第2ターン 洞窟内の遭遇戦

「――ほぅっ……ほほぉぅっ……♪」

「……僕の背中で気持ち悪い息を吐くな……!」

 おんぶしたピリポの興奮した吐息に、ロレンスの額には青筋が浮かんだ。容姿が端麗な分、ロレンスのその手の表情には凄みがある。青い両目が細められ、逆八の字を描く眉の間に皺が刻まれれば、大概の者は回れ右するだろう。けれどピリポは――一七〇cm台の半ばに達するロレンスの痩躯よりも七〇cmは小さい体格の彼は、恐れの『お』の字も垣間見せない。

 子供特有の恐れ知らず……ではない。ピリポはこう見えてとっくに成人している。彼は死ぬまで子供のような姿を保ち続ける種族・『ピグミット』の出身なのだ。

 ついでに言えば、ロレンスも人間……『マンカインド』ではない。その灰色の髪の隙間から、先がやや尖った耳が覗いている。彼は『ハーフエルフ』。森に住まい、老いを知らずに数百年、数千年の時を生きると言われる美貌の種族・『エルフ』と人間マンカインドの血を併せ持つ存在なのだ。

 ……ロレンスの場合、その中でも少々特殊なのだが……。

 そんなロレンスへ、ピリポは胸の内を熱く語る。

純白ピュアホワイトの楽園を見た。ベリー系を思わせる甘酸っぱい体臭と孵化寸前の卵みたいな温もりに包まれて……あのまま窒息してたら、おいらは絶対天国行きだったね!!」

「黙れ。貴様の行き先は地獄以外にあり得ない……!!」

 息絶える寸前までオルファリアのスカートの中を堪能した変態小人に、ハーフエルフの青年の侮蔑の眼光は絶対零度を記録する。

 溜息一つ吐いてロレンスが前方へと向き直れば、並んで先行するオルファリアとディアスの背中が見えた。オルファリアが生んだ燃料に依らない……『魔法』の明かりを頼りに、土や岩が剝き出しの洞窟内を慎重に進んでいる。

 ……急勾配を降りる際にオルファリアが足を滑らせて、下に居たピリポをクッションにしてしまった後も、一行は洞窟の奥に進むのをやめなかった。ピリポの被害が羽帽子を被った頭が多少クラクラする程度だったというのも理由だが(とはいえ、大事を取って彼はロレンスに背負われることとなった)……そもそもをまだ達成出来ていなかったのだから――

「……あ。ディアス、オルファリアちゃん、待って」

 ――ヘラヘラしていたピリポの表情が真剣に引き締まった。瞼を閉じたのは聴覚へと神経を集中する為だと、他の三人は知っている……。

「……多分、二。じりじりと近付いてきてる。明かりが見付かったんじゃないかな?」

「……っ、すみません……」

「オルファリアが謝ること無いさ! 暗闇じゃ、ロレンス以外は何も見えねえんだしっ」

 項垂れた照明担当のオルファリアを、ディアスが朗らかな笑顔で励ます。

「でも、わたしが落ちた時、受け止めてくれたピリポくんのランタンを壊さなかったら……」

 オルファリアの言う通り、ピリポのランタンは窓に蓋があり、適時光が漏れぬように閉めることが出来た。それが壊れなければ、もっと身を潜めて進むことも出来たかもしれないが――

「いや、ピリポのランタンが壊れたのはピリポの自業自得だろ?」「ああ」

 ディアスの呆れた声にロレンスが同意する。……あの急勾配をピリポがオルファリアよりも先に下り、ランタンを掲げていたのは、次に降りるオルファリアのスカート内を覗く為だったと、ディアスもロレンスも察していた。一人解っていないオルファリアがキョトンとする。

