【第三幕】 溶け合っていく
軋んだ世界から抜け出した先は、窓から見ゆる、鉛色の空だった。
「ねえ、ハルちゃん。ここに書いてあるの"fALL波"って何? 押せないようにテープがしてあるけど」
鼻腔を、花の香りが突いた。ふわりと柔らかな、この空模様とは合わない心地よい香り。
「ダメですなっちゃん。それ危険なヤツですから、あまり触れないで下さい」
「え、ご、ごめん。これ危険なんだ……」
眼前にあったのは、またしても病室。そこにはさらに増設されたあの装置の前でキーボードを打ってる車椅子の少女の姿と、なっちゃんの背中。
またしても、飛んだみたいだ。
俺は定位置なのか、ベッドの上に座っていた。
「しっかしもう、また問い合わせメールですか……はあ。取材依頼ボックスが一日ですごい事に……ゴホッゴホッ」
小さく咳をしながら頭を抱えるハルちゃん。なっちゃんの方は構ってもらえなくて暇なのか、例の装置のあちこちを見て首を傾げていた。
……しかし今の、取材がどうってのは。
「すごいね、ハルちゃんって」
廊下から足音が俺の隣までやってきて、ひょいとベッドに腰掛ける。あきだ。学校帰りからここへ来たのだろう、体操服を着て、ランドセルを手に持ってる。
「なにが?」
「これ」
体操服の左胸には、6-3の文字。時系列的に小学六年ってとこか。
「君がボーッとしてる間に、外の写真撮ってきた。これ全部、マスメディア」
そして見せられたのは、手元のスマホ。その画面には病院の外に並ぶ4WDやバンの写真。中には堂々とデカいカメラを院内に向けている者もいる。
「これとは別に野次馬もいるみたいだったよ。全部ハルちゃん目当て」
「マジか……」
あきの指が、スマホの画面をスワイプする。今度はネットの記事のスクリーンショットが出てきた。
「知ってるでしょ、これ」
反射的に手渡された画面の文字を追う。"見た目は小学生、頭は天才科学者? 3月2日。神奈川県の女性が脳内情報を映像出力する技術を開発し、その映像を動画投稿サイトへアップしたところ、これがアメリカの大手企業アイティス社の目に留まり複数の関係者が来日。女性と直接当該の技術や仕組みについて話し合った。女性は、体が幼少期のままから成長しないハイランダー患者であり、その容姿は十歳程であったと関係者は述べた事から、――"
「…………」
青ヶきはるは時を超えない少女である。というのは、この頃から呼ばれ始めたのであろう。俺が小六から中学に上がったくらい。どっかのタイミングで名前が出て、メディアの囃立てが酷くなる。その後は勢いを失うが、彼女は俺らと遠い存在になってしまうのは確かだ。
ここだ。ここが、彼女の分岐点。
「あーもう! なんですか次から次へと! わたしはIT技術者じゃないんですよ! 少しは自分達で何とかしようとは思わないんですかねこいつらは……あんたらは企業でしょうが!」
髪をぐしゃぐしゃにして、キーボードに突っ伏すハルちゃん。だいぶ参ってるようで、なっちゃんも気まずそうに後ろから見ている。
なんだか、不穏な空気だな。
「ゴホッ、ゴホッ……はあ、はあ、はあ。ごめんなさい、大声出して……ゴホッ」
ペットボトルの水で咳を押し込み、椅子にもたれるハルちゃん。なっちゃんが心配そうに駆け寄る。
「ハ、ハルちゃん、大丈夫? 咳辛そうだけど……また肺が悪いの?」
――ハルちゃんの患ってるのはハイランダーだけではなく、肺のパンク――気胸もある。というより、こちらのせいで入院生活をしている。容態は良いとは言えず、この頃もまだ日常生活には戻れてない。正確な退院時期は知らないが、結構長い間入院してる事になる。
そして、なんと言ってもこの状況。ストレスで悪化するのも、無理もなかったのかもしれない。
「はい。大丈……ゴホッ。はは、少し息がしずらいだけです。すぐに治まりますから。ああ、あきちゃん。来てたんですね。この前言ってた"fALL波"の件、無事に解決しましたよ。実験は向こうにしてもらう予定ですけどね」
こちらを向いて、呼吸を整えながらハルちゃんが言う。目には薄くクマが出来ていて、全く大丈夫そうには見えない。何故彼女はここまでするのか。俺には今でも正直理解出来ない。
壁や机に貼られた付箋を眺めつつ、俺は先ほど聞こえた"fALL波"について思考を回した。おそらく、これがキーワードだろう。
「なぁ、あき。あの機械に"fALL波"ってのがあるらしいけど、それって何か分かるか」
ハルちゃんに聞こえないよう、俺はこっそりと訊いてみる。
「え。ああ。うーんと」
ランドセルからノートを取り出して、シャーペンで図を描きながら、あきが説明を始めた。やはり図も字も上手い。
「人間の特定の細胞だか神経だかが反応する電波の事なんだけど、これって無理矢理逆の波形――逆位相って言うのかな、これを流し込むらしくて、物とかにも干渉を起こすくらい強いの。で、電波自体にも作用が加わるから、例えば人間に蓄積された電波とかでも反応が出る。しかも電波に"混ざりやすい"。だから、それこそスマホとかが使ってる電波とかにも混ぜられるの」
「す、すげえな……ちなみにfALLって意味は?」
「それは分かんないかな。付けた本人しか知らない」
図解で説明するあきの姿はまさに助手、とまではいかないかもだが、小学生にしては凄いな。俺全くこいつにこんな知識があるのなんて知らなかったし、正直そっちの方が驚いている。
「なあ、お前こんな頭良かったっけ?」
「まあ、これでも一応助手だし――あ」
うん? お前なんか変じゃね?
「ともかくさ、この"fALL波"ってのは割とやばいの。本来はPTSDの人とかに向けた新薬の代替なんだけど、まだ実験段階だからね。あの機械から流れたもんなら、どんな影響があるか計り知れない」
それだけ言い残すと、パタンとノートを閉じ、ハルちゃんの元へと向かうあき。小学生にしてはよくあそこまで単語が出てくるもんだが、本当あいつあきなのか? まあ、いいけどさ。ともかく、その"fALL波"ってのが今回の元凶なのは分かった。きっとあれが俺らの記憶を奪った"特定の電波"なんだ。俺はそれを止めればいい……のだが、いかんせん、俺はあの機械をぶっ壊すみたいな事、していいんだろうか。それってある意味、ハルちゃんとの関係をも壊す気がするし、そもそもこの俺が置かれている現状、好き勝手にしていいもんなんだろうか……
その時だった。
「ハルちゃん!?」
ハルちゃんが椅子から崩れ落ちた。床に体を預けて、苦しそうに細かい呼吸を繰り返している。まずい。気胸だ。なんとかしないと。急いでナースコールを押すあきの姿を尻目に、俺は病室を飛び出す。誰か呼びに行かなくちゃ、このままじゃ――
瞬間。揺らぐ視界。聞こえるのはハルちゃんの名を必死に呼ぶなっちゃんの声と、いつしか降り出した雨の音と廊下の足音。
そして、雷の鳴る音だった。
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