第5話 懺悔

『大阪市で集団食中毒発生 コンビニ弁当が原因か』


 この見出しの新聞記事によると、大阪市梅田にある某ビジネスホテル隣のコンビニエンスストアで弁当を購入した十数名が吐き気を訴えて近くの病院に搬送されたとある。患者の名前は出ていないが、その中には塩谷紗理奈が含まれていた。原因は彼女が食した生姜焼き弁当の豚肉と見られている。


 症状は軽くはなかったものの一週間の入院、退院後も一週間の自宅療養で回復する見込みである。だがそれは受験生の身にとっては致命的とも言えた。国立大学の二次試験があるのに、満足に勉強が出来ないのである。


 明経大学は当然試験放棄で不合格だが、元々行くつもりが無かったからダメージは少ない。それよりも、今日十三日の卒業式に参加できなくなってしまったのは痛恨の極みであった。人生一大イベントの一つを病により不意にしてしまったのだから。自己管理がなっていなかったのならまだしも、他責事故なのである。悔しい以外の感情が湧いて来ようか。


「ごめんなさい、お母さんと一緒に行くべきだったわ……」

「もうその話はしないの。過ぎてしまったことは仕方ないんだから。今は体をゆっくり休めなさい」


 本来であれば今日は母親に最後の晴れ姿を見てもらい、苦楽を分かち合った同級生たちと別れを惜しみつつ受験の成功を祈る日であった。それが遠い大阪の地で入院生活を送る始末に。もうすぐ退院とはいえ最悪な気分である。実家と大阪を往復するだけで時間とお金がかかるにも関わらず、毎日お見舞いに来てくれる母親がいなければ全て投げ出していたかもしれなかった。


 母親は昼過ぎには帰っていった。また明日ねと言い残して。紗理奈はベッドテーブルの上に問題集を広げて解き始めた。入院してから三日ほどはシャープペンシルすら握れないほどで、その間に抜け落ちてしまった学習内容を脳に再充填すべく時間の許す限り勉強した。それでも消灯時間はきっちり守らないといけないので徹夜は不可能である。こうしている間にも同級生は最後の追い込みにかかっていると想うと、焦りが出てしまう。


 壁には八千代から貰った明経大学受験用の黒いお守りを飾っている。紫紺色を用意したかったけど無かったらしく黒色になったと八千代は謝っていたが、本番を迎えられなかったことにお守りの中にいる彼女の分身もさぞ無念がっていることであろう。


 コンコン、とドアがノックされた。


「どうぞ」


深緑色の制服を着た少女が二人、病室に入ってきた。


「塩谷さん!」

「紗理奈先輩!」

「や、八千代!? それに菅原さんまで……」


 幻覚ではない。正真正銘、恋人の倉賀野八千代であった。そして平成三十年度生徒会共同代表、菅原千秋も。


「せんぱぁい……」


 八千代はどっと涙と鼻水が溢れさせた。千秋がポケットティッシュを取り出して鼻を噛ませる。落ち着くまでは時間がかかりそうだから千秋から話しかけた。


「食中毒になるなんて、災難だったね」

「二人とも、もしかして卒業式が終わってすぐに……?」

「うん。塩谷さんに卒業証書と、大事なものを持ってきたよ」


 千秋は黒い筒をカバンから出し、中の卒業証書を取り出して広げ、読み上げた。


「卒業証書、塩谷紗理奈殿。貴女は本校後期課程を修了したことを証する。令和二年二月十三日、緑葉女学館館長牛田由美子。菅原千秋代読」


 差し出した卒業証書を、紗理奈は「ありがとうございます」と丁寧に受け取った。心遣いに自分も涙が出そうになったが堪えた。まだ受験は終わっていないし、泣くときではない。


「それと、受験した大学からの通知。きっと悪い結果じゃ無いよ」


 千秋は社交辞令で言ったわけではないらしい。というのも、同盟社大学と立栄館大学から送られてきた二通の封筒は中身が詰まっているように見えたからだ。つまり、入学手続きや学校案内の通知まで一緒に入っていることを暗に示している。


