三 西洋傘屋

 翌日。道で出会う相手の顔もわからないので「誰ぞ彼」転じて〝たそがれ時〟、あるいは「彼は誰」から〝かはたれ時〟なんて呼ばれます夕方薄明の頃、こうして小僧三人組は新橋にできましたステイシヨンに集まりますってえと、英国から輸入された黒光りする汽車に乗り込み、はるばる横浜へ向かうこととなりました。


 この相手の顔が見えるようでいて見えない、なんだか不安な心持ちにさせる薄明の頃を昔っから魔物に出逢う時刻――〝逢魔が時〟なんていう風にも呼びますんで、化け物達が旅するにはいい時間帯でございます。


 明治五年九月十二日――今の暦にしますと十月十四日、新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通し、この国でもようやく汽車で旅をする時代が始まりました。


 にしても、あれだけ西洋の文物に対して敵愾心を燃やしてるってえのに、こういう時だけそんな西洋近代文明の力に頼るってえのがちゃっかりしてますねえ。


 ちゃっかりっていやあ、切符代に関してもこの唐傘小僧、しっかりケチります。


 今と違って運賃は高額でしたから、もちろん乗るのは一番安い下等客室でございますが、それでもまだ庶民には高い買い物です。


 そこで、唐傘小僧の考えた作戦というのが……。


「――唐傘っつぁん、ほんとに大丈夫なのか? あの車掌とかいう制服着たのに見咎められねえだろうな?」


「おいら、初めての汽車ってだけでもドキドキしてんのに、これじゃあ心配で肝が口から飛び出しちまいそうだよ……」


「なあに大丈夫だって。俺は唐傘だよ? おめえらと違って貨物扱いだ。それに手に持って乗る分にゃあ代金もいらねえだろう。ほら、そこの紳士だってコウモリ傘(※黒い洋傘)を杖替わりに突いてらあな」


 そう。この唐傘小僧、切符は雨降り小僧と豆腐小僧の二人分だけ買って、自分は畳んで雨降り小僧に持たせますと、ただの唐傘のふりをして客車に乗り込んだんでございます。


 さすが古道具の変化へんげした付喪神、こういう時には便利なものですねえ。


 しかし、文明のりきに慣れておらず、ただでさえ緊張している雨降り・豆腐の二小僧にとってみれば、いつキセル・・・がバレて人間に捕まり、見世物小屋へ売り飛ばされるんじゃないかと堪ったもんじゃありません。


 昨夜は非常に楽しみにしていた汽車の旅も緊張と不安でビクビクしっぱなし。


 現代では三十分前後で行ってしまうところ、当時でも新橋~横浜間の所要時間はわずか五十三分程。


 流れゆく車窓の景色を眺める余裕もないまま、あっという間に横浜へ着いてしまいました。


 それでも、到着した頃にはもう景色は薄闇に染まり、当然、雨降り小僧がいるのでしとしとと小雨が降っております。


 辺りが雨霧に煙る中、すぐに夜の帳がすっかり下りてガス灯が点きますってえと、まるで異国かと見紛うばかりの横浜の街を三小僧は一番大きな洋傘屋を探して歩きます。


「へえ~これが横浜の煉瓦街ってやつかい。話に聞く〝霧の都・倫敦ロンドン〟ってえのは、かくもあらんやって感じだな」


「うん。ほんと、まるで日本じゃねえみてえだ。こりゃあ、逢引するのに女子おなごウケも良さそうだ。世間がどんどん洋風化していくのもわかる気がするよ」


「なに感心してんだよ。ほら、駅前で買ったこの『横浜新名所案内』って本によるとだなあ、あそこに見えるこ洒落た白い店構えのが一番でけえ洋傘屋らしい。なんでも異人がやってる店みてえだな。さあ、さっそくお邪魔してご挨拶といこうじゃねえか」


 雨降り小僧のせいで天気が悪いこともあり、夜の通りには人っ子一人、人影はおろかおばけの影も見えません。もう真っ暗だし客も来ないんで、洋傘屋もすでに店をしまいにして入口の戸をすっかり閉ざしております。


 汽車での緊張も何処へやら、すっかり観光気分の雨降り・豆腐をたしなめますと、人気ひとけのないのをこれ幸いに、見つけた横浜一の洋傘屋へと唐傘小僧は早々忍び込みます。


 ああ、らしくないんですっかりお忘れかもしれませんが、こう見えてこの三人、生身の人間じゃなく妖怪です。鍵のかかった建物へ忍び込むなんざ朝飯前の芸当なんですな。


「あ、ちょいと待っとくれよ。今、提灯点けるから……」


 外にはガス灯があったんでまだいいものの、店じまいした店内へ入ると当然、店先に手代もおらず、照明器具も点けてないので一寸先も見えない真っ暗闇です。


 そこで、図像にも一緒に描かれており、自身のトレードマークにもなっている小田原提灯を雨降り小僧は取り出しますと、すばやくそれに明かりを灯します。


「おお~! こいつはすげえ。こんな店は見たこともねえ」


「いろんなのがあるねえ。おいらもろくろ首の姉さんへお土産に一本買ってこうかな」


 すると、橙色の薄明りの中に色とりどりの洋傘が並べられた店頭の棚が映し出されます。もちろん初めて見る西洋風の店の中ですからね。雨降りと豆腐は二人してまたも感嘆の声を上げてしまいます。


