第3話ネーム
鎧の男たちに連れられて、私は森の近くの街――アイリーリアに来た。そこは映画で見るような中世ヨーロッパの街並みだった。
歩いているうちにここが日本どころか地球ではないことを否応に思い知らされた。何故なら耳が長くて美しい人――エルフや髭だらけの逞しい人――ドワーフが居るのだ。それが何の衒いもなく街で暮らしている。
「なんだ? エルフやドワーフが珍しいのか?」
鎧の男が不思議そうに私に訊ねる。
「ああ。今まで見たことがない」
「……どんな田舎でも、一人や二人、居るだろう?」
そういうものなのかと記憶する。
この世界には人種差別はないのだろうか?
鎧の男とその仲間は私を宿屋に連れて行く。そこは一階が酒場になっている。しかし今は昼間なので酒を呑んでいる者は少ない。食事を取っている者は何人かいるが、どうやら居酒屋みたいなところだ。
「いらっしゃーい! ってハスターさんじゃないですか! 久しぶりですねえ!」
元気な声でとことことこちらにやってくる可愛らしい赤毛の小柄な女性。看板娘なのだろう。見ていて微笑ましい。
「ああ。久しぶりだな。カーヤ。少し部屋を借りていいか?」
「お休みですか? それなら二部屋ご用意しますね」
「いや、泊まらないんだ。それより五人入れる大部屋に案内してくれ」
カーヤと呼ばれた女性は不思議そうな顔をしていたけど従ってくれるようだった。
そして五人部屋に案内される。
「さてと。あんたのことを聞かせてもらおうか」
鎧を脱いで楽な姿勢で座る男――ハスターはさっそく私に訊いてきた。
「私も何から話せばいいか分からないが……」
周りの見ると狩人のササークは椅子に座らず、壁にもたれている。何かあったら動くつもりだろうな。
軽装の女は僧侶をずっと慰めている。しかし私を警戒しているのは所作で分かった。
一方、僧侶の女は私のことなど眼中にないらしい。身内が死んだのだから当然だろう。
「まずは、名前を教えてくれ」
「それも思い出せないんだ」
「……俺たちを馬鹿にしているのか? それともあんたが馬鹿なのか?」
私は咳払いして「これから話すことは全て真実だ」と言う。
「信じるかどうかは、あなたたち次第だ。まあ信じなくてもいいが、嘘などは言わないことを約束しよう」
「ああ。そうしてくれるとありがたい」
私は日本に居たこと。会社で倒れたこと。気がついたら洞窟に居たこと。自分の名前が分からないこと。そして肉体が若返っていることを順序だてて説明する。
全てを話し終えたところでハスターは「三日間とはいえ、よくもまあ生きてこれたな」と感心した。
「僧侶が張ってくれた結界のおかげだ。私はそれほど大したことはしていない」
「そうか? しかしあの森を抜け出せただけでも凄いと思うが……」
そんなに迷うような森ではなかったのだが、凄いと思われて損はない。下に見られるよりはだいぶマシだ。
「だが日本か……聞いたことがない。ササーク、知っているか?」
「まったく知らんし、そいつが言っていることが本当なのかも分からん」
疑われているようだ。仕方のないことだが、どうしたものか。
「それで、私をどうするつもりだ?」
逆に訊いてみるとハスターは「そうだな。正直、あの森に入ってイグリットの死体を捜すのは勘弁願いたい」と言う。
「タバサには悪いけどな。死亡確認が取れたと判断するべきだろう」
「失礼だが、そちらの事情とやらを説明してくれるか? この世界のことはまるで分からないんだ」
ハスターは「うーん、そうだな」と難しい顔をした。
「セレナ大陸どころかこの街――アイリーリアすら知らないんだろう? だとすれば――」
「待てハスター。俺はこいつの面倒を見るのはごめんだぜ」
ササークがぴしゃりと言う。困った顔になったのはハスターだった。
「しかしここで投げ出すのは後味悪いだろう」
「そう言ってそこの小娘――タバサとパーティを組んだのは我慢できるがな。得体の知れない名無しの相手など面倒なだけだ。対価も払えそうにないしな」
対価……確かに払えるものなどありはしない。
「だけど――」
「いいんだ。ハスターさん。ササークさんの言うとおりだ」
