような満足感さえも覚えていたのだった。その記憶は、自分を取り戻した今のオルファリアにとってはのたうち回りたくなるものである。

 ……救いは、オルファリアが口だけでマンティコアの精力を枯れさせていた点だろう。もし、マンティコアのそれが口だけでは絞り尽くせないものであったのなら……サキュバスの本能の赴くまま、オルファリアはでもマンティコアの精魂アニマを味わおうとしたかもしれない。その行為が、己のと引き換えになるとしても……。

(……でも……あんなにも大きくて逞しいモノになら、散らされても本望だった、かも……❤ ――はぅっ!? わわわわ、わたし今、何考えて……!?)

 ふと頭を過ぎった名残惜しさに、オルファリアは動揺して頭をブンブンと横に振る。彼女の奇行に気付かないまま、ピリポが殊更明るく声を上げる。

「さ、とにかく早く村に帰ろう! ゴブリンたちを退治したことを報告して……マンティコアのことも説明しないとさ。……信じてもらうのに結構苦労しそうだけどー……」

「……ゴブリンはともかく、マンティコアの存在は村人たちも知らなかっただろうしな」

「ああ……」

 げんなりとしているディアスに、珍しくロレンスが同意する。

 彼らの大冒険を依頼者の村人たちに説明し、それに見合った報酬を貰うには、結構な苦労が必要そうではあった。その上――

(……ごめんなさい。マンティコアについては、本当に駄目だと思います……)

 オルファリアは自らの虜となったマンティコアに、自分たちが村へと戻った隙にこの地から去るように言い含めていた。人に害を為さないことも約束させたので、今後あの魔獣が人々の脅威となることはないだろう。ならば命を奪うまでもないというのが、慈悲深き献身教ナートリズム僧侶クレリックたるオルファリアの判断である。

 ……もっとも、あそこまでオルファリアに心奪われたマンティコアだ。彼女が呼べば、何処に居ようとすっ飛んでくるであろう。

「――それでも、少しでも報酬の上乗せはお願いしないとね! せめて、だけでもっ」

 そう言ってオルファリアの方を向こうとしたピリポの頭を、ディアスとロレンスが左右から摑んで妨害する。彼ら自身、決してオルファリアの方を向かない……先刻からずっと。

 ……緊急事態だったとはいえ、ピリポに帯を切られ、その後ゴブリンゾンビたちに破られたオルファリアの法衣は、最早衣類とは呼べない残骸であった。今、彼女は、それを身体へ巻き付けているのみ。その下に着けていたショーツも今や無く……躍動感を抑え切れない乳房も、曲線美に富むヒップも、どんな拍子に布からはみ出るか解ったものではなかった。

「……こ、このままだととても街まで……『カダーウィン』まで帰れませんし……どうにか、お願いします……」

 顔を耳まで熟れたイチジクの色にし、オルファリアは仲間たちへ頭を下げた……。


 淫魔サキュバスにして僧侶ヒーラーたる冒険者、オルファリア。

 その正体が暴かれれば、彼女自身が冒険者に狩られる立場になりかねない異端の存在。

 この少女が如何なる目的でこんな危ない橋を渡っているのか……その理由は今から一ヶ月と半月ほど前にまで遡ることとなる――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る