【第三幕】 溶け合っていく

「へー、この人がベガくん?」

 息を吐く。息を吸う。その感覚を自分がしているのに気付いて聴覚から伝わる声が分かる。

 先ほど飛んだ俺の意識。それは今しがた、再び戻ってきたようだった。

 見渡す。そこはまたしても、夕暮れの病室だった。

「どうなってんだか……」

 腰掛けていた病院用のベッド。横目に映ったのは白い脚をぶらぶらと揺らす誰か。

 手元に、ノートを持ち、何か絵を描いてる誰か。

「何が"どうなってんだか"なの」

 あきだった。小学生くらいの、あき。

 またさっきの続きらしい。

「……いや、お前の絵の技術はどうなってんだろうって事。相変わらず上手いな」

「そりゃどーも」

 適当に行ってから目を擦って状況を把握する。病室と隣のあき。そして見えたのは、また異なる声の主。

「うわー、優しそうだねこの人。この人がハルちゃんの初恋なんだ?」

 膝に手をついてそれを覗き込んでいる、女の子。前髪を上げて肩出しの装いをしたもう一人の幼馴染み。

「はい。もう、終わっちゃいましたけどね、初恋」

「そうなの? なんか泣けちゃうなぁ」

 なっちゃんだ。

 つまりどうやら、これはまた別の日の記憶らしい。意識がさっきの時点からここに飛んだって事みたいだ。

「なつきちゃんは、どうです? 初恋、楽しんでますか」

「え、ちょっ、やめてよハルちゃんっ。バレちゃうから!」

「あはは、バラした方が男の子はその気になってくれますよ。ね?」

 そして栗色の髪が振り向く。青ヶきはるが、俺の方を見て微笑んでいた。なんとなく顔色が良い気がする。

 なるほど。日を改めてなっちゃんをここへ呼んだのか、俺らは。

「ふふ。ごめんなさい、からかっちゃって。せっかくまた来てくれたんで、嬉しくてつい。この前は取り乱してしまい、本当にすみませんでしたね」

「ううん。私も勝手にハルちゃんの部屋入ってたの悪かったし、全然いいよ! それよりもっとハルちゃんの初恋聞きたいぜいっ」

 で、楽しそうに寄り添う二人。見た感じ、彼女は例の機械をなっちゃんに見せているようだ。確かこの頃は高校生らしいから、ちょうど親戚のお姉さんと遊ぶ子供みたいな絵面に見なくもない。なっちゃんのあの感じだと尚更だった。

「あの二人、仲良くなるの早いね」

 あきが俺の腰を突く。見ると、手元の絵には何人かの子供達が描かれていた。

「気が合う、ってやつかね?」

「かもね。なっちゃん来てくれて正解だったかも。呼べてよかったよ」

「お前が呼んだのか」

「ハルちゃんに頼まれてね。さっきの……間違えた。この前のまんまだと、申し訳ないからって」

「ふうん?」

 引っかかる物言いはあったが、それよりも目の前の二人に目が行った。"バニッシュ"、そう呼ばれる前の彼女が一人で作り上げた装置の、小さな画面に見入る二人。映るのは彼女の脳内。そしてあの男の子だろう。

「ハイランダーって言うんだってさ」

 俺が前屈みになったと同時、あきが色鉛筆を走らせる手を止めた。

「なんだそれ?」

「体が成長しない病気。入院したのは気胸っていう肺の病気だったけど、それとは別に分かったんだって」

「それ、ハルちゃんの事か」

「ううん、どっちも」

 再び、無機質な音を立てて色を塗っていくあき。俺はしばし、その言葉を理解するのに時間が掛かった。

 どっちも、って……ベガくんの方もなのか。

「偶然にしちゃ、良くできてるよね」

「そうだな……偶然というか運命じゃね」

「まるで」

 ぽきっ、と色鉛筆の折れる音が鳴る。芯の先が、俺の腕まで飛んできた。

「まるで?」

「誰かさんと似てるね」

「は?」

「……やっぱ君は、いつになっても、にぶちんだよ」

 大きく嘆息して、あきがベッドから降りる。そのまま二人のとこに混ざり、あきがなっちゃんに耳打ちをしてこちらを見る。乙女のやり取り。なんとなく見てはいけないような気がして、目を逸らす。すると、たまたまベッドの上に置かれた、さっきまで描いてたあきの絵が目に留まった。

「本当うめえよな……ん?」

 思わず漏れた吐息。見えたのは、車椅子の女の子を囲って、桜を見上げる四人の子供達。俺とあき、なっちゃんと車椅子に座るハルちゃん。そしてもう一人の男の子。

 ――ベガくん。

「うわっ!」

 風が吹く。開いていた窓の隙間から、強い旋風がびゅうと吹きすさぶ。思わず瞑る目。手から離れる絵。音を立てて室内のどこかへ飛ばされてしまい――

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