「だから、感心なんかすんじゃねえよ。ここへ来た目的を忘れたかい? おう、ごめんよう! 誰かいねえかい!? こちとら日本を代表する傘のおばけ御一行様だ。誰かいるんなら出て来てくれい!」


 対する唐傘小僧は再び二人をたしなめてから、声をひそませつつも叫ぶというどうにも矛盾したやり方で店内を見回しながら声をかけます。


 いや、別に店の者を呼んでるわけではございません。この〝誰か〟というのはこの店にいるであろう洋傘の妖怪です。


 普段、人間に見られていない所で活動するのが妖怪…とりわけ付喪神の暗黙の了解ですからね。店の人間には気づかれずに呼び出そうとするので、必然、こんな変な声のかけ方になっちまうわけです。


「おお~い! 誰もいねえのか~い!」


 しかし、やはり声を潜めているためか、どんなに叫んでも辺りはしんと静まり返り、一向に返事はありません。いや、目の前に並んでいる洋傘の束へ向かって話しかけてますからね、こんな声でも聞こえてるはずなんですが……。


「おかしいな。こんだけ洋傘のある大店おおだななら、傘化けの一本や二本いて当然のはずなんだが……」


「おや、なんだか声がすると思ったら珍しいお客様だ」


 訝しがる唐傘小僧ですが、すると店の奥の方から別の声が返ってきます。


 三小僧がそちらを振り返ってみますと、青く光る目に金色に燃える髪、天狗の如く鼻の高い長身の男が黒いフロッグコートを着て立っているではありませんか。


「ひぃっ! お、おばけだあ~!」


「鬼…いや、大天狗さまだあっ!」


「馬鹿野郎、おばけは俺達の方だろ! 違う、ありゃあ異人だ! 店の人間に見つかっちまった! に、逃げろお~っ!」


 唐傘小僧の声に洋傘の妖怪ではなく、この洋傘店を営んでいる西洋人が出てきてしまったんですねえ。


 これには唐傘小僧も大声を上げて、他の二人とともに逃げ出そうとしたのですが……。


「アア、お待ちください! 逃げなくても大丈夫デス。じつはワタシもアナタ達と同じモンスター――西洋のオバケなんデス」


 異人はそう言って三小僧を呼び止めます。


「ええっ!? 異人の化け物だって?」


「ハイ。ワタシはイギリスから来たヴァンパイアというオバケで、表向きはこうしてコウモリ傘・・・・・のお店をやっております。ヴァンパイアだけに。ハッハーッ! ……あ、いや、このジョークはヴァンパイアを知らない皆さんにはまだ早過ぎましたかねえ」


「はあ? ばんぱい屋? いや、別に店の名前なんてどうでもいいんだよ。それより、この店のもんならここにいる洋傘の付喪神を呼んでくれ。俺達ぁそいつに用があんだよ」


 あちらの国の冗談なのか、なんだか訳の分からないことを言ってはおりますが、自分達を見ても驚かないところを見ますと、どうやら同じ妖怪ではあるようです。


 そうとわかれば渡りに船と、唐傘小僧は逃げるのをやめて彼に尋ねてみます。


「ツクモガミ? ……ああ、古くなった物に魂が宿り、モンスターになるというこの国の習わしですね」


「おうよ。ここも洋傘屋なら洋傘の化けたやつがいんだろ。俺達ぁ日本の傘の化け物として、一つ挨拶しとかなきゃあならねえと思ってはるばる横浜まで来てやったってわけよ」


「いませんよ、そんなもの」


「ああ、だからいねえのはわかっ……は? いねえだと? んなわきゃねえだろ。こんだけ傘あんだからよ」


 しかし、その西洋妖怪だという店の主は予想外のことを言い出します。


「いえ、我々西洋の国ではそうした古い物が化けるという風習がないのデス。それに、この国で西洋の傘を売り出してまだ日が浅いデスからネ。仮にツクモガミになるのだとしても、そんな古い傘はアリマセン」


「なんだって!? んじゃあ、西洋には付喪神はいねえってえのかい!? 洋傘の化け物も?」


「はぁ~こりゃあたまげたねえ。さすが西洋、俺達の常識は通じねえようだ」


「へえ~そういうもんなんだねえ。所変われば品変わるってやつだ」


 思いもよらないこの話には三小僧も異口同音に驚きの声を上げ、唐傘小僧なんか、あまりのことにその場へへたり込んで大きく溜息を吐いてしまいます。


「ハァ~……なんてこった。せっかく高い汽車代はたいて横浜まで来たってえのに、これじゃあ骨折り損のくたびれ儲けだ……傘だけに、足は一本でもなんともオアシがかさむ」


 おあとがよおしいようで……。


                      (傘御化文明開化覚書 了)

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傘御化文明開化覚書 平中なごん @HiranakaNagon

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