第3話 お守り職人の朝は早い
欲しがりません、勝つまでは。塩谷紗理奈はその精神で半年間も倉賀野八千代を抱かずに、ひたすら受験勉強に打ち込んできた。
だがお預けを食らわされている八千代にとっては、ある意味紗理奈よりもしんどい思いをしている。忙しい合間を縫ってデートには付き合ってくれたが、キスは軽いもので済まされてしまい、それ以上のことはさせてくれなくなってしまった。
欲求不満のあまり、他の生徒に浮気しかけたこともあった。だが八千代は神職の娘。恋道から踏み外すような真似をすれば神罰が下ると信じていたから、どうにか自分を慰めることで性欲を発散させていた。
はやく受験が終わって欲しいし、何より第一志望校に受かってもらいたい。その気持ちで、自身のアンダーヘアを入れた特性のお守りを作った。実際にセンター試験では大きなご利益をもたらして、自分でも驚き、喜んだものである。
しかしここに来て、不穏な気持ちが沸き上がっていた。紗理奈が東京の大学を受験するということを初めて耳にしたのである。聞かされていたのは第一志望は地元の桃川大学で、私立は京都にある同盟社大学と立栄館大学を受験するということであった。
受かっても行かない、とは一応言ってくれた。だが東京の魅力はドがつくほどの田舎住まいの身にとっては魔性的ですらある。それは自身が体でよく知っている。
緑葉女学館では後期課程五年(高校二年)の十一月下旬頃に、希望者から数名を選抜して東京大学見学ツアーが催される。八千代は東大志望ではないが社会見学のためにと思い応募し、高い倍率をクリアしてツアーに行くことができた。
見学ツアーと言っても堅苦しいものではなく、駒場キャンパスの学祭、駒場祭におじゃまして様々な出し物を体験することであった。緑葉の文化祭とはレベルが遥かに違うことをツアーの参加者たちは思い知らされたが、それよりも東京の何もかもに驚かされた。電車は三分置きにやってくるし、中ではテレビが放映されている。地下鉄路線はクモの巣よりも複雑で東京メトロと都営地下鉄の違いがわからない。桃川市のどのビルよりも遥か高くそびえたつ高層ビル群。何よりどこも人・人・人だらけ。などなど。
見学ツアーでは、昨年卒業した緑葉OGで平成二十九年度生徒会会長の今津陽子と副会長の高倉美和、いずれも東京大学文科I類に進学したエリート中のエリート二名が案内してくれた。奇人変人として良くも悪くも有名であった陽子は東大の魅力を語る一方で、自分の生まれ育った故郷をいずれ東京の食い物にされて終わるだの、緑葉生も所詮は田舎者の集まりで井の中の蛙に過ぎないだのと、自分もつい最近まで田舎者であったことを棚に上げてとにかく貶しまくり、かつての相棒の美和を呆れさせていたものであった。
それでも八千代は嫌な気分にならず、陽子に完全に同調していた。一緒にツアーに来ていた生徒もその通りだと口々に言っており、東大までとはいかなくても絶対に東京の大学に行くんだ、と誓った。つまりは、東京に取り憑かれたのである。
八千代は残念ながら、神社の娘という立場上東京に出ることは許されない。しかし紗理奈の方はもしかしたら翻意して東京に行ってしまうかもしれないと恐れていた。仮に桃川大学に落ち同盟社ないし立栄館に通うことになったとしても、京都ならまだギリギリ通い合える距離にある。だが東京に行ってしまえば、もはや気軽に会うことなどできなくなってしまう。それだけは、どんな手を使ってでも阻止したかった。
夜が明ける前に、八千代は今日渡すお守りの作成にとりかかった。袋は神社にあるものを使えば良いのですぐ用意できる。肝心なのは中身だ。
アンダーヘアをただ抜いて袋に入れてお終い、ではない。三日前から斎戒沐浴して身を清め、当日は
そしてここからが仕上げである。自室の神棚に飾ってある口の広い瓶を取り出して、フタを開ける。その中には粘度の高い液体が入っていて、祝詞を唱えながら先ほど抜いたアンダーヘアを丹念に浸す。
部屋の四方には紗理奈の顔写真を拡大したものを額縁に入れて飾っており、八千代を見下ろす格好になっている。こうすることで八千代が自分を慰めるとき、紗理奈に四方から攻め立てられるような気分に浸ることができるのである。
そして瓶の液体の正体は、紗理奈の幻影に抱かれているときに自身の体内から溢れ出てきた愛の証を集めたものであった。これに自身の分身を浸すだけでも、体が繋がっているような気分になり、顔が火照ってくる。
「うふふ……でーきたっと」
二本の分身をつまみ上げると、淫靡な糸を引いた。そのうち一本を紫色のお守り袋に、もう一本をえんじ色のお守り袋に入れた。それぞれ同盟社受験用と立栄館受験用で、各校のスクールカラーに合わせたものである。
これこそが倉賀野八千代特性のお守りの製造法だが、当然のことながら神道とは一切関係なく、もはや魔女の黒魔術めいた背徳的な儀式に近いものである。
さて、もう一つ残っている明経大学のスクールカラーは紫紺色だが、あえて黒色のお守り袋を用意していた。それもそのはず、こちらは別の目的のお守りだからだ。もちろん、製造法は大きく異なってくる。
「紗理奈先輩、ごめんなさい。だけどこれが私の気持ちなのです……」
八千代は歪んだ笑みを浮かべつつ、最後のお守りの作成にとりかかった。
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