【第二幕】 太陽が目指した遥か
「いつまで寝てんの」
どこかで、低く、船の汽笛が鳴っていた。古びたテナーサックスみたいな、乾いた音。
がたんごとん。愉快は一定のリズムに揺られながら視界に入った茜色に、俺はようやく気付く。
目を覚ました。今の今まで、俺はまた昏睡状態となっていた。
らしい。
「あれ……ここ、電車?」
「結局また倒れたの、覚えてない訳。駅まで歩いてたから意識あると思ってたけど」
「え?」
眩しい夕焼けに横を向いて、隣に座る眠そうな顔と目が合う。
白い、不健康な肌の色。染めたての茶色の髪の毛が、夕陽に照らされて透けている。
「なに。じっと見て」
「……いや」
「ウケる」
口許だけで笑って、そいつは視線上にある中吊り広告を見ていた。
ゴールデンウィークのイベントが書かれた、見覚えのあるそれを。
「俺、倒れたのか? その辺りの記憶なくて……」
「倒れたっていうか、寝てた? みたいな。なっちゃんの方は普通に意識あったけど、やっぱあの装置はまだ調整がいるみたいだね」
広告を見上げたまま、そいつはいつもの淡々とした口調をした。昔から変わらない、聞き慣れたそれ。でも見た目は、少しは大人っぽくなった彼女。
あき。
ただの幼馴染みの女。
「元気? 君」
「は?」
「いやなんか、ぼーっとしてるから」
「ま、まあ。いつの間に電車乗ってたから、変な感じ」
「ウケんね。君そういうキャラだっけ」
ようやくこちらを見て、ちゃんと視線が混ざり合う。車内には他の乗客の気配はなく、二人だけの空間のようだった。
「お前、なんであいつのとこでバイトしだしたの」
俺の思い付きに、あきは小さく欠伸をしながら答える。
「"親友"だったなぁ、って思って」
「意味わからんから」
「あたしには、友達がいたの。友達というより、先生かな……それだけ」
「……なに、それがあの小学生?」
「気付いてるよね、君」
思わず肩が上がるような感覚がする。気付いてる――その言葉が、心臓を早鐘させている。思い出してきたとか思ってたけど、きっと最初から知っていた。だから、"特定の電波"による障害なんてのは、事実だけど建前なのかもしれない。
俺にも"忘れたかった"その部分があるんだ。
「あたしがあの人と出会ったのは、帷子川(かたびらがわ)の河川敷。ほら、よく釣りしてる人居るじゃん、あそこ」
「帷子川って、団地のとこの?」
「そうそう。あそこで近くの桜の木見上げたの、あの人。で、あたしは当時絵描くのが好きだったから、たまたま目に入って、その光景を描いた訳」
あきの昔。それはなんて事のない、よく絵を描いていた女の子だった。友達を作るのでもなく、ただずっと、画用紙に筆を走らせていた。思い返せば、元々絵が上手いのではなくて、元々絵が好きだったという印象の方が強いかもしれない。白元あきあと白元冬也が特別仲良しでもなかったのは、きっとそういう事なんだと思う。俺はサッカー少年で、あきは絵描きの少女。一緒に遊んでも、盛り上がらない二人なのは、お互い違う事が好きだったから。
だから――あきは、"その人"と出会えたんだと思う。
「まあ、嫌でも目立ってからね、あの人。あたしも子供ながら安直だったと思うよ」
「……それ、目立ってたのって」
「見せてあげようか。その時の絵」
揺られる電車が止まり到着アナウンスが流れる。「星川〜星川〜」とずっと育った町の名に急いで席を立つ。もう着いてたのか。二人して夕焼けのホームに降り立つ。
「絵なんてまだあったのか。てっきり捨てたんかと……スマホに撮ったのか?」
「ううん。違う違う」
そして無駄に綺麗になった階段を降りて、東口へ向かう。改札を出て橋を渡り、背の高い集合住宅を沿って歩いて行く。いつもの帰り道。いつもの風景。この細い道はをあきと一緒に歩くのは、何回目だろうか。
「絵、あたしの部屋に飾ってあるの」
「…………来いと?」
「なっちゃんに連絡入れといた方がいいかもね。あの子、やきもち焼きだから」
「冷やかしやめろ」
「はは。安心して、ちゃんと親いるから。両親共々在宅ワーカーだからね」
そんなのわざわざ言わんでいいのに、どこかあきは誤魔化すかのように笑う。俺とこいつの間に変なモノはいらないのに、からかってわざとらしく。
それが白元あきあという女。
ただの、幼馴染み――
「そういやお前、男女間の友情って無いって言ってなかった?」
今の、ところは。
「うん。今も無いって思ってるよ……まあ、察して」
「どうした突然」
「あんな映像見たらね。色々と」
「ふうん。じゃあ、察しとく」
「あ、ちなみにね」
いや、たぶんこの先も。
「親いるっての、嘘ね」
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