 二通同時に開封して恐る恐る中身を確かめると、まさしく、合格証書が入っていた。紗理奈は顔を綻ばせた。


「受かったわ。ほら八千代、見て。あなたのおかげよ」


 二通の合格証書を八千代に見せた。すると八千代はまた涙と鼻水を流して、大声で泣いた。


 声色は悲痛で、どうも嬉し泣きには見えない。


「どうしたの?」

「うぇぇっ、ヒッ……わっ、わたしはっ、わたしは……ヒグッ……うぇぇぇん!!」


 紗理奈は問題集を片付けて、ベッドから降りた。歩けるには歩けるが、まだ点滴の針が刺さったままである。


「菅原さん、せっかく来てくれたのにごめんなさい。少し二人で話をするわ」

「うん、わかった。あ、これ飲ませてあげて」

「ありがとう、頂くわ」


 紗理奈は差し入れのスポーツドリンクを受け取ると、点滴スタンドを転がしながら、二人して病室から出て行ってロビーに場所を移した。


「ほら八千代。これを飲んで」

「はいっ……」


 八千代はもらったばかりのスポーツドリンクのペットボトルに口をつけて、ラッパ飲みした。しばらくすると落ち着いてきたらしく、涙と鼻水をティッシュで拭って、口を開いた。


「先輩が食中毒になったの、私のせいなんです」

「どういうこと?」


 紗理奈には一瞬何のことかさっぱりわからなかったが、すぐ答えに行き着いた。


「あのお守りのこと? お守りに何の関係があるの」

「はい。実は先輩に渡した黒いお守り、合格祈願じゃなくてだったんです……」

「不合格祈願ですって?」

「はい。陰毛の代わりに、お尻の毛を……」

「お尻ぃ!?」


 紗理奈は目をひん剥いた。


「はい。合格祈願のお守りは陰毛に私の愛の蜜をたっぷりと染み込ませたものですが、不合格祈願はお尻の毛に汚物を」

「もっ、もう良いわ!」


 何というものを作っていたのか。黒い不合格祈願のお守りを、ご利益がうっかりなくなってしまわないようにと開封しなかったのは幸いであった。


「汚物もまさか自分の……」

「いえ、さすがに違います。ジェイソンのおしっことウンチを混ぜたものです」


 ジェイソンとは八千代の家で飼っている柴犬である。紗理奈は名前からホッケーマスクをかぶった怪物を連想し、だから呪われたのかもしれないとジョークめいたことを考えた。今日十三日が木曜じゃなく金曜だったら完璧であった。


「本当に、申し訳ありませんでした。まさかここまでお守りが効いてしまうなんて……」

「いいえ、正直に打ち明けてくれてありがとう。だけどどうしてこんなことをしたの?」

「先輩に東京に行って欲しくなかったからです。もし明経に合格して、心変わりしてそこに行きたくなったらどうしようかと。それだけは、それだけはイヤだったんです……」


 八千代の目が潤む。紗理奈はたまらず、愛しい恋人を抱き寄せた。


「バカねえ。受かっても行かないって言ったのに。信じてくれなかったの?」

「うう……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「良いの良いの。実は私も八千代に謝らなくちゃいけないことがあってね」


 紗理奈は、センター試験での出来事を洗いざらい話した。想像だけとはいえ、八千代よりも汚ないことをしている。


「あはは……先輩、相当苦しい思いをされていたんですね」

「ええ。でも食中毒で体がボロボロになったおかげか、今ではムラムラした気持ちが起きなくなったの。その意味では、あの黒いお守りもご利益があったかもしれないわね」


 紗理奈は相手の目を見据えた。


「桃川大学の二次試験、絶対に受かるから。またお守りを作って」

「はっ、はいっ!」


 二人はひしと抱き合った。こっそりついてきて物陰で聞き耳を立てていた菅原千秋がドン引きしていたのを知らず。

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