 旗色が悪くなったピリポがごまかすように声を上げた。

「ほら、もうすぐ来るよっ。迎撃準備ー!」

「……よし、このお荷物を地面に捨てて僕が前に出よう」

「い、いえっ、ここはわたしが! ロレンスくんはピリポくんをお願いします」

「俺も一緒だ。気負い過ぎるなよ、オルファリア!」

 ロレンスを制してオルファリアとディアスが前へと駆け出した。光源であるオルファリアの移動に合わせ、照らされる範囲も動き――その中に子供のように小柄な影が二つ入り込む。

 深緑の体色と褐色の肌の、頭から短い角を生やした人型の生き物。腰にボロ布を巻いただけの格好で、顔は乱杭歯を剝き出しに醜く歪んでいる。ある程度田舎で育った者なら一度ならず見たことがあるはずだ。畑の野菜や牧場の家畜を盗みに来た……このゴブリンを。

 何ということもない。とある村の近くのこの洞窟にゴブリンの群れが棲み付いた。これまでは畑が荒らされる程度だったが、ついに村人に怪我を負わされる者が現れたと。もっと深刻な被害が出る前に退治してほしい……そんな依頼をオルファリアたちが引き受けただけの話だ。

「さあ、覚悟しろよ!」

「グルッ?」

 深緑のゴブリンへ、ディアスが剣を抜いて突撃する。肉厚で幅広な刀身のブロードソード。洞窟の壁に引っ掛けぬよう小さく振るわれたそれは、しかし持ち前の重量と存外に鍛えられたディアスの筋力により、ゴブリンの短剣を押し込んでその肩口に喰い込む。

「イギィッ!?」

「………………」

 それを横目に見て、オルファリアに微かに痛ましげな表情が過ぎった。神の名を唱えていたことからも解る通り、彼女は僧侶クレリック。それも慈悲深く、弱者救済を教えとする女神・ナートリエルを奉じる『献身教ナートリズム』の聖職者だ。本来は誰かを傷付けることは……それが魔物モンスターであっても望むところではない身である。

「……ですが、ゴブリンあなたたちはあの村の人たちを傷付けてます。看過は出来ません……!」

 弱者救済を旨とするからこそ、略奪者や侵略者に抗する戦女神としての側面もナートリエルは持つ。彼女に仕える献身教ナートリズム僧侶クレリックも、力無き人々の盾となり刃となるべく日々鍛錬を欠かすことは無い。その成果を発揮するに、眼前のゴブリンは充分な相手であった。

「――えいっ!」

 法衣の裾を翻してオルファリアが振るったのは、白魚のような指にはやや太い棒。先端には短めの鎖が取り付けられており……鎖の先には棘が無数に生えた鉄球が繫がっていた。存分に遠心力が乗った棘付きの鉄塊が褐色の肌のゴブリンを襲う。

「ギャッ!?」

 構えた棍棒で鉄球を受け止めたゴブリンだが、木製だったそれは砕け散る。ゴブリンよりは大柄でも、オルファリアの身長は一五〇cmに数cm足りない。人間の中では小柄な少女の、その身に不釣り合いな凶悪な武装に、褐色の肌の小鬼の腰が引けた。

「はああっ!」

 その隙を見逃さない程度にオルファリアには覚悟があった。モーニングスターが先とは左右逆の軌跡を描く。――肩を打たれ、腰を打たれて、褐色のゴブリンが動きを鈍らせていった。オルファリアを後方から見守っていたロレンスが安堵の息を吐く。

「手助けは必要無いか。まあ、当然だな……」

 ピリポだけはもう少し早いものの、ロレンスもディアスもオルファリアも、冒険者となったのは一ヶ月程度前のことだ。まだまだ駆け出しの身ではあるが、ゴブリンは魔物モンスターの中でも最弱の類い。冒険者として一月ひとつき生き延びてきた者ならば、相当油断せねば負けはしない――

「……ちょ、ロレンス。ディアスが負けそう」

「はああっ!?」

 ――そのあり得ない出来事が、もう一人の前衛の方で起きつつあった……。

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