【終幕】あれは春という鮮やかな
暗闇。
光は消え、雨が雨樋を穿った水しぶきだけが、俺の視界に見えたもの。
あとは無。
「…………」
聞こえるのは、窓を通して鳴る雨音。風で揺れる木々、葉音。
ドアが開く音。
「まだ居たんですね」
振り向く。
突然の稲光で、認識した声の主。
車椅子の少女。
髪は栗色。
「……体、平気なのか?」
「今のところは。けど、肺に負担がかかったら、次は無いかもですね」
そこまで言って、病室のドアを閉めた彼女に、俺は定位置となったベッドから降りて場所を空ける。しかし首を横に振って例の装置の元へ向かう。
おそらくここは、ハルちゃんが倒れたその日の夜、なのだろう。
「いいんですか。こんな時間まで残ってて。お母さん心配しますよ」
「ハルちゃん」
電源の点いたモニタに何やら打ち込んでる背中へ、俺は問いかけた。
「そこに書いてある"fALL波"って何」
しばしの沈黙。起動音代わりにハードディスクが回る音が響き、やがてハルちゃんは口を開いた。
「今、二十三時五十五分ですね。あと五分したら分かりますよ」
「皆の記憶が消えるの?」
またしても沈黙。雷が近くで落ちて轟音が窓越しに鳴る。少し揺れもあったみたいだった。
そのせいで、壁際の隅に貼ってあった付箋がゆっくりと落ちた。
「どうして、そう思うんです?」
微動だにせず訊き返してくるハルちゃんに、俺はその落ちた付箋を拾って、モニタに貼ってやった。
そこにはこう書いてあった。
"fALL=forget-ALL"
"fALL WAVE=忘却電波"
「やめなよ。そんなの」
「何故ですか」
「危険だって、自分で言ってたじゃん」
「じゃあ、どうしろって言うんです」
「何が」
息を吸って、口許を押さえる彼女の目には、小さく光るものがあった。
何とか泣かないようにしてたけど、もう、崩壊寸前だったのだ。
彼女の手が、"fALL波"スイッチの周りに貼ってあるテープを剥がす。
「わたし、自分の命の長さ、知ってるんです。でも次また倒れたら、それがもっと短くなって、皆ともバイバイなんですよ。ううん、今すぐにだって死んじゃうかもしれない。せっかく親友くらいにはなれたのに……もしあなた達が悲しまなくても、わたしは悲しくて、だから」
堪えきれなくなって、しゃくりあげてしまう。声にならない泣き声は寂しく病室に鳴って、雷鳴に消える。俺はそんな彼女の肩を抱いた。
「どうにかするよ」
「なりません」
「する」
「どうやって」
「まずはさ」
「なんですか」
「泣き止んで」
俺は彼女に自分の顔を近づける。額でコツンぶつけて、泣面に向かって。彼女の細い手が"fALL波"に触れる直前で。
――分かっていた。ここで、俺がする事を。
何をしたら彼女を思い止ませられるのかを。
なんとなく――いや、忘れないくらいに強烈に覚えていた、"あれ"をしたらいい。
本来の過去では、ここで何も出来なかっただろう俺。
掛けてみよう。違う過去の記憶――新しい過去の記憶にしてみよう。
もう、俺はにぶちんを卒業したのだし。
「あの、な、何をしようとしてますっ」
「あんたが――ハルちゃんが、勝手に自分の記憶だけ皆から奪おうとしてるのを止めようとしてんだ」
「奪おうだなんて。わたしは、ただ、み、皆を悲しませたくないだけで。もう長くないし、わたしは、もうベガくんの時みたいな気持ちに――」
焦るハルちゃん。こんな顔するんだな。珍しくてちょっとおかしい。俺は一歩足を踏み出してその指をスイッチから離した。
「な、な、なっちゃんにしてあげてください、そういうのはっ」
「……ううん。結局な、俺あんたと最初にする事になるんだよ」
「え?」
「だからまあ、いいんだ。俺の"初めて"は。あ、ロマンティックな方だから。それ以上は誰かさんにどうにかしてもらう」
「な、なんの事を」
「ハルちゃん」
「や、ちょっ」
「"初めて"って、本当、嫌でも覚えてるもんだぞ。未来のあんたにそう言っといてな」
「あ――」
「仕返しだ。お眼鏡に適ったか。"先生"」
花の香りが舞う。唇に伝わる淡い柔らかな感覚に俺は全ての意識を待ってかれた。
時計が0時を指す中、雨はいつの間にか止んでいた。
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