【第三幕】 溶け合っていく

風が吹いた。

 俺に向かって、さっきまでとは違う怒りを含んだ叫びをぶつけられた。

 慌てて花びらを置いて向き直る。いきなりの事で状況把握に時間がかかる。今、青ヶきはるが叫んだのか……? どうしてそんな……。

「や……やめてください……やめてください……もう、そんな……」

 顔を手で覆って嗚咽まじりに泣き出してしまう彼女を見て、俺は何も言えないで立ち尽くしてしまう。夕焼けが入り込む病室で彼女が泣く光景をただ見守っているだけ。あきが再び言葉をかけるが、聞いてくれる様子はない。

 夢の時と同じような光景だった。

「あ、あのさ、"ハルちゃん"」

 喚き出しそうな勢いの青ヶきはるへ俺は歩み寄る。透明の粒でぐしゃぐしゃにしている顔がこちらに向き、栗色の薄い眉が、わずかに動く。

「……え?」

「あ、初めましてじゃ、ないよな。そっちも俺の事知ってるだろうし」

 時が止まる。青ヶきはるは――ハルちゃんは、小さな口を開けて、固まって俺を見ている。何かを言おうとしているのだろうか、やがて口をパクパクとさせ、言葉を漏らした。

「……知ってます、けど」

「俺も知ってるよ。なあ、ハルちゃんは足、悪かったの? 時たま車椅子でいるの見てたけどさ」

 俺の言葉に遠慮ないと思ったのだろう、あきが「ちょっと」と割り込む。が、俺は構わない。そのままハルちゃんに対峙する。歳の離れた"同級生"に向かって。

「ハルちゃん」

「え、っと……その」

「ハルちゃん」

「な、なんですか」

「元気?」

 なんて、意味の無いやり取りをして、俺は笑った。なんだかおかしくて。一人で、懐かしくなって。こんなの誰が見ても変かもしれないけど、妙に心地良くて。

「……なんか、とーやのキャラじゃないんだけど」

 後ろでボソッとあきが言う。いいだろ、別に。俺は続ける。

「なあ、本当のとこ、ハルちゃんっていくつなの」

「え」

「あー訊き方が悪いな。今、何年生なの?」

 彼女のベッドに腰掛けながら尋ねる。さすがにもう、あきは何も言わない。本人も特に気に留める様子はなかった。

「一応、わたし、高校生です……見えないかもですけど……か、身体があまり成長しないので……」

「そうなん? JKじゃん」

「は、はい……一応」

 そこから、少しずつ話をしてくれるようになったハルちゃんに、俺は噛み締めていく。ああそうだ。こうやって、出会ったんだ、彼女に、と。忘れてしまったとされる記憶。それは、俺が生物的に備えている忘却機能によるものではなく、人工的な操作によるもので、本当は消える筈のないもの。だから、こうしてここに来たのかもしれない。忘れているのではなく、見えなくなっているだけで、思い出そうとすれば、そこにあるのだ。無くなってなんてないのだから。

 鼻腔を突く、柔らかな花の香り。

 それは俺の記憶を思い出させる、記録。

 彼女の印。

「なあ、お願いがあんだけどさ」

 しゃがんで俺は彼女に目を合わす。華奢な体がビクりと動いて、首を傾げる。

「それ、使ってもいい?」

 指を差したのは、あの難しそうな機械だ。俺じゃ到底使いこなせそうにない記憶装置。

 もうこの時期から、彼女は作ってていたんだ。これを、この装置を。

「え」

「近くで見るとゴツいな……あ、この電極貼ればいけるのか? うーん」

 俺の知ってる記憶と全然違うその筐体に頭を掻いていると、黙って見守ってたあきが俺の後ろから手を伸ばしてきた。やり過ぎだろうか。急いで言い訳を考える。

「スイッチが入ってないんじゃない。ほら、そこの」

 けど、そんな必要なかった。俺と同じようにあれこれ触り始める。尽かさず俺もあーだこーだやり合う。

「……ふふ」

 柔らかい、笑い声が聞こえた。あの甘ったるさを僅かだが取り戻した、彼女の声。ずいっと彼女の手が俺らと見当違いの場所を差す。

「電源、こっちです」

 目を細めて、こっそり漏らした笑みに、俺らも顔を見合わせて微笑む。なんとなく、仲良くなれたって感じかな。まあ、一応相手は高校生らしい。年上なりに思う所があったのかもしれない。