これ以上、彼らの世話になるわけにはいかない。ハスターさんのような善人の足を引っ張る真似はできる限りしたくないし、ササークさんの言うとおりだと心から思えたからだ。
「だが基礎知識ぐらいは教えてほしい。地理でも生活のことでもなんでもいい。後は自分で何とかする」
「……本当か? ま、あんたがそう言うのなら」
というわけで私はハスターから事情とこの世界について話を聞くことにした。
泣いている子、タバサは慰めている女、セーリカと幼馴染で随分昔に行方不明になった兄を探しに、アイリーリアに来た。そして迷いの森に一緒に来てくれる仲間をギルドに申請して、二人を紹介されたらしい。
ここは剣と魔法の世界で魔物がうようよしている。しかし人間を始めとする五大種族は魔物たちと対抗する術を持っていた。前述した剣や魔法だ。
魔物が入らないように柵や塀で人々の生活区域を守っている。そして魔物を狩ることで生活している者も居るようだ。
「なるほど……よく分かった」
私は立ち上がって彼らに頭を下げた。
「この街まで連れてきてくれてありがとうございます。本当に助かりました」
「な、なんだ改まって……」
ハスターはよく分からないといった顔をしている。
「もしもあなたたちが悪人だったら、私は死んでいた」
「ま、当然だな」
ササークは腕を組んだまま認めた。
「あんたの着ているその変わった服を売ればそれなりの金になるからな」
「おい。ササーク、やめないか」
「事実だろう?」
善人と偽悪者といった感じだな、二人は。良いコンビだ。
「えっと、タバサたちとあんた、ギルドに来てくれ。死亡確認が取れないと報酬が貰えない」
ササークはクールに告げる。
「ちょっと! タバサはイグリットさんが死んだって、分かったばかりだよ?」
セーリカは文句を言うけどササークは「俺たちには関係ないことだ」と返す。
「それに死んだこと前提の依頼だったはずだ。八つ当たりは止すんだな」
「そんな風に言わなくても――」
揉めそうな雰囲気だったので「喧嘩はやめてくれ」と私は止めた。
「セーリカさん。確かに依頼終了の確認をするのはあなた方の義務だ。それを自分の都合で延ばすのは良くない」
「……でも、言い方というものがあるよね?」
「そうだね。ササークさん、あなたも言い方があるはずだ。依頼人のことを慮るのも仕事じゃないのか?」
ササークはそっぽを向いて「はっ! よく分からねえ奴に説教されちまったよ」と皮肉を言われた。
「思うことがあるかもしれないが、まずはギルドに向かったほうがいい。ハスターさん、行こう」
「ああ、分かった……」
私の言葉に従ってくれたハスターは鎧を担いで準備をする。
タバサもセーリカの肩を借りて立ち上がる。
ササークはそんな様子を黙って見ていた。
ギルドという建物に着くと、職員らしき人が手続きしてくれた。
まず私が話したことが真実かどうかを確認するために、不思議な水晶玉に手を置くよう言われた。素直に置くと水晶玉は青く光った。後から聞いたことだが嘘をついていると分かると赤く光るらしい。
次に証人として名前を記載するのだが……
「うん? 名前が分からない? ああ、記憶喪失って言ってましたね。じゃあ適当に自分で決めてください」
なんとも大雑把なやり方だ。
しかし自分で決めることではない。
というわけで四人に相談することにした。
「名前か……難しいな……」
ハスターは真剣に考えてくれた。ササークは考える気にもならないようだった。
セーリカも考えてくれたけど、良い名が見つからないようだった。
「わ、私の、兄の名はどうですか?」
恐る恐るタバサが手を挙げた。もう泣き止んだようだ。
「兄の名……イグリットか?」
「はい。き、気に入らなければ……」
「いや。それでいい。ありがとう」
というわけで私はイグリットと名乗ることにした。
職員が怪訝な表情をしたが無視した。
こうして私は、イグリットとしてこの世界で生きることになった。
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