「これ脳内情報出力端末というんですが、まだ未完成ですよ。大した事は――」

「いいよ。何か見れるなら、見たい」

 こういう時、わがままが言えるのは、小学生だからだろうか。強引な俺の言葉に、彼女はベッドの下から何枚かの電極を取り出し、俺にそれを渡す。どうぞ、頭に、と言って。

「よっと……こんなんで平気か」

 いくつかの電極をペタペタ頭に貼って、機械の上部に置かれているノートPCが起動する。OSが立ち上がると自動でコマンド画面が表示されて、やがてデスクトップに次々とファイルが形成されていった。

 すごい。これ、全部この歳で。

 しばらくすると、薄緑色の背景画面に、いくつかの項目が現れる。それを備え付けのキーボードで素早く選択して、"にゅー"と書かれたファイルを再生していく。

「ん、なんだこれ」

 出てきたのは、鈍色の渦を巻いたような画像だった。まるで何かの抽象画みたいな画像


 ――しかし、その当時の出力画像は大抵抽象画のような訳の分からないものばかりだったんですよ。

 ――人間の脳って、記憶や物体の形を曖昧に捉えるので、


 も、もしかして、それって、この機械の事じゃ。

 やばいな、青ヶきはる。

「……あはは、やっぱダメですね。まだ、処理が甘いみたい。全然出ませんでした」

 ため息を吐いて肩を落とすハルちゃんへ、俺はそっともう一つベッドの下に隠れていた電極を、彼女の頭に貼った。それに反応するかのように、画面もまたさっきと同じような処理がされていく。

 と、ここで。

「へ?」

 俺の行為に気が付いたハルちゃん。しかし、そんな事より先に、自動で起動した再生画面に気を取られる。

 誰かが、居たんだ。

 その鈍色の映像の中に。

「もしかして、これ、ハルちゃんの頭の中の?」

 尽かさず自分から電極を貼り付けて、ハルちゃんは口許を覆ってその映像の続きを待った。

 やがて、鈍色が段々と明るくなり、赤みを帯びた――赤灯色の背景をそこに作った。

 そして誰かの顔がほんのりと影から現れる。

「べ、ベガくん……」

「べガ……?」

 俺が振り向くとあきが「ほら、さっきの」と空いてるベッドを示す。そうか。これが"彼"。死んでしまったとされる人物。

 目を凝らして"彼"の姿を見る。入院服の左側には"別賀"の文字。べつが、だからベガって事か。愛称ってやつだろう――

 そう考えてた瞬間、俺の頭の中に"何か"が飛んできた。


 ――いいかい、親友というのは心からの友だ。つまり親友という文字は間違い。親しいというだけでは足りないんだからね


 声だった。優しくて、暖かい声。

 俺の知らない声。けど、自然と安心してしまうような感覚だ。

 もしかして、まだ俺に電極が付いているから……


 ――ボクは心から思ってるんだ、キミを友達、心友ってね。だからさ

 ――だからさ、だからお願いだよ。キミはキミを生きてくれよ。ボクはもうじき、きっと居なくなってしまうみたいだから。もう泣かないでくれよ。心友よ、心友よ……ボクの大切な心友

 ビリビリとノイズが走った。けど、また立て直す。俺の中に響く声はどこまでも穏やかに、言葉を紡ぐ。その"心友"に向かっての言葉を。


 ――ああ、なんだか眠たいなぁ。もうじき、ボクは終わるのかな。ねえ、最後にお願いしてもいいかい

 ――手を握ってほしい。ああ、そうだ。それだけでいいや。もうボクはそれだけで幸せな気がする。安いよなぁ、随分、ボクって。お、これがキミの手か。優しいね、あったかいね。ああ、なんだか今


 最後の、言葉を。


 ――幸せに、触ったみたいだ


「ベガくん……ベガくん、なんで、そんなあなたは、最後まで、ずるい事を……」

 目に溜まった涙を必死に抑えようとするも、またも泣き出してしまう彼女。映像自体には音声は流れていないから、俺と同じように彼女の頭の中で声が聞こえているのか、もしくは――

 思い出して、いるのか。

「な、なんで友達って言ったくせに、幸せになんて触れないのに、なんで、わたしに言うんですか……なんで」

 そして、ぐらりと歪む自分の視界。霞む世界。夕焼けの空はまたたくまに剥がれていく。消えていく意識、離れていくあきとハルちゃんとの距離。

 ――次は、何が起こるんだ。

 そう思った途端、体が無重力になったのと同時、微かに頭の中であの穏やかな声が、うっすらと聞こえていた。


 ――理屈っぽいなぁキミは。だから彼氏ができないんだよ。いいかい、次の言葉を胸に刻むように。ボクからの最期の言葉だ。


 ――"命短し、恋せよ乙女"

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